死は悪ではない
ブログバックナンバー 2021.10.12 Tuesday ※一部編集
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現代の人間の、思想の限界。
それは死を肯定できないこと。
もちろん、私たちが生まれつき死を拒絶する意志を持っているのは、言うまでもなく当然のことだ。
だが人間が文明の進歩と共に、例えば「弱肉強食」といった考えを少しずつ穏やかなものに変えていったように、
「死」に対する考え方も、私たちの意識の進化にあわせて、少しずつ変わっていくべきだと思う。
問題は以下のようなことだ。
死を肯定できないとしたら、本当の意味で生を肯定することはできない。生は必ず死へ辿り着くからだ。
医療や機械が発展し、人間がどれだけ長寿になったとしても、生きているのであれば必ず死や滅びに直面するときが来る。
「天寿を全うする」という言い方があるが、では天寿を全うできずに死んだ人の人生は、失敗なのか。敗北なのか。間違いだったのか。
私はそうは思わない。
死が悪だとしたら、今まで死んだ人たちのことをどう捉えたら良いのだ? どうやって彼らを祝福すれば良いのだ?
死は悪ではない。死んだからといって、悪くなったわけではない。
それにもし、私たちが死という悪を「回避するため」に生きるとしたら、それは本当に生を望んだり、喜んでいることにはならない。
「あっちの道が嫌だから、こっちの道を行こう。」というだけの話ではないか。
死は、あっても良い。私はいつか死んでも良い。だがそれ以上に、生は面白いのだ。だから私たちはまだ死にたくないし、一緒に同じ世界を生きたいのだ。私はそう思う。
私にも、若くして死んだ友人が何人かいる。彼らが、悪い、間違った、駄目な人生を生きた人間だったと私は言いたくない。
わたしの言葉はただ感謝と労いだけである。「ありがとう。一緒に生きてくれてありがとう、一緒に世界を作ってくれてありがとう、辛い思いをしただろう、疲れただろう、苦しいこともあっただろう、でもおかげで私は、少しだけ寂しくなかった。それはきっとすごいことだ。私はいつまでも君のことを覚えているだろう。」
人の苦しみは世界を改善する薬になり、人の喜びは今日一日を支える糧となる。
命がこの世界の血液となって、私たちの間を今なお流れているのが見える。生は死に、必ず辿り着く。だとしてもそれは、素晴らしい。