東京裁判

当時の中国国民党のインテリジェンスの戦術。それは1938年にオーストラリア人のジャーナリストであるハロルド・J・ティンパーリーを雇うことであった。ティンパーリーはイギリスの日刊紙「マンチェスターガーディアン」の中国特派員として上海で取材をしていた。
国民党によって提供された情報をもとに一冊の本を書くためにティンパーリーは雇われたのであった。
その年にニューヨークとロンドンで出版された彼の本は「戦争とは何かー中国での日本のテロ」というタイトルがつけられていた。赤い色のハードカバーで、そこには「レフト・ブック・クラブ」と「非売品」と書かれていた。
レフト・ブック・クラブは左翼知識人団体で、その背後にはイギリス共産党やコミンテルンが存在し、その出版活動を支援していた。
この本は、南京を占領した日本軍が行った犯罪的な残虐行為をジャーナリストが現地で目の当たりにした衝撃から書いた、客観的なルポとして受け取られていたが、現在では国民党中央宣伝部という中国国民党政府の情報機関がその内容に深く関与していた事が明らかになっている。
また、国民党中央委員会出版部が1996年に台湾で出版した「中国国民党新聞政策之研究 1928ー45」には南京事件という項目があり、次のような詳細な説明が記載されているようだ。
「日本軍の南京大虐殺の悪行が世界を震撼させた時に、国際宣伝処は直に当時南京にいた英国の「マンチェスター・ガーディアン」の記者ティンパーリーと、アメリカの教授のスマイスに宣伝刊行物「日軍暴行紀実」と「南京戦禍写真」を書いてもらった。これからの本は一躍有名になった。
このように中国人自身は顔を出さずに手当を支払う等の方法で、「我が抗戦の真相と政策を理解する国際友人に我々の代言人になってらもう」という婉曲的な宣伝手法それは、国際宣伝処が戦時に最も常用した技巧の一つであり効果が著しかった」

さらに国際宣伝部の曹虚白がティンパーリーとの関係について、自叙伝でこう言及している。
「ティンパーリーは都合のよいことに、我々が上海で抗日国際宣伝を展開していた時に、上海の「抗戦委員会」に参加していた3人の重要人物のうちの一人であった。ー中略ー 目下の国際宣伝において中国人は絶対に顔を出すべきではなく、我々の抗戦の真相と政策を理解する国際友人を捜して我々の代弁者になってもらわねばならないと決定した。ティンパーリーは理想的人選であった。かくして我々は手始めに、金を使ってティンパーリーを経由してスマイスに依頼して、日本軍の南京大虐殺の目撃記録として、二冊の本を書いてもらい、出版することにした」
このように世界に発信した英文資料は中国版CIAによって工作されていた。

このようにティンパーリーは中国国民党の工作員さながらの活動を展開していた。金を貰っていたことも間違いないようだ。
南京で30万人の民間人が虐殺されたと世界へ発信したのもティンパーリーだった。この数字がどこから出てきたのか、根拠がないようだ。
このようにして日本人は野蛮な民族だと宣伝することに成功したのだ。

それにしても、ここ500年は白人至上主義による有色人種、特にアジアへの虐殺の歴史であったと言えるだろう。
ひどいものだ。
彼らの信仰であったキリスト教のゼウスは、異教徒は虐殺して良いと述べているそうで、それが元になって虐殺が繰り広げられてきたらしい。
もちろん、現在ではキリスト教にも様々な種類があり、日本のやおろずの神の信仰に近いキリスト教も存在するらしい。だから、一概にキリスト教だからとひとくくりにする事は出来ないが、当時のゼウス信仰のキリスト教では
そのような状況であったようだ。
彼らがアジアを侵略、虐殺、植民地化してきたので日本も自衛のために戦うしかなかった。そう、自衛の為の戦争だったのだ。マッカーサーも後にアメリカへの報告でそう伝えている。
日本がアジアを侵略したとか、虐殺したとかは嘘だ。


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