1人酒場飯ーその16「酒場と鳥と感涙の思い出と、旗の台」

目の前で豪快に若鳥が一羽分、分解されていく。何とも豪快に。


 「どの部位にしましょう?」若鳥を捌きながら大将が聞いてくる。ここで行われているのはショーの一環か、それとも市場の卸売か。

 正解はどれでもない。ここはまごう事無き居酒屋だ。僕にとってこの場面のインパクトが強く残っている。もう何年も前の話なのに、活気あふれる小さな店内の明るさと目の前で椅子に腰を下ろしていた大将が立ち上がって若鳥を包丁一本で豪快に捌く様子を見せられたら覚えるに決まっている。


 JRではなく東急線の二つの路線である大井町線と池上線が入り混じる旗の台は庶民派の商店街の街だ。駅の周りと一駅離れた荏原中延駅の周囲にはなんと8つも商店街が存在している。


 いや、それ以前に旗の台が含まれる品川区は戸越銀座を代表する商店街を筆頭に多くの商店街が点在し、昭和の日本が残っている暮らしがそのままリアルに反映されている。

 ちょっと小洒落た感じのお店も何軒かは出来ているがこういう生き生きしている商店街は歩いて、見て回るだけで幸せな気持ちにしてくれる。その幸せは人と人の温かみとでもいうべきなのだろう。

 そんなやり取りはずっと残っていってほしい。


 ちなみに品川区には108の商店街が存在しており、68の団体が『品川区商店街連合』と言う組織に加盟している(参照・品川区商店街連合HPより)。それではなくネットワークを生かしてさまざま行事を行っている。

 これほど強い地域性を持った商店街と言うのは珍しいのではないだろうか。それを考えても品川にとってこの商店街の結びつきは大切な宝だ。今各地の商店街が徐々に減ってきている中、活気を残しつつ後の世代へと繋いで行ってもらいたい。


 さて、ちょっと商店街論に話がずれてしまったので話を旗の台に戻そう。僕がこういう駅に降りる時は大抵気まぐれが多い。大井町はよく歩いていたのだが少し周囲の街も歩いてみようと思い立ち、大井町線で旗の台へと乗り込んだ。もちろん目的は新規開拓だった。


 何駅か後、旗の台の駅から東口へと降りた僕の先を仕事終わりなのか、スーツ姿のサラリーマンや学生達が歩いていく。切っても切り離せない日常の光景には目をくれず早速店を探し始める。

 東口周囲をふらふらとして見ると呑み屋、ラーメン屋、ファーストフード店…多くのジャンルの飲食店が目に付く。やはり商店街上、こういう店も多いのは確かだ。よりどりみどりの中、どの店にしようかといつものように悩んで店を吟味していく中、少し気になる路地を見つけることが出来た。


 東口から僅か数分の小路地の果ての建物に白い光が。ああ、看板か。『菊正宗 鳥樹』と白と黒の効果か、店名が浮き上がっている。まずは正面から、と前に回ってみると白い暖簾に『鳥樹』の文字。木枠の扉、赤い提灯にも店名がズドンと。この昭和らしいシンプルさ溢れるお店に気持ちがググッと動かされた。ここにするのがきっと正解だ。思い切って扉に手をかけた。


 思った通りだ。シンプルな店内はカウンターと後ろにテーブル2つ、奥に小上がり席。壁には「若鳥焼」の藍色の暖簾。照明の明るさと木のテーブルの輝きが渋さを感じる。うん、これがいい、これでいい。飾りすぎる店よりもこういうシンプルなたたずまいが僕には必要なのだ。目一杯のお客の中、唯一空いていたカウンターに座る。


 ここで初めて、最初に書いた光景があったのだ。これはある意味、サプライズ。だが、有難すぎるサプライズ。こうやって丁寧に捌いているのを見るだけで信頼度は倍増する。あくまで持論だが。


 さて、注文の前にお通しだ。何が出て来るのかと思えば鳥スープと鶉の卵の乗った納豆の2品。これに合わせてビールを注文。鳥スープは手間をかけた鳥の滋味がしっかりといい塩梅で広がる。鶉の卵の納豆は黄身だけと言うのもあり、卵の味が濃厚だ。実は納豆に卵は一般的にはやっている人も多いのだが、自分では試したことが無かったため少し虚を突かれた気もした。


 さて、ビールが来てからどう組み立てるのか、と言えばメニューを見て何がいいか組み立ててみる。メニューはやはりどれも鳥尽くし。そして何故か、『マスターに相談』の欄に裏メニューありの文字。裏メニューありってはっきり書いていい物なのか?


 そんな疑問も浮かんだが、ここはメニューを中心で『ささみおろし』『からあげ』手始めに頼んだ。ビールをちょびちょびと飲んでいる間に「下ろしますね」の声で再び豪快に若鳥が捌かれていく。これがこの店の日常なのだと思うと不思議と驚きではなく楽しみに変わっていく。こんな楽しさがあるなら間違いなく長続きしている店だ。


 まず来たのは銀の光沢の皿の上で赤身と白いおろしがいい対比をしている「ささみおろし」。さっと火を通したささみに大根おろしが乗ったシンプルな料理だ。だが、これがまたいい。ささみの柔らかさと芯の中にある淡泊かつ鳥の味を大根おろしがより奥深いものに仕上げている。そして鼻に抜ける辛味と香り。薬味たるおろしにもう一手間が入っている。しっかりと何かが混ざっているが……このパンチがいい。「ささみ」と「おろし」でここまで世界を構築できるのは凄い。ビールのパンチに負けないおろしに一本やられた。


 さらに「からあげ」。これも驚いたのだが、からあげを注文すると「店外」からからあげがやって来るのだ。聞いてみると、他に歩いていける圏内に東口店があり、そこで揚げているようなのだ。感心しながらも皿を覗き見ると、鳥半羽を揚げたほどのボリュームがあるのだ、茶色の衣が香ばしくて美味そうだ。


 もちろんかぶり付く。衣の香ばしさと鳥の美味さがしっかりと共存している。鶏肉自体がとても柔らかいのは捌きたて、新鮮故だろう。兎に角これはビールには外せない。と言うよりもからあげ自体がアルコールととても合う。これは外せない摂理だ。


 まだ何品か追加注文し平らげた後、最後の〆は「そぼろ丼」だ。出てきたお椀の中には鳥そぼろオンリー。潔すぎないか、コレ。だが、そんな心配をよそにそぼろ丼の美味さは格別だ。そぼろの味付けが主役の鳥肉を引き立たせる味付け。市販の味の濃いそぼろとは違う、余所行きの味だ。それとご飯は間違いなく合う。この締めを選んだ自分に感謝したい。


 会計を済ませ、外に出た僕の胸には何とも言えない満足感があった。拘る事を突き通し、鳥のすべてを知るや、足るや。改めて鳥料理のシンプルさと懐の深さを感じることが出来た。


 こんな店のある商店街。どの店も拘りを持っているに違いない。それが庶民文化の息づくこの界隈の魅力なのだろう。


 と、ここまで書いてきたが少し書いた通り、この『鳥樹』さんを訪れたのは数年前の話だ。だが、ここまで手に取るように思い出せるのは懐かしさがあるからだけでない。きっとその一本槍な拘りが僕にとっていい教えになったからだ。


 生き生きとした商店街と、その中で生き続ける名店たちに改めて乾杯。

鳥樹 旗の台本店
住所 東京都品川区旗の台3-11-13
お問い合わせ番号 03-3785-8472
定休日 月、日、祝日
営業時間 17時~24時


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