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スポーツ記事を書きたい菅野完さん、ガード下居酒屋の酔っ払い並みの栗山英樹監督論をご開帳

菅野完さんがフェイスブックで栗山監督論を御開帳

 菅野完さんは、RKBラジオ「櫻井浩二インサイト」の「インサイトコラム」水曜日のコメンテーターを務めていましたが、この中で歯も浮くようなゴマをすっていたことがありました。それは同じ番組に出演していたスポーツライターの玉木正之さんに対するもので、「私は玉木さんの文章を写して文章の勉強をしています」というものでした。おそらく、パーソナリティの櫻井浩二さんを通して玉木正之さんに伝わることを期待してそう述べたのでしょう。
 玉木正之さんに関するエピソードだけでなく、菅野完さんがスポーツ関連の記事を書いていきたいと述べている場面は多くみられます。例えば、自身が執筆した相撲に関する記事をツイッターで引用しながら、「このような記事も書きます」と宣伝していたのもその一例です。

 その菅野完さんがWBCの栗山英樹監督論を述べるというのですから期待するしかありません。私は興味津々で菅野完さんのフェイスブックを閲覧しました。

おそらく本日以降のメディアは「結果論解説」ばっかりになるだろうから、あえて書いておこう。 WBC、日本は優勝しはしたけれども、栗山監督を果たして「名将」と呼べるかといえば、僕は大きな疑問符がつくと思う。 特に僕が疑問に思うのは、以下3つ...

Posted by 菅野完 on Tuesday, March 21, 2023

おそらく本日以降のメディアは「結果論解説」ばっかりになるだろうから、あえて書いておこう。
WBC、日本は優勝しはしたけれども、栗山監督を果たして「名将」と呼べるかといえば、僕は大きな疑問符がつくと思う。
特に僕が疑問に思うのは、以下3つの采配
1)イタリア戦8回での大谷のバント
2)メキシコ戦での村上の継続起用
3)アメリカ戦でのダルビッシュの継投
この3つとも、「結果OK」ではある。が、どうもしっくりこない采配だ。
村上を使い続けたことは「人間」「ドラマ」「ストーリー」としては美しいが、果たしてあの采配が「勝ちに行く」采配だったかといえば、多くの人が首を傾げるだろう。今日の決勝でダルビッシュを登板させたことも同じく「ストーリー先行」で「勝つための方策」とは考えにくい。イタリア戦の大谷バントも「意外性」「ドラマ」としては成立するが、あの状況であんな作戦を採用する論理的必然性があるのかといえば、全くない。
野球はスポーツであり、WBCは立派な興行だ。そうである以上、「ドラマ」や「ストーリー」で観客を楽しませる必要はある。だが同時に、試合、とりわけ「勝つ試合」は、ドラマやストーリーなどの情緒だけで組み立てられるものではないはずだ。かならず、論理と科学と統計などの知的な側面が必要となってくる。そしてその「知的な野球」こそ、まさに栗山監督が日本代表の監督に選任された理由だったはずだ。
しかし、上記3采配をはじめ、今回のWBCでの栗山監督は、情緒的采配が目立った。「栗山らしさ」のない試合が多かった。おそらく本人はそれに気づいているのだろう。だからこそ、勇退を口にしているのだろう。
勝利の美酒に酔いながらも、栗山監督は、「自分という商品の性能上の衰え」を痛感しているに違いない。

菅野完フェイスブック

菅野完さんの栗山監督論はなぜダメなのか

菅野完さんの一丁目一番地の結果論解説

 菅野完さんは、次のようにおっしゃっていますが、村上を交代させなかったことについて、試合中には「栗山のクソ根性は賞賛に値する」などと述べていました。つまり、ご自身は試合中に客観的な視点を持ち合わせて観戦しているわけではないと露呈させたわけです。

おそらく本日以降のメディアは「結果論解説」ばっかりになるだろうから、あえて書いておこう。

菅野完フェイスブック

あそこで村上変えへんかった栗山のクソ根性は賞賛に値する。

Posted by 菅野完 on Monday, March 20, 2023

あそこで村上変えへんかった栗山のクソ根性は賞賛に値する。

菅野完フェイスブック

 私が有料記事を購読しているスポーツライターの方は、試合中においても客観的な視点を忘れることなく、あのような試合の見方をしていれば単純に試合にのめりこむことができず楽しくないのではないかとまで思っていたのですが、菅野完さんは試合中には「栗山スゲー」と叫び、試合後に結果論で「栗山ダメじゃね?」と簡単にご自身の発言を撤回されています。この菅野完さんの姿勢にスポーツライターらしい感覚を微塵も感じることはできません。

とっくにデータ分析が進んでいるスポーツ界

 菅野完さんは栗山英樹監督がデータを重視する姿勢が買われて日本代表監督に就任したかのようにおっしゃっていますが、現在のプロスポーツはとっくに高度なデータ分析の上で作戦を立てるものとなっています。今回のWBCにおいても、日本代表と相手の選手の調子、投球の組み立て、打者が好きな球種などありとあらゆる情報が分析担当のコーチから監督に上げられているはずです。したがって、栗山英樹監督を情報等の「知的」な采配と表現する菅野完さんの認識は完全に周回遅れのものであると言えます。

データだけでは判断できない部分をどう決断するか

 これらの多くの情報を分析することで、「濃い」「薄い」という分析結果が出てきます。ある打者がある投手のスライダーに対しヒットを打つ確率が非常に高いという風にです。ただ、問題は、この「濃い」「薄い」という分析結果は、次の打席である打者がヒットを打つことや走者が溜まって一打逆転という局面でタイムリーヒットを打つことを何ら担保しないということです。
 したがって指揮官は非常に孤独な判断を強いられることになります。データと心中して分析結果に沿った決断をなすにしても、データによらず潮の流れなど自らの勘に沿った決断をなすにしても最後は指揮官の決断だけが残るのです。このような勝負師としての指揮官の立場を考えていない菅野完さんの栗山英樹監督論は、ガード下居酒屋で自説をご開帳する酔っ払いと何も変わらないと言えるでしょう。