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大人の読書感想文~スポーツと言語化の循環がもたらすもの~

熱が冷めないうちに雑で良いから書き留めておきたい。オリンピックの400mハードル銅メダリストの為末大さんの『ウィニング・アローン 自己理解のパフォーマンス論』を読んでの気づきや想いを書き記す。

前談:当著書を読んだきっかけ

僕は小1から高3まで野球をやっていた。10年以上野球をやってきたけれど、小4がピークで中学以降はレギュラー選手になることもなかった成功とは真逆の野球人生を過ごした。社会人になってからフルマラソン、トレイルラン、ボルダリングに出会って、趣味の世界でやるスポーツの楽しさに気づいてしまった。この本を手に取った理由は、かつてバッテリーを組んでいた相方がバイオメカニズムという学問分野があることを教えてくれ、Amazonでヒットしたからだ。本の中身はバイオメカニズムの要素も僅かながらありつつも、どちらかというと為末さんが競技者として試行錯誤してきた思考の軌跡が詰まっている。元スポーツパーソンはもちろんのこと、何かに向けて頑張る全ての人にヒントが詰まっているおすすめできる本だと思う。著書から得た着想をもとに、以下3点について自分の思考を織り交ぜながら掘り下げていきたい。

  • 外界とのインターフェイス

  • 楽しむとは対象物に自分なりの創造性を持たせること

  • スポーツにもう一度踏み込んでみる

外界とのインターフェイス

多くの人は表情を持っている。人は人の表情を見て、多くの情報を捕まえている。容姿をはじめ喜怒哀楽に関するその人物の様相が顔という媒体を通じて放たれている。自分の顔を外界と繋がるインターフェイスと捉えたときに、できるだけ外の世界を寄せつけないモードに切り替えることで、より少ない物事に集中できるようになる。トップアスリートにとって外との関わりによって一喜一憂している暇などないのだ。
自分自身も野球をしていた時は、表情が自然と勝負する顔になっていたと思うし、今でも長距離ランでピークにいる時は闘う表情をしている気がしている。思えば僕のファンであるニュージーランドのマオリ民族によるHakaも、表情によって外界との関係性を形成していると捉えることができるだろう。その場その場に応じて自分の表情を変えることで、自分本来のパフォーマンスを発揮できるかもしれない。やってみよう。

楽しむとは対象物に自分なりの創造性を持たせること

別著書の“Big Magic”でも同じことが言われているが、「楽しむとはエネルギーを注ぐ対象物に対して自分なりの創造性を働かせること」といった趣旨のことが本著書でも書かれている。冒頭に社会人になってからのスポーツが楽しいことに触れたが、これは自分なりの試行錯誤を自分の身体に落とし込もうとする過程が楽しいからなのではと思っている。意識のかけ方や力の入れ具合、或いは抜き加減によって、パフォーマンスが変化する。そういう実験が楽しい。
日本人の多くは学校の部活動やクラブでの習い事を通じてスポーツを経験するが、無駄な集団意識が抑圧を生み、個人の創造性が削がれてしまう。練習時間や疲労感に美意識を持つ傾向が強く、エネルギーの矛先を自分に向けづらい。スポーツ以外の実社会や仕事においても、自分なりの創意工夫を持って楽しむことができているか今一度見直してみたい。

もう一度スポーツへ踏み込む

30歳という自分の年齢はおそらくもう身体が成長するピークは超えてしまっているけれど、逆にもう一度踏み込むならこのタイミングかもしれない。トレイルランの後の達成感と充実感は半端なく心地よいし、ボルダリングで得られる自然との触れ合いは自分に生きた心地を与えてくれる。バイオメカニズムとその周辺分野を勉強しつつ、自分の体に机上で学んだことをインストールしていくことをやってみたい。

まとめ:心と身体の連動を創り出すもの

為末さんの言語化力と内省力に驚かされた。自分の身体の動きを見たり、観たり、眺めたりすることで主観と客観を振り子のように行き来している。盲信状態と客観視状態の往来とも言ってもいいかもしれない。自分を俯瞰し、どういう状態であるかを言葉に落とし、目標を定めて行動に移す力をさらに磨いていきたいと思った。言葉が心と身体の連動性を滑らかにしていく。

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