南京虐殺と騒いだアメリカの宣教師たちは日本兵の中国市民虐殺を見たことがなかった。
日本軍は南京で起きている犯罪が難民区に潜んでいる中国兵によるものとみてアメリカの宣教師たちが中心となって作っていた自称南京安全区から難民の退去を通告しました。
アメリカの宣教師たちは、自分たちの保護がなければ南京は地獄になると猛反対したが、安全区解散後の1938年2月以降、南京の治安は回復しました。
1938年1月3日上海発でニュークタイムズ紙は
南京の金陵大学に難民福祉委員会(自称安全区)メンバーとして残留のアメリカ人教授(ベイツ宣教師)らは、便衣と成った中国軍大佐とそ