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大人は「宿題」に答えを持っている?「勉強する」を考える

子どもが、宿題がいやだと言います。
好きな勉強はあるようですが、宿題は嫌がります。
今回、この言葉から雑多な考えを広げてみます…

宿題が何のためにあるのか答えをもっていません

宿題も学校の勉強の一つです。
勉強は何のためにあるのかというと、子どもに学力をつけて良い人生を送ってもらうためです。さらに言うと、より良い社会を作ってもらうためです。


宿題は何のためにあるかというと…
1・学校外で勉強する姿勢を身に着けさせるため?
私は勉強する姿勢は強制されるべきでないし、机に向かうことだけが勉強ではないと思います。
元麹町中学校の工藤先生はこう言っています。

学習習慣とは、必要に応じて「主体的に」勉強できる子どもになってもらうことだと考えます。(略)机に向かって座らせることを目的にしてしまうと、むしろ、言われたことしかやらない子どもになりかねません。
(略)
ゲームをする、漫画を描く、筋トレに励む、ボーっとする。
これは子どもにとって何物にも代えがたい「特別な時間」です。大人からは「非生産的」に見えたとしても、それらはすべて「主体的」に取り組む時間だからです。

『麹町中学校の型破り校長 非常識な教え』 工藤勇一 SB新書

※ちょっと余談ですが、うちの子どもを見ているとゲーム・YouTube・テレビ番組(サブスクリプション)が「主体的に取り組むもの」にあたります。
これらを複数同時にこなすので本当に頭に入っているのだろうかと時々「これどういう話?」と試すのですが、一応ストーリーなどは把握しているようで。今の子は聖徳太子のようにマルチタスクに進化しているのだろうか?と観察・感心しています。

2・授業の延長を学校外でする意味はある?
私は授業で収まらないような勉強って何だろうと疑問に思います。
(単純な計算問題や漢字の書き取りを〇か✖で判定するような学力を上げることに意味があるのだろうか)

一律に出される宿題では子どもにとって「宿題をこなすこと」が目的になってしまいます。すると、自分が解ける問題を8割くらい解いて宿題を提出すれば、「よく頑張ったね」と親や先生から褒められ本人も満足してしまう。でも子どもにとってわからない問題はわからないまま。これでは学びになりません。

『麹町中学校の型破り校長 非常識な教え』 工藤勇一 SB新書

今でも宿題が必要という主張は大半かもしれません。
しかし教職者の中には、その存在自体を否定するものから、宿題を選択肢として扱うものまで、温度差も様々です。
明確な答えなどありませんが…私は宿題不要論に全面的に賛同します!

なぜ宿題がなくならないのか。それは、大半の学校では子どもを評価する手段として宿題が重宝がられているからです。その背景には国の制度上の問題があります。(略)
公立学校の宿題は、文科省が評価制度を絶対評価に切り替える通達を出してから一気に増えました。
大人世代が受けた学校教育と比べても、今の子どもたちははるかに宿題が増えています。しかも文科省はそれを意図したわけではない、予期せぬ副作用として起きたことなのです。
私は何も日本の教育制度を批判したいわけではありません。まず、現状の教育が本当に自律的な子を育てるという最上位の目的にかなっているのか、大人自らが当事者意識をもって問い直していかねばならないことだと考えています。

『麹町中学校の型破り校長 非常識な教え』 工藤勇一 SB新書

私は子どもに「やりたくなければやる必要はない」と言います。
しかし子どもは先生や周りの大人に「やってきなさい」「やらないと勉強が遅れる」「間違っているところが多い」などと言われているため、余計に混乱します。

「何で宿題があるの!?」という質問にはっきりと答えられない(または大人によって言っていることが違う)状況。
教育問題の深さを思い知らされます。


勉強が何のためにあるかは答えられます


一方、勉強の必要性ははっきりと答えられます。

学校の勉強が必要なのは以前読んだ本に書いてある通りだと思います。

●子どもを取り囲む教育の一つとして「集中できる空間で勉強に取り組む装置」が学校であること
●学校で勉強する内容「学校知」は「よりよい未来を作る人を育てる」ことが目的

ただ読後に違和感は残りました。
目的のための「方法」や「ねらい」は多岐にわたり、時代や思想によってまったく異なるからです。
それから「方法」が「目的」と錯覚してしまうこともよくあります。
たとえば、○○になるためにあの大学に合格するぞ、と受験勉強していくうちに「合格(方法)=ゴール(目的)」とすり替わってしまう。本当は合格したあとにやりたかったこと(本当の目的)があるはずなのに。

この違和感は教育「方法」へのものです。
私の知っている学校の勉強は一斉に一方的なものがほとんどです。自分の学童期も今の子どもの学校でも同じです(一部先進的な学校はあるようですが、自分の子どもの学校を見ると、一斉授業が一般の公立小学校の平均かと想像します)
たとえば。国語算数などは同年代の子どもが同じ教室で均質に教えられます。(授業参観で見る限り、多少の先生の個人差や多少の教科を跨いだ工夫は見られますが)
校外学習なども、限られた時間で決められたカリキュラムを行うもののようです。

はたしてこれで教育の目的は果たせるのだろうか?
世界の縮図を獲得することができるのだろうか?
学校知はインプットしたあとに咀嚼して本当にその子の栄養になるのだろうか?
と疑問がのこります。

この違和感はいまだ持ち続けています。
そして教育の理念・歴史を調べてみようと思いました。
調べてみると教育方法は何百年以上も前からずっと議論されています。
古くから、予想以上に、たくさんの熱のある教育者による試行錯誤が見られます。
これは後日まとめてみることにします。
正解はありませんが、思考停止してはいけません。


子どもの勉強と大人の勉強は違うのかもしれない?

子どもは、私がスマホで勉強アプリを使っていたり、テキストを見ているときに「大人も勉強するんだよ」というと驚きます。
勉強は子どもだけがするものと考えていたようです。

今、勉強について改めて考えてみることにしました。

自分の子供の頃を思い出してみます。
私はそれほど学校が好きではありませんでした。家で遊んでる方がいいし、勉強もそれほど面白いと思わなかったです。小中学校で多少興味があったのは、国語の教科書に載っている物語をひとりで読むくらいでしょうか。

高校になって歴史の授業が楽しいと思いました。
その時の先生は教科書だけではなく、映画などその時のテーマに絡めた色んな展開をしてくれたため、知識をつなげてくれました。
たとえば中世の教会の雰囲気を『薔薇の名前』で、南北戦争を『風と共に去りぬ』で、遠い時代の遠い世界をおなじ人間の営みとして生き生きと見せてくれたのです。
当時は映画を流して手抜きしてるーっとちょっとだけ思いましたが、決してそうではないのは今ではわかります。

私は学校を卒業して社会人になってからの方が自発的に勉強している気がします。
(読書や興味あることを調べるのは勉強なのかあいまいなので除きます)
意識して勉強時間を取るのは、主に資格のための勉強が多いです。

資格試験勉強の目的は
1・周囲に自分のレベルを明確に伝えられる。
「自動車運転免許もってるんですよ」⇒車の運転できるんだね
「簿記2級もってるんですよ」⇒法人会計までは理解できてるんだね
(実力と合わない場合もありますが…)
「車の運転できるんだね」⇒ペーパードライバーです!運転したことありません!
2・体系的に網羅することができる
範囲が設定されており、どのような知識が必要なのかを体系的に学べる

私は気になるミュージシャンがいると、レコードやCDでベスト盤を最初に聞いてきました。ここで言う”ベスト盤”は同じミュージシャンの各時代のヒット曲を集めたものです。
アルバムを聞かないと本当の良さがわからないってさんざん言われてましたが、広く浅く知ることで全体がわかり(この曲は好み、これは違う)自分にあったもの(この時代の曲は好みが多いぞ)が見えてきます。時代別に変遷がわかるので、どのアルバムが自分に最もピッタリくるかわかります。
もちろんベスト盤にない名曲もアルバムにあるので、そこまで掘り下げないとほんとうの良さは見えてこないですが、興味への入り口としては最適だと思います。(いまどきはサブスクリプションで曲単位で聞くことが普通だと思われ、この表現が伝わるか微妙ですが。)

名曲が入っている名盤の例

資格試験勉強もベスト盤の感覚です。
知っておくべきことは入れておき、さらに興味や深く知りたいことができたら専門的な本などで深く学ぶ。
最適な勉強方法は人それぞれ異なりますが、私にはこれが合っています。
子どもにもその子に合った勉強方法は違うので、やはり教育方法が大きな問題になるのでしょう…。


大人が勉強を続ける理由は?

勉強することで
自分の経験をこえた世界の縮図(世界のこと)を知ることができる
世界の縮図を知ることで豊かな人生を送ることができる
よりよい世界を作ることができる

大人も学び続ける理由は、世界の価値観や知識が絶えず変わるため。
常に世界の縮図をもち、自分で考えて行動できる人になることが、より良い世界を作る第一歩ではないでしょうか。
(より良い世界には、さらに行動も必要です!)

また、勉強によってハッと気づいた瞬間。
自分の経験と知識とバラバラな知っていることがつながるとき。
一気に世界が広がって景色が変わります。
それが勉強の喜びであり、勉強することの楽しさです。
子どもたちが勉強を通してこのような体験をしてほしいと切に願います。


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