「昭和の古い油絵はじいちゃんばあちゃんが描くには価値があるがそれを若者に押し付けてはならない」FDL Tips 7−2

油絵には価値がある。

ただ、残念ながらその価値は既得権益によって薄汚れていて社会の、特に若者に対して全く見えない。
油絵はじいちゃんばあちゃんには良いものだが、それだけのものになってしまった。
そして、私が最悪だと思うのは、じいちゃんばあちゃんの為のシステムをよせばいいのに若者にそのまま・・教育として、教員から押し付けてしまっている・・。
誰の目から見ても時代錯誤なことははっきりしているのに辞めない。
そこに加担する特に公立の教員はメンツや評価や利益に繋がるので、日本の教育システムの一部(絵画にとって一恥部)として完全に定着しており、そう簡単には覆せない。
こっからロンギヌスの槍をぶっ放して胸にぶっ刺して串刺しにしてやりたい気分だ。

教員は、昭和の古臭い油絵を中途半端にかじってそれを自分の武器としている。教員自ら、くそつまらない美術展で賞を取り、何も知らない他の教科の教員や保護者に自慢し、自画自賛する。腐っている。

学校では、我々から見たら腐っているおぞましい盾を偽装して誇らしげに実装し、胸を張りながら、美術部員に見せびらかす。我々から見たら完全に腐っているその姿。美術部員はわからないのでそれを切っ掛けに指導されてしまう。

古臭い腐った油絵は若者にとって未来はない。
その責任を考えることはないのか?
それは腐っている。辞めなさい。
教員というより、人のすることではない。

古臭い油絵を先生は強制的に美術部で描かせて、しょうもない県展に出品させて、入選させてお祝いして、眼をウルウルさせて洗脳する。

油絵とは本来そういうことではありえない。
社会にとって有効に機能するとても良いものだ。
腐った展覧会から油絵が社会的に機能する姿を指導できるのか?
できはしない。
賞をとったから機能しているとでも言うのか?
それはペテンだ。

県展等の展覧会や昭和の油絵はじいちゃんばあちゃんにはとても有効だと考える。
ただ、それを若者に・・というのはあまりにも・・と思う。
辞めようよ、本当にいい加減。
心を開いて欲しい。

子供や中学生、高校生の興味は映像やアニメ、イラストだと言うことは言うまでもない。であるにも関わらず、その興味や趣向は撲殺される。そして、古典の絵画を有り難いものとして、顔面に叩きつけるように押し付ける。事前にそうするべく、組織し、公募団体と教育系の大学が連携した企みにより、周到に教育系の大学生に習得させて、しょうもない公の県展や美術展に美術部の生徒を出品させて、〇〇様だのご活躍だの言って、眼をウルウルさせる。

ある大学では教員のほぼ全員がある公募団体の人間で完全支配されている。
もう・・ロンギヌスの槍を放つしかない。

古い油絵・・若者に対して・・・そこにあるのは恥以外の何物でもない。
(自分はかつて美術部で洗脳された口だが)それは若者達の大事な思い出に消し去りたい恥ずかしい過去しか生まない。

令和の、高度で知的で最先端で深く面白い、考え抜かれたアニメやイラストが大好きな子供たちに、子供たちの価値観を完全に無視して(というか感性が貧困すぎて子供達の興味関心や感性を全く感じ取れていない)自分の狭い価値観の貧困な教育的思考(志向)で、昭和のすでに・・・・腐った絵画の概念を小学校から高校までの美術の授業で、指導要領に則り、授業で奴隷のように強制的に、素晴らしいものとして教え込み価値を押し付ける。

それによる若者達・・・ひいては日本人の油絵に対するアレルギーは大きい。

油絵の価値とは、言うなれば、バイクがあっても自転車の価値が揺るがないといったものだ。

油絵の価値は腐った価値の押し付けによって汚れて埋もれてしまっている。
ゴシゴシ洗い流さなければならないので、少し強い口調で言わせてもらう。

「いい加減にしろ」

以上、腐った先生にとっては都合の悪い正義しか眼に入らない 小平 崇史 でした。

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