「線を引く時に俺は考えていない」FDL Tips 12−5−1−7

俺は考えていない?
絵を描く時。俺は線を描く前に何にも考えないよ。と言われる方がおられると思います。何となく慣れた手付きでさっと描けてしまう。
俺は何も考えていないのでどのような考えで描いているか説明しろと言われてもできませんよという人もいます。なるほどよくわかりますが、大変失礼ですがそれも考えているのです。
このようなことを言うと困惑されるかもしれませんが、それ以前から既に困惑している人たちを助けるために失礼を承知で言わせていただきます。
困惑されている人たちとは絵を描こうとすると手がこわばる人です。
この問題を解決できるのは恐らく私だけ。
おこがましいですね。でも多分本当に世界中で私にしかわからないことだと思います。
失礼を承知です。非難は全て私。小平 崇史が受けます。

このようなことをいいながらも私の尊敬するブルース・リーのDon't think feel.を推奨します。
わけわかりませんよね。その非難も甘んじて受けようと思います。
Don't think.に至るまでに、至った人は通過儀礼を超えているのです。
手がこわばる人は通過儀礼を超えられなかった人です。
超えられなかった人は、知識として無数にある描いても良いか?というフィルターに通してその何らかがひっかりとなっているのです。
ここに描いていいか?とかこんなの描いて意味あるのか?などです。
なので、皆が絵をのびのび描けるようにする方法がここにあります。
そのひっかりの全てを書き出して、了解を得れば良いのです。
そうすれば皆絵が描けるようになります。
手がこわばる。絵がのびのび描けるというのは才能は関係ないのです。

人間は何も考えていないようで複雑に色んな事を考えています。
危機管理については誰でも卓越しています。危険を避けてそれで甘んじるのではなくそこから先に探すと見えてくる自由を見出すことが課題です。
危機を避けることに終始し、そこで思考停止させてしまう人が多い・・ように私は思います。そこから先に興味を持って覗き見るようにすれば楽しい人生が拓けます。仕事=遊びにまで持っていって欲しいです。

皆さんが避けていることを例に出してみましょう。
例えば、警察署の壁に大きくおまわりさんが皆気づく大きさでおまわりさんの悪口をスプレーで描く。
絶対にしませんよね。
このように皆さん意外と色んなことを考えているものなのです。多くは描いていいか?ということをどう描くか以前にを考えるのです。

絵を描こうとすると手がこわばるということをよく耳にします。
その多くは描いていいか?という問いを超えられていないことが原因です。
もう一つは悲観的になりすぎていること。物事を実行するには必ず楽観的な思考で物事を見なければなりません。これはダメ、あれもダメでは手は当然こわばるのです。
手がこわばるのは才能がない訳でも絵が下手な訳でも実はないのです。
それぞれのレベルで解かなければならない問題は出てきます。その都度超えて行くのです。
スムーズに手が入る場合は何も考えていないようでも暗黙の了解でしっかりと考えています。

仮に警察署の壁に落書きを描くとしたら、それはボケていると言っていいでしょう。つまりボケていない人は闇雲に絵を描くことはできないのです。それで正解。でも警察主催か何かのイベントなどで、警察署の壁に落書きを描くことが了解されている場合は描くイメージとか、描き方が決まっていれば、描ける。

それでは次のnoteで描いてはいけないという時に考えていることはどんなことか上げていきたいと思います。


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