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進撃の巨人エレン、文豪ストレイドッグス福地の共通点から学ぶ教訓

久しぶりに記事の方を執筆しています。
最近Twitterの小話やCP小説ばかり書いているのでこちらの更新が滞ってしまっていました。
レジンピアスの練習もかなりしてるので普通に時間がカツカツです。

今回は文豪ストレイドッグスの福地と進撃の巨人エレン・イェーガーから私が学んだ教訓をお伝えしたいと思います。
2次元なので遠い存在のように感じますが実は現実の自分と近い感情を持っているのがキャラクターだと思っています。

まずこの2人の共通点、それは『果てしない自己犠牲』です。

1人で未来を背負い込み、誰にも相談せず決断し、愛する人に自分を覚えててほしいと願い最後は殺してもらうという事で己の存在に縛りつける事を選択しました。

彼らの言い訳は大義です。
大義は人を大量に殺す事を許します。

福地は言いました。
世界大戦を止める為に500人の命を差し出すと。
しかしそれは本当にベストな選択だったのでしょうか?
大義が人を殺す事が間違っている事を福沢は知っているのです。
だから福地は福沢に大司令を託す事を考えたのです。
これは道を違えた事が皮肉となっているんですね。
戦争に行った事で悪い方に変わってしまった福地と1度道を間違えてもそのままの自分を貫けた福沢。この悲しみは計り知れません。

アニメや漫画のストーリー展開上過激な表現が使われていますがこれは現代人にも当てはまるのではないだろうか?と私は思います。
自責思考すぎて破滅する。
自分がすべて悪い、自分さえいなくなればこの職場は安泰なのかもしれない。
そういった思想や思い込みを拗らせたのが福地やエレンの結果だったのではないでしょうか。
だからこそコミュニケーションを取ったり相手を思いやる事も大事。
そして時には他責思考もありなのです。

ここで1つジレンマのお話を致します。
トロッコ問題をご存知でしょうか?
ブレーキのないトロッコが走り続ける先に右方向には愛する人1人と左方向には見知らぬ他人5人が線路に縛られ、進路を切り替えるとどちらかが亡くなります。
この選択肢は進撃の巨人や文豪ストレイドッグスに置き換えて考えてみましょう。

トロッコに乗っているのはエレン、もしくは福地。
この2人は進路を切替えること無く寸でのところでトロッコをひっくり返し自分が死ぬ道を選んでいるのです。
しかし横たわる人々や愛する人は結局線路に縛られたままです。
線路に繋がれたまま=忘れない、忘れる事ができない。つまり呪いのようなものなのです。

進撃の巨人の最終回では文明が進化した社会がまた争いを行うと捉えられるような終わり方でした。
文豪ストレイドッグスもまた、世界大戦を免れた訳ではありません。

これはどれだけ『自己犠牲』をしたとしても争いがなくなる事はない。という事を示唆しています。
これは人間の悲しい性ですね。

なので私は文豪ストレイドッグスの小説福地桜痴のもう1つの可能性の未来を執筆しました。
話し合いで解決したい。
話せば必ず何かが少しでも変わっていたと思いたいのです。
ただ現実は甘くありません。
今この現実でも戦争はあります。
もちろんその事も分かっています。
しかし執筆せずにはいられませんでした。

必ず別の道があって福地さんにはその道を進んでほしかったのです。

この小説は読んで頂いた方が分かりやすいのでぜひ下記のリンクから飛んで下さい。
希望を持ってこの小説を書きました。


争いは何も生まない。しかしどれだけ分かっていても、犠牲を払っても止める事はできない。
たった1人の人間がすべてを抱え込むような事もまた愚かな事。
私は2作品に触れこの事を学びました。

今回はつらつらと執筆致しました。
ここまで読んで下さりありがとうございます。

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