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1.[プロローグ1]あの頃〜北のコダマ企画、札幌昼酔宴を開催するにあたり〜

※主に友人知人向けの私的な話です。イベントの説明は3から


フリスロとthe telephones

the telephonesのFreeThrowという曲に、私もとても関係がある。
2007年9月、the telephonesがライブをした新宿Marz、FreeThrow(当時のototoy記事)通称フリスロというこの曲の由来となるロックパーティーの最初期に、スタッフというか下働きとして当時参加させてもらっていた。JAPANをリリースするより前、ブレイク前夜。

それから、フリスロ名阪ツアーでwooderd chiarieとテレフォンズと難波ロケッツで朝を迎えたり、kingsというイベントになっていくThe Brixton Academyなどのバンドがフリスロに出た夜など、音楽とパーティーとの素晴らしい記憶を沢山貰った。
新宿Marzの楽屋の冷蔵庫とファミマを、何度も往復していたような気がする。テレフォンズのメンバーも特に石毛さんノブさんが出演しなくてもちょくちょく遊びにきてた。
大学生の僕をDJの神さんタイラさん誠人さんが可愛がってくれて、私もきっとフリスロの一部だったから、あの曲と関係があると言っても許して貰えるだろう。Vol.10とか20の頃、最新は何とVol.135、凄すぎる。
(17年後にまさかテレフォンズと札幌で関われるなんて…ありきたりな言葉だけど人生は不思議。)

TOKYO BOOTLEGへ

その後、僕はスタッフを辞めたり(なので、サド君とかの印象なはず)、J-ROCK PARTY「TOKYO BOOTLEG」のメンバーとしての活動が急増して、今度は渋谷でレギュラーに加え(ototoy記事)毎月フリーイベントや代官山UNITや、渋谷WWWをメインとしたサーキットライブ(ナタリー記事)、全国ツアーなどに至る過程を、DJとブッキングで、アーリースマさんあばさんやスタッフや全国のDJやお客さんと共に駆け抜けた。
ブトレグやフリスロやゲッチンなど各パーティーの種類や数や動員など、日本のロックパーティーの1つの最盛期と言えただろう景色を幸せな形で見させて貰った。(2006-2013、ヘッダーもそれ)
私の人生に、あまりにも、あまりにも多くを貰った。
(あの頃のメンバーやバンドやアイドル、イベントのお客さんや箱のスタッフさんなどとの話、青春は、死ぬまでに少し書き残したいと思ってはいる)
コロナ禍で閉店してしまった札幌COLONYでの東北の震災直後の開催は一生忘れないだろう。
(あと、あの頃のBiSと研究員と間近に感じさせて貰ったのは人生を狂わせてると思う)
ブトレグがあったからKo-Kiさんとの仲があって、その1点を始まりとして今の札幌での生活が楽しくなってると言っても過言ではない。

大量の当時のフライヤー

おじさんの昔話ほどダサいものはないけど、あの頃は良かったなんで言う気はもちろん無いし、昔話を自慢したいのでも無い、全てが1つの線で繋がってる事をもう少しだけ聞いて欲しい。

パーティー生活の終わり

7年間の終わり、下北沢Shelterでmemento森のday,をかけながらカッコつけて私はブトレグから抜けた。今をときめくぼっち・ざ・ろっく!の聖地なのはちょっと嬉しい。
不仲でも方向性の違いでもなく、ただ疲れ切ってしまっていた。ちょうど東京から金沢転勤もあり、何かの運命だと活動を辞めた。(ブトレグSTUDIO COASTは客として金沢から行きました)
金沢ではYOCO ORGANがNATURE DANGER GANGを呼んでイベントをしていた頃で、せのしすたぁもその頃も最高のライブをしていて、それらを楽しんだり、気軽に大阪や名古屋に遠征していたりもして、駆け抜けた青春の疲れを癒やした大切な時間になった。
任期を経て東京に戻る頃、昼酔宴主催のりうさんが私に新たなチャンスをくれた。多分、私のポンコツな部分を最も知って最も許してきてくれた人の1人。
(プロローグ2へ続く https://note.com/kodamaloo9/n/nb727d95d132a
(ポンコツさは今回手伝って貰ってるマサヒコさんも気付いてると思う)

[告知]

6/30(日)札幌昼酔宴のチケットはこちらから(手数料無料)
https://t.livepocket.jp/e/chusuien


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