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自分で自分の機嫌をとるということ。

常に何かに焦っている感覚があります。前に比べて小さくなったものの常にその考えが頭から離れません。何をしているときも集中できていない感覚です。これでは仕事がはかどらない。はかどらないから結果が出ず、焦りや不安は余計に大きくなってしまいます。

何が原因か考えてみると具体的な理由はいくつもでてきますが、根本的な何か核心を突いたような理由がわかりません。なんとなくですが今思い浮かぶ事象を解決してもまた他のことで悩むことになりそうです。一時的な開放にすぎないのです。

前の職場を退職した時はすごく開放された気分になりました。しかしすぐに新しい焦りや不安が顔を出しました。そもそも、人間が不安や焦りといった悩みを完全に無くすということは不可能である可能性があり、度合いの問題で多いか少ないか、いかに減らせるかにあるような気がします。人生は苦であると説かれるように、そもそも不可能なことを目指してしまっているのかもしれませんね。不可能なことを目指すと勿論達成することのないことですから現実とのギャップに悩むことになります。

何事もバランスが大事だとよく言われますよね。学生の頃の周りの友人を思い浮かべてみました。何か大きな目標がある人、のほほんとして何も考えていないような人、周りに流されるように生きている人。色んな人がいました。考えてみるとなにか大きなことでも小さなことであっても、こうしたいという強い目標や欲望がある人は、なんとなくやっている人と比べてからまわりしたり、悔しくなったり、悩んだりしている人が多かったように感じます。

私は目標や目的意識が強い方の人間でした。常に何かを始める時や行動するときには、何か理由がないと動きませんし、近い将来、遠い将来限らず強い目標がありました。そういう考え方をしていると今やっている行動が楽しく感じられず、毎日常に修行をしているような感覚になってしまっているのです。

私が好きなことは歌を歌うことやテニスをすること、インテリアを見ることが好きなのですが、それですら常に気負っているのです。「こんなに練習しているのにうまくならない」「どうすればうまくいくんだ」とこんなことが頭に浮かび、いつの間にか楽しむことを忘れて方法論やゲームで言う攻略本のようなものを常に探しています。これでは趣味が趣味でなくなってしまいます。

目標を持ったり、自分はこうであるべきだと考えることが悪いと言っているのではなく、何か自分で決めたことを目指して日々それに取り組むことは素晴らしいことだと思います。ただ、私はそうやって生きてきて未だ何も達成できず、毎日がつらい日々になってしまっていました。自分にはこのやり方が合っていないのかもしれません。

人それぞれ考え方も体も育ちも遺伝子も違っていて、同じ人間ではありますが、全く同じ人間というのは一人もおらず、違う生物のようなものです。自分のやり方を見つけたほうが楽になりそうです。

まだまだ迷走中ですが、自分の機嫌は自分で取りたいのです。遊び心が大事だという言葉をよく耳にしますよね。その理由を考えてみました。本当の遊びというのはこうなってほしいと考えたりこうなりたいと一つの何かに向かって走って行くことではなく、何のエゴもないまま自分の想像や考えで何かをすることなのかもしれません。

心理学者・精神科医フロイトの発達心理学が面白いです。赤ちゃんがこういった風に自我や性格が形成され、〜あるべきなどという考え方がどういった環境で度合いが決まるのかなどを考察しています。それが正しいかはわかりませんがまったく関係がないことだとは思えませんし、大人が自分の機嫌を取ることにも利用できる考え方もありました。赤ちゃんもお母さんがいなくなったときに遊びで自分の機嫌をとります。

そこにはこうしたいああしたいという考えはなく、自分の思うままに行動するのです。ボールを壁に投げてもどってきたからまた投げてみたり、何かを積み上げてみたり。そういったことをしている時はお母さんがいなくても不安にならず、泣いたりしません。

私達はそういったことを忘れてしまって、というより封印してしまったからこそ、常にこうでないといけないと考えてしまい、不安や焦りを感じてしまっているのかもしれませんね。

経済的に自立していると難しいことかもしれませんが、気ままに日々を過ごすことが一番なのかもしれません。

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