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『ハレとケの超民俗学』高橋秀元・松岡正剛 | 工作舎
プラネタリーブックスは私が生まれる半年前、『存在から存在学へ』(松岡正剛)が出版され、今回の『ハレとケの超民俗学』はシリーズ2冊目になる。もちろん生まれたばかりで読書はまだできないから、それから三十年後、古書店に足を運んでは、宇宙の欠片を集めてきた。おそらく異様なプレミアがついている本以外は、ほぼ凡て集まったのではないか。せっかくだから、欠けたまま私の宇宙はとっておくことにする。
ちなみに、現在はプラネタリーブックスのうえに、或る動物の頭骨がのっている。「或る」などと氣どってみたものの、なんの動物なのかはわかっていない。友人の恩師でいらした大學教授が亡くなられた際に、貴重な蔵書とともに、なぜか頭骨がやってきたというわけだ。
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ところで、今年の節分は「オニは外」と豆まきをされたであろうか。我が家はすっかり忘れたが、本書の紹介は、このオニからはいりたい。
松岡:
そうだね。正月と節分の例がわかりやすいかな。古代の魂のやりとりの背景に、山と里がある。常世と現身(うつせみ)ということだ。常世は海なんだけど、山にも同定された。で、年の初めに当って、山に生えている植物、つまり松や竹ですが、それを家の門の所に立てて飾る。つまり門松です。そして山には大人(オニ)がいる。この大人は充実した魂を持っている。それで門松を立てて、「魂よ、やって来てくれ」と呼ぶわけだ。そこへ、呼ばれた大人がやってくる。(笑)大人とは魂の育った者ということだよね。これが転じて鬼となった。「魂」という漢字も右側には「鬼」がいる。
高橋:
それは、べつに怖しい悪い鬼がやってくるわけじゃない。
松岡:
そう。折口は現在の節分は完全に間違っていると書く。あれは、豆を投げつけて鬼を追い払っているわけではないというのが折口の考えで、旧暦の正月に山から呼ばれた鬼が、節分の日に帰っていく。魂をもたらしてくれた鬼に、里の作物のうちで、最も象徴的で栄養価の高い大豆を、献上するわけだよ。
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