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Perfect Days #映画にまつわる思い出

年末に美容師から映画『Perfect Days』を薦められたのを皮切りに、幾人もの方から数日で同映画の話が届いたので、家人と横須賀の映画館まで足を運んだ。海外では「Zen Movie」として評価をされているようである。以下は表題にも草したが、がっつりとネタバレがあるので、そのつもりで。Perfect DaysからPとDをとって、家人をP、私をDとする。

P:正月に觀れてよかった映画でしたね。
D:うん。佳い父娘の映画だった。
P:父娘? ニコ(中野有紗)は姪っ子でせう。
D:いや実際、平山(役所広司)は名乗り出ないという契約をしていたか何かで、父親だったよね。
P:そうかしら。でも、平山の妹(麻生祐未)が迎えにきたときに、父親の話がでてきたじゃない。
D:うん、それは義父でもよいわけだ。

P:たしかに平山の暮らしには翳と教養があったけれど。
D:そうでないと別れ際に自分の妹とあのような雰囲氣で抱擁しないでせう。
P:あそこは私も違和感を抱いたわ。
D:やはり平凡なまいにちに会えるはずのなかった娘がふとやって来たのだとおもうな。ニコに会ったときの平山の顔も父親のそれであったし、ニコ自身も橋の上で「ママとおじさんって似てないね」って云っていたのだし。

P:トイレ掃除という設定もよかったわよね。まさに禅的といいますか。
D:タカシ(柄本時生)も「平山さん、やり過ぎです。どうせすぐ汚れるのに」って云っていたけれど、平山は後ろを振りかえらず、清掃員になりきって眼前の便器を掃除しつづける場面ばかりだったのはたしかだったな。ヴィム・ヴェンダース監督ではなくて、日本人監督の視点であったなら、もっと嬉しかったけれど。
P:いずれにしろ、男性目線の作品でしたわ。

SDGsが不自然に広まったものの、まだ名ばかりの節がある。そして、人が人としてあるべく生きる方法として日本の禅が世界から注目され始めている。しかし、今の日本人には、私も含めて禅を語る言葉がすでにない。無論、禅は不立文字であるから、語った瞬間に舌が堕してしまう性質のものだけれども、禅に限らず、私ども日本人は自ら好んで西欧化を完成させてしまい、自國の文化を棄て果ててしまった。

だからと云って、何なのだろうか。

歩んできた道を振りかえることなく、ここから日本人が毀れてしまった禅や茶道の欠片を集めては、新たな持続可能な暮らしを今からはじめていけばよいだけのこと。世界が求める日本人になりきり、そして自分自身になりきるのである。

「今度は今度、今は今」

正月最後の夕食は、味がよく沁みたトック(韓國料理)であった。仕事はじめの今日もまたPerfect Daysのなかの或る一日になるのであろう。しかし、今朝になっても映画でアヤ(アオイヤマダ)が愛したパティ・スミスが頭を離れない。昔、よく聴いた曲であった。私も充分に西欧化し切っている。

皆さまにとっても佳き一年となりますやうに。

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