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視える目がほしいと渇望した日。保育園の窓から。


新人保育士は子ども好き

保育士になりたての私は、
正直日々の業務を憶えることがありすぎてパンクしていた。
しかし、子どもはかわいかった。
ただ、かわいい。それだけ。
それはそれで大切な資質ではあるが、仕事としては厳しい。

歌が好きだから、歌手になりたい!
文が好きだから、作家になりたい!
絵が好きだから、画かになりたい!
そういうのと同じだ。プロになるなら何か足りない。

その何かは、何なのか?
まだ、わからなかった。
周りからはよく、
「子どもと遊んでいるだけでお金もらえていいね」
と言われてしまう。
しかし、毎日を楽しく盛り上げていかないと、保育ではない。
毎日が、先生主導のライブ状態だった。
そして、そのライブは毎日ドタバタであった。
なぜなら、参加者の人生がドタバタだったから。


先輩保育士の発言は子どもの背景を語った

保育園では、毎月2回必ず会議があった。
厳密には、他にも小さい話し合いはいろいろあるが、
全員参加の会議が2回。
園長からの報告と今後の運営についてと、保育の反省だ。

正直、保育の反省がドキドキする。
新人の私に語れる保育など何もなかった。
「今日も、子どもたちがかわいかったです。」
これじゃあ、何も始まらない。
私の勤めていた保育園は、各クラス1クラスずつであった。
0歳児1歳児合同のりす組
2歳児のうさぎ組
3歳児のぱんだ組
4歳児のきりん組
5歳児のぞう組だった。
0・1・2歳児は、乳児というくくりで、
3・4・5歳児は、幼児というくくりであった。
こういう分け方も、働き始めるまで知らなかった。
要するに、小学校の低学年・高学年のようなものだ。
この分け方は、正直子どもたちには関係ない。
どちらかというと、保育の運営側の都合だ。

保育園全体に流れている空気。
乳児クラスは複数担任だし、小さいからフォロー・サポートメイン。
幼児クラスは単数担任だし、大きいから行事のリーダーメインで。
そんな感じ。
だから、先生のキャラによってはずっと乳児クラス担当だったり、
ずっと幼児クラス担当だったりする。

それは、社会の雰囲気に何となく似ていた。
リーダーがかっこいい方がすごい。
リーダーとして引っ張る力があるやつが成功者だ。
あの時の私は、そういう空気を感じとった。
(きっと今は、違うリーダー像を求められている)

そして、会議の中でも、それは現れた。
発言力があるのは、幼児クラスのしかも年長の担任の思いが尊重される。(いや、あなたが意見を出さないと運営に支障が出るから、
きちんと発言しなさいという見えない圧力が)

私は、世の中の会議を知らない。
グーグルがやっているようなクリエイティブな会議とか
トヨタ自動車がやっているようなA4一枚でまとめるとか
あの頃は、全然知らなかった。
社会人1年目はこういうもんだと思っていた。
業務改善なんて耳に入っては来るけれど、
具体的な何かは見えなかった。
(きっと、これが広まると少しは空気がかわるのかも)

とにかく、保育園風の会議に私は慣れていった。
そこで、「おぉ!」と思ったのは先輩の発言だった。
「ぞう組○○君の家庭は、5人兄弟であの子だけ母親に嫌われています。母からも正直に言うと、○○の事はどうも好きになれなくてって相談がありました。保育園では、すごく甘えてきます。おそらく反動だと思います。お母さんが大変な分、園で受け止めてあげたいと思っています。」
(え?○○君ってそうだったのか!というか、保育士って探偵並みにそんな深い家庭の事情まで聞き出すのか。その上で、子どもにとって良いことを選ぶのかぁ。奥が深いな。私もその目が欲しい。そうやって視える目が。)

守秘義務で守られていてめったに外に現れてこない
「複雑な家庭の事情」の一端がここにあった。
他にも、DVで逃げてきて名前が違う子
虐待の跡がある子、
体重が増えない子、
発達障がいの疑いのある子、
食物アレルギーだけじゃなく、時には埃や砂アレルギーまで……。

とにかく、「複雑な家庭の事情」は、複雑すぎて迷宮入りだった。
保育園では、手に負えないものまでいろいろと。

スイミーのように俯瞰して

絵本、「スイミー」を知っているだろうか?
国語の教科書にもよく登場する、魚のお話だ。
大きな魚に狙われた小さな赤い小魚を助けるべく
赤い小魚の群れを先導して、黒い魚はこういうのだ。

「ぼくが、めになろう。」と。

たった1匹の黒い魚が、赤い魚に入ってそう言えること。
これは、すごいことだ。
スイミーは、自分をきちんと俯瞰している。

日本では珍しい。
日本の国旗は白い四角に、赤い日の丸。
白い場所の方が広いのに、みんな赤い丸に入って丸まりたがる。
丸まって小さくなって、型に入っていた方が安心だから。
赤い丸に黒い点が増えてしまったら、
世界がよく視えてしまいすぎるから。
知りすぎるのは、あまりよろしくないようだ。
ただ、保育業界にいると否が応でも目にしてしまう。
「複雑な家庭の事情」が沢山飛び込んでくる。

私はもっと、知りたくなった。
子どもたちの背景やその親の事情、人にまつわる色々を。

「複雑な家庭な事情」という一言で包まれてしまった中身を。
どうしても、覗き見してみたかった。
知ってしまったら、もう戻れない。
ミステリー小説の犯人を知ってしまってから読み直してもおもしろくない。
でも、だからこそ解決策は見つかるはずだ。
この人が犯人にならないためには、どうするといいのか。

見つけた原因はいつも1つだった。
「複雑な家庭の事情」に終わりはないけど、ほぼ同じだった。
みんな、いつもお金がなかった。

そこだった。
だから、みんなの人生がドタバタしていた。
働かなきゃいけない。
稼がなきゃいけない。
疲れた。
お金と時間の等価交換。
時間がない。
だから、できない。
知らない。学べない。
だから理解力も低い。
感情コントロールも未熟。
どんどん悪循環だった。

実は、保育園にもお金がなかった。
おもちゃを増やしたいけど、お金がない。
耐震工事をしたいけど、お金が足りない。
もっと、人を増やしたいけど、お金が足りない。
ない、ない、ないの思考。
そこが一番の問題だった。
ないなら、持ち寄ろう。
善意の寄付で回っていることが多かった。
福祉の世界のシステムエラーに辿り着いた。

私にも視えるようになったけど

私の保育園は、公立だった。
だから、本当にいろいろな「複雑な事情のある家庭」の子が集まっていた。
受け入れ先になっているから。
東日本大震災で被災した子を緊急受け入れた。
待機児童が溢れた年は、緊急増員した。
保護者の働く時間が伸びてきたから、預かり時間も伸ばす。
そんな感じで。

仕事を辞めてから、もう少し社会を見渡してみた。
おかしい。
同じ保育園でも、ここまで「複雑な家庭の事情」もなく
悠々自適に回っている園もある。
人を選んで、入園させているから。

それは、良くも悪くも世界を分けた。
一方は美しく理想を形作ろうとしている世界。
もう一方は、混沌としていて出口が見えない世界。

すべては、そこにいる人だった。
そして、お金の量だった。
お金とは、そのまま人の採用である。
先生の力量、おもちゃの質、保育に参加する子どもの素質。
人がどんどんよい環境を整えていく。
人の意識が違った。
美意識があるかないか。

美しさの中にあるのは、優しさ、知性、努力、尊重、感謝。
貧困の中にあるのは、節約、やりくり、慈悲、疲労、愚痴。
これらの中に、知らず知らずに染まっていく子どもたち。

うまくいっている人は、それを知っていた。
だから、離れた。それで正解なんだと思う。
でも、見捨てられない。
そんな時、どうしたらいいんだろう。

お母さんが大変な分、園で受け止めてあげたいと思っています。
そう先輩が語った言葉は、はたして正解なのか。
その子にとって、母親にとって、保育園にとって。

人の人生に責任はもてない。
もてるのは、自分の人生だけ。
だとしたら、私にできることは……。
こうして、私の目で視てきたことを届ける事しかない。


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