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『ジャッケンドフの思想』米山三明 | 開拓社

1、駅へ走った。
2、駅へ走っていった。

 あなたにとって、上の1と2はどちらが違和感がないだろうか。海外の方には説明しにくい微妙な言語感覺ではあるものの、大概は2の方がホッとする。それは、日本語の「走る」に「移動」の概念が含まれていないからと視たのが米山三明先生になる。

 ちなみに私は博士後期課程まで約十年、指導教授をしていただいている。今も成長はないが、当時はより変わった院生であった。よく永いこと破門もせずに、色々とご指導くださったと思う。初めて米山先生の授業「言語學概論」を受けたときの感動は今でも鮮明に残っており、薄暗い教室の中、先生が手元で書かれた英文が、そのままスクリーンに映る仕組みで授業をされていた。

 というわけで、今回は開拓社言語文化選書の100冊目にあたる『ジャッケンドフの思想』をとりあげたい。

3、John ran to the station.

 話をもどすが、英語の「run」は、runひとつで「移動」しているのがわかるだろうか。つまり、3を和訳する際、

ran = 走った(様態)+ いった(移動)

というように、わざわざふたつの単語を合わせないと、日本語は「移動」しにくいのだ。端的に云えば、「走る」は「一歩も動かずに、その場で素早く腕振り(脚振りも)」しているに過ぎない。
その証拠に、

4、John danced into the room.
5、× ジョンは部屋に踊っていった。

 のようにdance(踊る)を使うと、英語と日本語の差が如実に顕われる。4の意味は「ジョンは踊りながら部屋へと入っていった」といったところで(どんなシチュエーションなのだろう)、日本語はさすがに成立しない。「踊る」というと、やはりその場で踊っている景色を思い浮かべる。ところが、英語はこれでも大丈夫なのだ。動詞runだけでなく、danceまでにも「移動」が含まれているのであろう。

6、John ran.
7、John ran to the station.

 さて、7の「駅へ走っていった」というのは、駅まで着けば、出来事がひと区切りついたと視ることができる。境界ができたと云ってもよい。一方、6は駅という着点がないために「永遠に走っている」感がでてくる。無境界なのだ。実はこれが判れば、英語の冠詞のセンスが抜群によくなる。

8、water
9、× a water
10、eel
11、an eel

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