優良コンテンツの飽和で100%負けるのに、それでもやる理由は何なのか

ブログみたいなことをやっていると、定期的に「書くことがない」という問題が発生します。今現在の僕がそれです。ただ、以前の僕と違って明らかに成長したのは、「それでも書き始めた」という点でしょう。以前の僕がいつの頃かは不明。

こういうときは、「そもそも、なぜ書きたいのか」ということを、そのつど考えるようにしています。目的や意味付けなんかはどんどん変わっていっていいものだと思うので。

そもそも、僕がブログを始めたきっかけは何だったっけ?と思い、最初のブログを開いてみたら、開設した日は「2005/03/04」だそうです。当時24歳か(今39歳)。恥ずかしいけどリンクも貼っておこう。誰も見ないだろうし。

20代後半の頃は頑張って書いていた。書くことがないときは、何か無理矢理でも出来事を起こして、何かしら書こうとしてました。なんだったんだ、あの頑張りは。

ちょうどmixiとかTwitterとかSNSが出てきた頃だったので、知り合いには見てもらってて、まぁ、身内受けな範囲で評判も良かったと思っている。あくまで身内受けな範囲ですが。

おそらく、今ほどネットのコンテンツが充実してたり、みんなに開かれたものじゃなかったり(マニア受けという意味)、そこまでネット見てる人が多くなかったからだと思う。

で、その後、だんだん書けなくなっていくんですが。

おっと、なんの価値もない昔話を始めてしまった。怖い怖い。

でもですよ、このご時世、価値のある文章を読もうと思ったら、無料でクオリティーの高いものなんで文字通り、5万とある。

今、念のため「5万とある」をぐぐったら、一般的な表記は「ごまんとある」だそう。「巨万とある」と書くパターンもあるんだとか。

で、読む価値のある記事なんて、いくらでもあるのに、どこの誰かもわからない人が書いた、明確な主張も得られるものも特にない文章に何の価値があるのか。

「ない」としか答えようのない問いかけに打ち勝つことから始めなければいけない。というのがブログを書くハードルをおっそろしく上げてしまっているわけですね。もうこれは、あらゆるネットのコンテンツに言えることだと思います。

これに対する答えは「好きだからやる」に集約されるわけですが、ここでもうひとつの自意識が働きます。

先程の問に「やらない」と答えて黙ってしまう、もしくは実際の行動に移せないと「あ、俺はそこまで好きじゃなかったんだ」という事に気がついてしまうんですよね。これってすっげー恐ろしくないですか?こういう性格めんどくさい?

うん、日々、淡々粛々とやってる(風に見える)ひとからしたら、うるせぇよ、という話なのかもしれない。わからない。

そういう外側の理由もそうだし、内側の理由ももっと掘り下げて細分化して書き出して、動機をアップデートないといけないな、と。

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こんな音楽を作っています


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