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他人と同じでなければならないと思ってしまう、この社会で

こんにちは。こえです。
家族4人でアメリカに移住し暮らしています。

今日はアメリカと日本の学校教育を行き来している息子を見ていて感じた
日本の同調圧力について書きます。


息子は1歳9ヶ月まで日本で育ちました。

アメリカで約4年過ごし、
5歳のときに日本に帰国しました。

幼稚園の年長から小学1年生の1学期末までの
1年4ヶ月を日本の教育機関で受けたのち、
7歳でまた渡米し、5ヶ月が経ちました。 

我が子ながら、
よくがんばっているなぁと思います。
新しい環境に素早く順応し
新しい言語を興味を持って習得していて。

親の都合に合わせて
たくさん引っ越しをしなければならなくて
すまない。息子よ。

という思いは置いておいて。

今日、まとめてみたいのが、
日本の小1時代の息子の様子です。

一言でいうと、
息子は、はじめての日本の学校生活で
同調圧力に苦しんでいるようでした。

息子は観察力があって
小さな変化にも敏感なタイプです。
周りの視線とか、何気ない一言を気にするタイプなのかもしれません。

そんな性格の彼は、小学校に入学すると
ほんの小さなことを気にするようになりました。

たとえば、雨の降る朝。
今日は長靴で行ったらいい?
スニーカーで行ったらいい?と
半べそで悩んでいるのです。

午後まで降るから長靴にしたら?と答えても
みんなも長靴で来るの?と。

一人だけ長靴だったらいやなのかなとおもい、
大雨じゃないからスニーカーでも大丈夫だよと言っても、
じゃあみんなスニーカーで来るの?と。

当然、最後まで答えは出ず、
半べそで登校するのです。


また他の朝には
今日は半ズボンか長ズボンか
どっちを履いていったらいい?と本気で悩んでいる。

そんなことが毎日のように繰り返されたのです。

アメリカの現地校に通う今、
息子が学校に何を着ていくか
悩んでいるところを見たことがありません。

初めて住む雪の降る地方だから
こちらのほうが毎朝、頭を悩ませるくらいです。
でも、本人に聞くと、なんでもいいよーという感じ。

この差、何なのでしょうか。
息子の場合は、
次の三つのアメリカと日本の学校生活の違いが
その差を作る要因になっていたように思います。

日米の学校生活の違いの1つ目は、
アメリカの学校は多様性の豊かで、
豊かすぎるゆえに比べようがない。

だから、小さなことを誰も気にしないし
気にしたってしょうがないということだと思います。

現在通っている小学校に
日本人は息子ひとりです。

それ以外の子は、アメリカ人の子もいれば、
外国人として、学校に通っている子もかなりの数います。

人種でみても、白人、黒人、インド人、その他アジア系、ヨーロッパのバックグラウンドのある子。
様々な子がいるようです。
想像するに、服装も様々なんでしょうね。

寒い日でもコートを脱いだら半袖の子もいるし、
脱いでも脱いでも防寒着。のような子もいます。

そんな中では、みんなと違う服装でいくのは嫌だ、
という考えにならないのは当然だろうと思います。

だって、「みんなが着ているコレ」っていうものが
存在しないのだから。

みんなで同じになる必要もないし、
みんなと違うことを気にする子もいない。

そんな感じです。
人は人、自分は自分。

2つ目の違いは、
日本では、
ちょっと違うことをしていると
それを指摘する(してくれる)人がいるということ。

息子は初めて通った日本の幼稚園で
しっかりものの女の子に、
朝の支度の順番がちがうよと注意された
と不服そうに帰ってきたことがありました。 

朝の支度とは、通園バッグから自分の荷物を出したり、
着替えをしたりする
登園後の一連の支度のことです。 

適当な私は、
そんなのどんな順番でやったっていいじゃないと思うのですが、
園には園のやり方があったのかもしれません。 

親切に、やり方が違うよと教えてくれる
しっかりした子がいてくれたのはありがたいですが
指摘をされるって息苦しいときもありますよね。

これは推測ですが、
小学校に入り、服装を気にするようになったのも、

半ズボンで登校した日に
クラスメイトの子に
半ズボンで寒くないの?とか
雨やんだのに長靴だね、とか、

何気ない声掛けがあったのかもしれない、と思ったりします。

そんなまったく悪意のないものでも、
指摘を受けることで
「あぁ自分は周りに見られているんだ」という意識が芽生え、
「みんなと同じでないと、また何かを言われる」という意識に育ち、
同調圧力に変わっていくのではないでしょうか。 

コロナ禍でよく話題に出たマスク警察とかも
その類だと思います。

日本では、みんなと違うことをしていると指摘される。
みんなに見られている。という感じです。


三つ目の違いは
日本はルール第一主義。
アメリカはルールの上に人がたっている感じです。

先程の幼稚園の支度の手順にしてもそうですが、
日本では、細かいことまでやり方が決まっていて
その通りに進めることがよしとされますよね。

幼稚園で工作の際に、
のりを塗るときの指を動かす方向まで
細かく説明してもらっていたのには驚きました。

アメリカにももちろんルールはたくさんあるけれど、
どうでもいいルールに関しては日本ほど厳格ではない。

アメリカでは幼稚園の支度なんか、
10人いれば10人が違ったやり方をしていましたし、
(弁当箱や水筒を一つ一つ運ぶために
同じ場所を何往復もしたりして
めちゃめちゃ時間がかかって非効率だけど
先生も何も言わないのとか日常茶飯事)

そもそも、日本人と比べるとおおらかな国民性といっていいのだとおもうのですが、
多少ルールから逸脱しても、悪意のあるものでなければ、
「全然大丈夫だよ」と先生たちの100%の笑顔でのフォローがあります。

「ああ、間違っても全く問題ないんだな」と思わせてくれる安心感があるようです。

先日、私が寝込んだときに
息子が、返却する図書をアメリカの小学校にもっていくのを忘れて行ってしまいました。

完璧主義の息子は、忘れ物をしたこと自体もストレスを感じるだろうし
返却しないと新しい図書が借りられないから
きっとがっかりするだろうと思って帰りを待っていたら、

「全然大丈夫だった。
今日の本、もう一回読みたいと思ってたから
新しい本借りれなくても全然平気!」と
なんならいつもよりご機嫌で帰ってきました。

どうやら、担任の先生が、
忘れ物をして動揺していた息子を見てしっかりとフォローしてくれたようでした。

そういう時、アメリカって
ルールよりも、人を優先する文化があるよなって思うんです。
もちろん時と場合によるのだとは思うんですが、
忘れ物したからだめだね、とか言うおとがめはあんまりしないイメージです。

そんなおおらかさのある環境だから、
二つ目の違いとして書いた、
指摘する人、というのも少ないんだと思います。
ルールも厳しくないし
それを逸脱した時にダメ出しをする人もいない。
だから、だれかと一緒じゃなきゃ、と思わずにいられるという感じでしょうか。


さいごに。
同調圧力という言葉って
とても強くて重みがありますよね。
日本には同調圧力がある、というと
なんだか日本のことを悪く言っているような気がして
難しい表現だなと思いました。

文章を書き始めて日が浅く未熟なところがあるかもしれません。
不適切な表現があったらどうぞご指摘ください。

ただ、私も息子も日本のことも大好きで
日本にまた遊びに行く日をとても楽しみにしているのも事実です。

どうか、いろんな世界があるんだなと楽な気持ちで読んでいただけましたら幸いです。

ありがとうございました。

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