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2011年3月11日14時46分

昨日は3月11日だった。

だが、私は仕事だったし、仕事じゃなかったとしても、14時とか寝ている時間だから

「黙祷!」

とかしなかっただろうけども、

「14年か」

と思う。

14年間で何が変わって、何が終わったのか。
思えば何も変わってないし、何も終わってない。

被災地の住居などは復興しているかも知れない。

だが、福島県などは人口流出が止まらない。

「この土地に未来はない」

と言う選択をした人が大勢いる。

ある一部の地域では、人間が20分滞在しただけで死ぬ場所もある。
無能な政府と、無能な国民によって、被災地や原子力発電所は14年間、苦しんでいる。

思えば、311のあと。

私は寝起きに髪の毛が結構な量で落ちているのを見ていた。
木造築40年以上もアパートだ。
放射能が降り注いだ。
毎日、鼻血。
目は真っ赤に充血。
唇はガサガサになった。

今年、能登半島地震が起きた。

私の姉は大学が近畿大学だったので、大阪に居た。
それで阪神・淡路大震災を経験した。
私は311。

それで私と姉が「えー!」と騒いでいたら甥っ子が

「何で騒いでいるの?」

と訪ねてきた。

そうか。
311を知らない世代が、もういるんだよな。

2011年3月11日14時46分。

何が起きたかを語るべきだ、と思っていた。

しかし、あの日から

『語ろう』
と思った言葉を選んでいたら
『まだ、語れない』

と言う事に気がついた。

未だに言葉に出来ない。

「原子力発電所が爆発して、津波と地震で3万人が死んだんだよ」

と言っても子供にはピンと来ないだろう。
しかし、

311以前
311移行

は違っている。

何もかもが変わったし、それは良い変化ではなく、悪い変化だった。

それが、どう悪く変化したのか。

語らなくてはならないが
語ることが出来なくて
語る言葉を選んでいたら
語る言葉が見つからず

14年経って、「語る言葉が見つからない」と言う状態の自分自身に驚いた。

311の数日後。

私は老人ホームで勤務していた。
余震は凄かったし、原子力発電所には水が注がれていたが何の効果もなかった。

「俺の寿命は縮まるのか?」

と思った。

老人ホームには桜の木が飢えられており、玄関前の桜が豪壮と言っても良い程、狂い咲いていた。

足腰が弱い老人の手を引いて、それを見た。
その時の桜は、老役者の最後の舞のように美しく、豪壮で、そして哀しかった。

俺は、あの日の事を語る事が出来る日がいつか、来るのだろうか?
8歳の子供に「311を忘れない」とかって言えるのか?

『311を忘れない』

って言うけど、あの日の事を語る事が出来る人が一体、何人いるんだ?
誰も語る事が出来ていないじゃないか。

幸いスマートフォンが普及していた頃なので映像データはある。
だが、映像だ。
youtubeでは削除されてしまったが、悲惨な映像はもっと沢山あった。
youtubeでは死体は映さない、と言うルールなのか、そう言う動画も消えている。

ある評論家が言っていた。

「震災や津波などの自然災害は、それが『神話』になって漸く昇華される。『神話』にった時に漸く語られる」

震災後に作られた映画は

『君の名は』
『シン・ゴジラ』

である。ラブコメと怪獣映画では神話にはならない。

もしかして、311は私が死んで、その次の世代も死んでしまって。
そうして、311なんて誰もが忘れた頃に『神話』になって。
そこで、言葉が紡がれるのかも知れない。

毛が解けてしまって絡まってしまっている。
それを紡ぐ人が現れるのは、いつになるのか。
絡まった糸を解し、機織り機に入れ、そして『神話』と言う絹を織る。
その日は10年後か?
20年後か?
30年後か?
50年後か?
100年後か?
200年後か?。

出来れば私が生きている間に、その糸を紡ぎ、機織り機によって、神話を紡ぎたい。

生きているうちに。
生きているうちに。

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