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たまに出会う泣ける邦画〜チキンレース〜父親の背中

映画「チキンレース」を見て想ったことと、父親との思い出について綴ります。

久々に親父つれて飲みにいかなって。

思えば父さんと飲みに行ったのはまだ1回しかない。社会人になって2年目くらいのときに父さんの誕生日にかこつけて連れて行った"やった”地元の沖縄料理の居酒屋で、たわいもない話をしたのを覚えている。居酒屋を出た後の父さんは千鳥足になりながらもどこか誇らしげな様子だった。それを見た母さんが家で羨ましそうにしていた記憶はまだ鮮明に残っている。

邦画で泣くのは決まって家族をモチーフにした情にうったえてくる映画

訳あって家族のことが気になり始めて選んだ映画が「チキンレース」だった。ストーリー自体は見るか、ググれば出てくるので割愛する。二人の主人公は実の親子でもないのに、まるで親子、いやそれ以上の絆を体現している。親子、特に息子と父親といった男同士の場合はなかなか正直に心をぶつけ合って語り合えることは世間一般でも少ないと思う。でもきっと、子は親を尊敬し、親は子を愛しているんだとそう信じてやまない。

いつかきっと言いたい。おれも父さんを尊敬してるって。

幼少期はいつもど叱られ、家にいれてもらえない時もあった。キャッチボールをして暴投を投げれば「取りに行け」の一言を投げつけられ、苦しんだ時期もあった。時には全く言うことを聞かなくなったこともあったけど、今では尊敬してるし、父さんの背中を追いかけている”感”はある。

仕事に向かっていく父親の背中

幼少期、父親は決まって朝5時に起きて6時頃には家を出ていたと思う。母親はそれに合わせて起きて弁当を作っていた。そして僕もごくたまに父親が家を出ていく前に起きて「いってらっしゃい」と声をかけていた。仕事着に身をまとった父親の背中は決して大きくはなかったけれど、かっこよかった。

あ、もうあの時の父親ではない。

小学校の時はよく父さんとキャッチボールをしたけれど、中学時代の思春期にはそれがなくなり、高校生になってからキャッチボールをした記憶はない。確かあれは大学生になってからだっただろうか。中学生以来に弟を交えて父親とキャッチボールをした。小さい時は父親が投げる豪速球が怖くてキャッチボールを終えた後は手のひら真っ赤になっていた。当時50代後半にもなった父さんの球はそれほど速くはなく、どことなく優しさ、或いは衰えを感じた。

頼むから働いてくれ。

大学4回生中盤、卒業後の進路について悩んでいた。志望した企業から悉くお祈りメールを受け、途方に暮れた。どことなく、海外の大学に憧れを持っていたから、就職は一旦せずに海外の大学院を目指したいと父親に告げた。返ってきた反応は「頼むから働いてくれ。」だった。この言葉は鋭く、且つ重く胸に突き刺さった。就職という社会人への脱皮を目前にして、世間からは不要というレッテルを突きつけられながらも本当にこのままでいいのかという迷いがあった。父さんからのこの一言は自らを背水の陣に立たせた。

そして決まった就職

運良く、自分が就職、いや人生の指針にしている「挑戦し続けること」、「グローバルに活躍をすること」という2点に沿った企業から内定をもらえた。今ではその会社に勤めて5年目になるが、当時の父さんの言葉、激励してくれた大学時代の関係各位、そして内定をくれた会社には感謝しきれない。

つづく










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