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黄河決壊1938年

戦争史上最大の環境破壊と言われる黄河決壊は、中国国民党が日本軍の進軍を阻止するために行ったもので100万人が溺死し、600万人が被災したと言われている。中国では花園口決堤事件と呼ばれている。

世紀の悪逆

1938年(昭和13年) 07月 06日 アサヒグラフ

黄河洪水・米紙論調

これらの地方を占領した以上同地方における羅災民を救済するのは当然日本の責任だが、日本はまじめにこの責任を負って衣食住を失ったこれらの窮民を救済するだろうか。もし日本軍が一時その軍事行動を中止してこれら窮民の救済に努めるならこれまで日本に対して悪かった世界の世論を少しは好転させることができるかもしれない。

このように言っていた偽善者たちは1944年のプロパガンダ映画で日本軍の進軍を止めたことを誇っています。

1938年6月18日 朝日新聞

黄河水地獄の魔手を衝く 尚も止まぬ破壊作業

支那は河岸に無数のトーチカ或いは各所に壕を設け昨年10月以来工事を続けていた誘導壕というものを造ってこの誘導壕がなければ黄河の決壊はそう簡単にはやれるものではない、
堤防も氾濫までには至らないことは過去における記録によって明らかである。例えば自分の調査した安庄付近の誘導壕は長さ1里の戦車壕のようなのが2か所あった。その口は1つは東南、1つは西南に向けられ30尺の水門を構築して居る。その誘導壕に黄河の水を注ぎ込み水門を切れば直ちに堤防は氾濫するように実に巧妙な装置が施されていた。
これに使役したものは付近の部落民で毎日数千名を使い各部落毎に責任〇〇区域を設置して強制労働をやらせて居る。1か所の誘導壕を造るのには5千人の人夫を10日間必要とする。黄河を決壊するにはこれほどの日数が必要なのである。

支那側の逆宣伝は子どもさへ騙されない。自分が決壊個所に近くまで行くと戦争がないのにドンドン大砲の音が聞こえた。我々が来たからさては洋砲で脅かして居るなと思ったが-中略-土地の故老の話によると黄河の決壊は出水期の7月になるのが例となって居るが日本軍が余りにも早く押し寄せてきたため出水期を待たずにやったものである

1938年6月20日 朝日新聞

蔣介石の支那軍によっておこされた #黄河決壊事件 に関して、スペインの #ディアリオ・バスコ紙は6月19日付の新聞で、支那を批判しない英米仏を批判しています。

サンセバスチャン(スペイン)特電20日発


サンセベスチアンで発行されるスペイン有力新聞ディアリオ・バコスは19日「支那人の戦法」と題する論説を掲げ支那軍の残虐なる黄河堤防の決壊とこれに対する英米仏等の奇怪なる沈黙ぶりとご都合主義とを痛撃し左の如く述べている。英仏両国がスペインフランコ軍の全然適法かつ正当な空爆に対し病的神経過敏を示し、米国上院がその人道主義を吾人に押し付けんとして葬式の泣女の合唱に参加しつつある折柄、支那軍は黄河の堤防を破壊しノアの大洪水に勝る大水害を来たさんとしつつあり、西仏領土に殆ど匹敵する中支70万平方キロの地域は水中埋没の危険に瀕し、7千万の住民はこの恐怖すべき大洪水の犠牲とならんとしている。しかるに英米仏いずれよりもこの世界に前例のなき人類一大悪殺に対し一言たりとも抗議する声を聴かない。この奇異な態度こそボルシェビィズム及び民主主義者流の特質とする〇言及び事実を歪曲する支那人でなければ諒解することが出来ない。彼等は平和を語りながら戦争を挑発し条約履行を他に要求するときは条約尊重を宣言し、自己が債権者なる時は債務の神聖を主張し、反対の時にはその神聖を没却しかくて至るところはに革命精神を伝播しつつ人命の尊重を要求している。隅々一飛行機が非戦闘員の犠牲を出したからと言って声を大にして非難するもソ連では数百万の不幸な者を死刑としスペイン人民戦線政府の秘密裁判所は50万の無辜のスペイン人を虐殺し支那軍が数百万の平和なる住民を溺死せしむべき大洪水を起こしても只管沈黙をまもっているのはこれ彼らの心事を以てしなければ理解出来ない。吾人はかかるご都合主義的〇〇を人類の尊厳を汚辱するものとして世界各国が絶対に排撃しない限り所論文明に対し不信を感ぜざるを得ぬ。

同盟ニュース

昭和13年6月23日
泥流渦巻く黄河の洪水被災地で、日本軍が中国人を必死に救助した。

日本兵は中国人被災者におにぎりを配給

皇軍の救済

天を仰ぎ地に伏して慟哭した農民たちにとっては、
皇軍の手厚い救済は1滴の水、1粒の米よりも尊いものである。(写真は食糧を配給する〇〇班に対して日章旗と五色旗をうち振って喜び集う水災難民)

The battele of CHinaでの黄河決壊映像

1944年にアメリカ民主党によって制作されたプロパガンダ映画では
中国軍は日本軍の進軍を止めたことを誇っています。

蒋・決潰戦術を誇る

1938年(昭和13年)07月04日 朝日新聞

黄河河工200を殺し、敵敗走 氾濫救援に日支協力

開封市には黄河河務局があり、黄河に事情に通ぜる河工2百名がいたが、支那軍敗走の際これらが日本軍に利用される事を恐れほとんど全部殺害してしまった。
これによって支那軍の黄河決壊がいかに計画的であったかが明白

1938年6月17日 朝日新聞
1938年6月17日 朝日新聞

支那のデマを粉砕

黄河決壊の責任を日本側に転嫁せんとする支那大使館

1938年6月30日 朝日新聞

洪水地区にコレラ

今次支那軍の黄河決壊暴状は自国民の生命及び財産を喪失せしめたに留まらず僅かに水害の苦難を免れた開封市西北方5里東〇真及び黄河河岸5,6ケ村では数日前より猛烈なコレラが発生、晴天続きと不衛生で予防を知らぬ部落民に忽ち伝染既に死亡300名以上、毎日州余名の新患者を出し過去数十年来にない大流行を記している。これに対して我が軍防疫部では逸早く防疫医を現場に派遣し予防注射並びに防疫消毒、患者の隔離に不眠不休の活躍をなしている。
さらに開封師では昨9日からコレラの流行を防止するため西北両門を封鎖し一般通行を禁止する外我が軍側の手で市内の消毒、市民の予防接種をおこないコレラ防止に大重の努力を続けている。

1938年7月11日朝日新聞

洪水だけではなくコレラもばらまいていた中国国民党


1938年11月16日 朝日新聞


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