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ちあきなおみ~歌姫伝説~6 反逆の狼煙

 歌手・ちあきなおみの一九七六(昭和五一)年までの活動を、「夜へ急ぐ人」までの前史とする観点から照らしてみると、まず、一九七二(昭和四七)年、「喝采」(作詞・吉田旺 作曲・中村泰士)で第十四回日本レコード大賞を受賞し、一九六九(昭和四四)年、「雨に濡れた慕情」(作詞・吉田央※吉田旺旧名 作曲・鈴木淳)でのデビューから三年目にして歌謡界の頂点へと駆け上がったあたりから、伝説の歴史がゆっくりと幕を開けたと言っていいだろう。
 その後、「喝采」とともにドラマチック歌謡三部作とされる、「劇場」(作詞・吉田旺 作曲・中村泰士)、「夜間飛行」(同)とつづき、「円舞曲」(作詞・阿久悠 作曲・川口真)、「かなしみ模様」(同)と歌謡曲の王道を辿る。
 そして、ちあきなおみが「演歌ではなく、叙情歌」と表現した、「さだめ川」(作詞・石本美由起 作曲・船村徹)、「酒場川」(同)、「矢切の渡し」(同)などに新たな境地を切り開いてゆく。
 しかしながら一般的見解としては、船村徹を歌うことは明らかに歌謡曲の中における演歌路線へのシフトチェンジであり、ちあきなおみに美空ひばり路線を継承させようとする、レコード会社の戦略というものであったことは否めない。

シングル盤ジャケット(B面・矢切の渡し)

「レコード大賞を受賞してから、いつもヒット曲を追っていかなければならない、という状態に疲れていました。『矢切の渡し』(一九七六年・酒場川B面)を出した頃に、これからは着物を着て、演歌路線でやってくれ、とレコード会社から言われて・・・・。私はもっといろいろなジャンルを歌いたいと思っていたので、そうやって範囲を狭められるのは嫌だな、と思いました。それから意見が合わなくなり、合わないところでやっていてもしょうがないので、会社を辞めました。そして辞めるとき、いろいろなことを言われて・・・・。会社としては、辞められては後の人に示しがつきませんから、私がわがままで辞めたとか、悪者にされて。そういったいろんなことが嫌で、少し休みたいと思ってました」

 これは、一九九二(平成四)年の活動停止以後、ちあきなおみが私に話して聞かせてくれた、一九七三(昭和四八)年から一九七八(昭和五三)年当時の状況である。
 私の見地より顧みれば、ここではきわめて重要なことが語られていたのだ。こうやって述懐していても、ちあきなおみの真摯な表情が強く眼を射るようである。
 だがこのとき、私はこの言葉を嚙み砕いて消化することができなかった。
 ただ、自分が好きなように歌えないことでレコード会社を辞めた、という潔さと、その心の奥底にある、なにか揺るぎない歌への信念、そしてそのことによって悪者扱いされた、という事実が頭の中に残ったのだった。
 そして今、言葉を目の前に置き、言葉の意味を吟味し、当時の背景を一部始終照らし合わ
せてゆくと、実はここに、ちあきなおみ最大のドラマがかくされていたのである。

 いったいこの時期、ちあきなおみになにが起こっていたのだろうか。

 当時の所属レコード会社、日本コロムビアは、ちあきなおみを美空ひばりの後継者第二の美空ひばりというアングルで照射していた。
 戦後日本における歌謡曲は、やはり美空ひばりとともに、テレビの普及と同じ振幅で昭和時代を歩んだ、と言えるだろう。
 敗戦の深傷を抱える日本人の心に、美空ひばりの歌声はなにか超自然な力を秘め、人々の精神的な治癒に向けて大きな役割を果たしたことは確かだと思われる。

映画オリジナルポスター(1949年)


 そのような時代から劇的に立ち直ってゆく昭和日本の国民の傍らには、常に美空ひばりの歌があり、貴賎の別なく目視し、聴き、その姿は非戦への思想とも符合し、美空ひばりという歌手は日本人の心の中にくっきりとした輪郭を見せて存在しつづけていたのだ。

 そして、その幻妙とも言える歌唱、表現の懐の深さと奥行は、歌謡界における唯一無二の女王として、他の追随を許さず、並び立つものはいなかったのである。
 そんな状況下の中、美空ひばりと双璧をなす歌唱力を持つちあきなおみに、その牙城を崩さんとする勢いで両者並立時代を目論み、言葉の中にあった、「着物を着ての演歌路線」、つまり、美空ひばり路線をちあきなおみに継承させようと企んだのが、当時の歌謡界の趣だったとするのは、それほど的を外した推論ではないだろう。
 だが、ちあきなおみはその軍門に下ることなく、ここではっきりと異を唱え、確実にヒットを狙える安定路線を拒み、一歌手として、ちあきなおみ路線を歩もうとしたのである。その行為は、自己の才能への絶対的自信に基づき、歌への並々ならぬ愛情から発せられているのだ。その歌手としての矜持が、商業主義という反対方向からの風によって揺らごうとするのならば、向き合ってみせましょう、ということである。
               つづく


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