“見たくないものは見なければいけないもの“〜米国拠点立上時代を振り返って〜
前談:同僚とのエアビー生活とオフィス立上げ
2023年の1月末から4月頭の2ヶ月強、アメリカのシカゴに出張をしていた。当時勤めていた会社は未上場スタートアップで、米国拠点を立ち上げるタイミングで渡米した。米国拠点のメンバーは日本からの出張者のみで、アメリカ人は0だった。寝泊まりは同僚と共同でAirbnbに住み、1ヶ月毎に家を転々とするヤドカリのような生活を送った。1軒目は毎日ゴキブリと出くわしたり、2軒目はカフェのBGMが鳴り響く家だった。
最初の数週間はオフィスすらなく、滞在先のAirbnbのリビングで仕事をしていた。ダイニング用のカウンターやソファで仕事をして腰が痛くなった。一緒に滞在していた同僚とは文字通りプライベートと仕事の境目なく共同で生活を送った。しばらく経って突貫で借りたオフィスにあったのは、各々が持参したノートPC、デスク、椅子のみだった。オフィスのレイアウトを整え、備品を揃えるところから始まった。
日本の会社を通じてアメリカで仕事をする場合避けて通れないのが時差の問題だ。意思決定をする部門が日本本社にある場合、アメリカ側が無理をしないといけなくなることが多い。日本に合わせて、起きていると夜中12時を超えることはザラにあった。
先輩がくれた本
そろそろ本題に移る。退職したそのスタートアップの先輩でずっと気にかけてくれている人がいる。まだ小さいお子さんがいるパパなのに、夏真っ盛りの土曜日の午前から時間をとって会ってくれた。昼を食べカフェを何軒か渡り歩きながらいろんな会話をした。別れ際に突然「Kodyに渡したいものがある」と一言。(きっと女性にもこうやって口説いてきたのだろうと勘ぐった。笑)先輩の鞄から出てきたのはブックカバーに包まれた本だった。タイトルを見た瞬間、絶対自分では買わない類の本だと思った。いわゆる良い会社に入る為だけの処世術が書かれていると思いきや、就職したくないと思えばむしろ就職するなとさえ書かれている。ちゃんと自分と向き合って、制限のない状態から夢を描きそれを叶えろと言っている本だった。本の中での口調が実に真っ直ぐで尻を叩いてくれる。
刺さった言葉がいくつかあるが、中でも以下は大切なことに気付かされた言葉たちだ。
米国出張のミッションと前提
アメリカでの出張ミッションは顧客との商談アポ獲得だった。役割はインサイドセールス。日本の界隈ではある程度名の知れたベンチャー企業になりつつはあったが、アメリカでは全くの無名。コールドコール、LinkedInのメッセージ、ビジネスネットワーキングと3つの方法を試したけれど、期待されていた数には到底届かなかった。結果が出ず、時間だけが過ぎていった。別に死にはしないと目標から目を背け、真摯に取り組もうとしてなかった。それなりに頑張ってはいたが、真剣度、実直度が不足していたと思う。
前提条件として、相当難しいミッションではった。米国育ちの帰国子女、親がアメリカ人のメンバー、海外駐在経験有りの営業責任者クラスでも、社長でも誰もやり方を見出せていなかった。日本のスタートアップでアメリカで成功している会社はここ数年出ていない。あのメルカリでさえも米国では苦戦を強いられている(いた?)。
自分から自分へのフィードバック
そういう逆境の中でもやれることはやっていたし行動量はそれなりにあった。でもそれなりではダメだった。厳しい自分を想像して、その時の自分を全否定してみる。
こんなことを他人から面と向かって言われたらひとたまりもない。多分この時代に言ってくる人もいない。言い出せばきりがないけど、まだまだできた。行動に対する振り返る仕組みを作ったり、電話アポ、留守電ひとつとってもフィードバックをもらったりすべきだった。ネットワーキングにおいても誰かと一緒に回って、立ち振る舞い、言葉遣い、コミュニケーション方法など身につけるべきことが沢山あったに違いない。でもそうしなかった。本気度が全く不足していた。
振り返りを経て
シカゴ出張時代を振り返っていつも周囲に語っていたのは、どちらかと言うと貴重な経験をしたという色が強かったと思う。でも実際はそうではなく、「全く奏功せず実力不足、覚悟不足を味わった経験」とこれからは言っていたほうが良さそうだ。蓋をせず、見たくないものほど見つめ直していこう。自分の弱いところ、雑魚いところ、あかんところと涙が出るくらい睨めっこして地に落ちよう。落ちて落ちて、落下したところから這いあがろう。その反動でまたぶっ飛べるから。
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