「四十にして惑わず」に惑うよねマジで

「十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順したがう。七十にして心の欲するところに従えども、矩のりをこえず」

そうそう、「四十にして惑わず」とは良く言ったもので…、ってなるかー!!
というのが率直な感想です。

僕は1981年4月生まれ。
2020年の今現在、39歳なわけですが、めっちゃ惑う。
来年の今頃、これがなくなってる気がしない。

ちなみに、これを書くために原文調べるまで「四十にして迷わず」だと思ってました。そんでもって、論語は遠い昔に買ったけど読んでない。

みんな惑ってないの?ねぇ?惑ってないの?
これは何?僕個人の問題?それとも時代的なもの?
孔子の頃の40は、みんな惑ってなかったわけ?
それとも今の40もみんな惑ってないの?

と、ここでいったん冷静になってみましょうか。

「大人になる」って一体何なんでしょうか?
これってすごい難しい問題だと思います。
正直、僕の中身の芯の部分は未だ18歳くらいの気分ですよ。

40手前のおじさんがこんな話をするのもどうかと思いますが、これは僕の人格を形成するコンプレックスの核の部分だと思うので、ほじくります。

僕が高校生~大学生の頃は、「20歳になる」だったり、「就職して社会に出る」ということには、なにか現世と来世くらい分断されたものに感じていました。

そこを通過してしまうと、自分に何かとてつもない変化が起こってしまうんじゃないのか、とか、大事な何かを失ってしまうんじゃないか、みたいな。

割と多くのヒットソングもそんなこと言ってた。「Don't Trust Over 30」とか、「本当の自分を見失う」とか「大人になんかなりたくない」とか。

でも実際、そうなってみたところで、びっくりするほど変わらない自分がいました。これは本当にびっくりした。ただただ、人生は「Life Goes On」だし、先述したミュージシャン達にとってもそれは一緒で、彼らには彼らの「Show Must Goes On」があり、いい意味でビジネスピーターパンなわけです。

それに気がついたのも、ここ最近の話し。

実際、僕は35歳くらいまで勝手に自分で壁を作って「あぁ、これを超えてしまったら…」みたいなコントをやってました。ひとりっきりで。

ね、大人になるってなんなんでしょうか。そんなもんないよね、というのが今の僕の考え。強いて言えば、仕事だったり、パートナーや子供だったりという「一緒に抱えて生きていかなければいけないもの」がある状態のホモサピエンスが大人なんじゃないのかなと。

あー、恥ずかしいこと書いたわ。

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フリーランスの音楽家です。こんな作品作ってます。



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