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物語爆弾

カツセカツヒコさんの「明け方の若者たち」を読んで、これは「共感」の物語だと書いた。

「共感」はこの本の軸のひとつなのだと思う。「こんな経験したな」とか「あったかもしれない」と思わせる場面がたびたび出てくる。見たことのない世界に連れて行ってくれるというよりは、読み手を「あのころ」に立ち戻らせてくれる本。

書きながらモヤモヤしたのが、なぜこの本を面白く読めたのかということ。見たことの世界に連れて行ってくれるというよりは、読み手を「あの頃」に連れて行ってくれる。言い換えれば既視感の物語ということ。私が本を読むのは、自分ではできない体験をさせてくれるから、ではなかったか。既視感の塊でも面白く読めたのはなぜなのか。

そう思いながら今朝の日経・文化面、井上荒野さんの記事を読んで、腑に落ちるような思いがした。

井上さんは”お約束”ばかりの韓流ドラマがものすごく面白いと述べた上で、次のように書いている。

これはどうしたことなのか。選考委員を務めている文学賞の選評で、私はいつも「既視感がある」とか「みんなが知っていることをどれだけ上手に書いたところでつまらない」とか怒っているのに。「愛の不時着」にはまるのは、自分の文学観への裏切りではないのか。

いや。これは「物語爆弾」のしわざだ。私は、自分にそう説明した。物語爆弾。それは誰の中にももれなく仕込まれている。といって、生まれつきのものではない。生まれてから今までに見聞きした童話、漫画、小説、ドラマ、映画、「ちょっといい話」として紹介される逸話。それらに感心し、感動したとき、その人の中に爆弾がひとつ生まれる。

その後、同じようなパターンの物語、同じような展開に出会うと、その爆弾が爆発する。これはつまり、無意識に感動する準備をしているところに、感動がちゃんと起爆する、ということなのだと思う。だからその衝撃と爆風が心地いいのだ。

物語爆弾。既視感があろうが、爆弾が作動するプロットなら面白く読めてしまうということ。なるほどと思う。それに加えて、文体や描写の好き嫌いで作品を評価しているのかもしれないと気づく。つまり、

・筋書き……自分にない視点があるかどうか。新鮮さを感じるか。
        あるいは、物語爆弾的な王道展開になっているか。
・文 体……情景が目に浮かぶか。ユーモアを感じるか。テンポが合うか。

たぶん私はそうやって、小説の好き嫌いを判断している。

「明け方の若者たち」は物語爆弾的で、それから文体が好みだったのだと考えると腑に落ちるというか、少なくとも自分の中ではしっくりくる。”文体が好み”としか言えないのが悲しいが。

そういえば先日読んだマンガで、作品を「すごく面白かった」としか表現できずに悔しい思いをする……というシーンがあった。同じようなことを感じる。そのためにはとにかく書いてみるのが良いか。

料理、小説、経済と脈絡ないnote。それでもしばらく、試してみようかと思う。

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