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僕と同じ

9連休のシルバーウィークが終わり、仕事が始まった月曜日のある日、テレワークでの業務を終えた僕は、夕方18時から本棚の整理をはじめた。

連休中にとりかかった断捨離は中途半端に終わらず、部屋には合宿で何度もお世話になった青学パーカーや、ストーブの熱で表面が溶けたユニクロのフリースなどでパンパンになったゴミ袋と、これからときめかないものたちが捨てられていく半透明のゴミ袋が大きな口を開けて横たわっていた。

社会人になり、いつのまにか読書が趣味なっていた僕は、IT企業?で働いているにもかかわらず、電子化の潮流に逆らい紙の書籍をこれでもかと爆買いしている。
知識に対して貪欲な自分の脳みそを満足させ、教養とモラルを身につけるために、ジャンルは絞らず、広く浅く、人にすすめられた本もよく読んでいる。(小説はあまり読まないので、簡単に読めて面白いものがあれば是非教えて欲しい。ドストエフスキーの罪と罰はそろそろ読みたい)

部屋の隅にある本棚は漫画や参考書、化粧品や卒業アルバム、CDや書類でごった返していて、新入りの本たちを迎え入れるための準備ができていなかった。そこで、不要な書類や、ときめかない思い出の品々達を処分し、5.5畳の部屋を少しでも広く見せるために、僕の断捨離・第2シーズンが始まった。

と言っても、本棚に収納されていたものを1つ1つ確認し、必要なものかどうか、ここ1年で見返しただろうかとチェックをするだけなのだが、作業を開始して1時間経った時、一冊の文集を見つけた。

きみどり色をした文集の表紙には『出会い』と書かれていた。パラパラと中をめくって読んでみると、小学生の頃に行った短期留学での思い出や出来事が、参加した生徒によって綴られていた。(自分もそのうちの1人)
短期留学といっても海外のホームステイなどではなく、知能に重い障害のある方のための支援施設「止揚学園」への3泊4日の短期留学だ。

自分のページを見つけたので、作業を止め、そこに書かれていた文章を読んでみた。僕はエヴァンゲリオンも驚くようなの2つの衝撃に襲われた。
1つは、今の僕には書き表すことができない素直で忖度のない文章がそこにあったこと、もう1つは、資本主義、成果主義、新自由主義によって競争のある社会の中で、マクロ経済学的な物質的豊かさを追求しなければいけないと考える一方で、広がっていく格差、病気や暴力など悩んでいる人の力になりたい、弱い人の立場になって考えてあげたいという心の豊かさとの間に葛藤し苦しんでいる23歳の自分に対して、小学6年生の自分からアドバイスをもらったような気がしたからだ。

 以下にその文章を書き残しておく。
(個人名だけ伏せ、あとはあえてそのまま書くことにする)

僕と同じ

 僕は止揚学園に行くのが初めてで、最初止揚学園に行くのは嫌だったけど、お母さんが、

 「初等部生の時止揚学園に行って、良い体験をしたよ。」

と言っていたので、今年行ってみることにしました。
 朝、東京駅に集まってそこから止揚学園のある滋賀県の能登川駅に向かいました。能登川駅に着くと数人の人がお迎えに来てくれました。するとその中にいたSさんという人が、

 「青山学院の皆さんいっしょに遊びましょ。」

と言いました。僕は知的障害の人もしゃべれるんだなとビックリしました。駅から10分位歩いているとカラフルでキレイな建物が見えてきました。止揚学園に着くとまた色んな人が出迎えに来てくれました。

 それからお昼ごはんになりました。僕は朝早かったので、とってもおなかがすいていました。お昼ごはんは焼きそばで、多人数だったのでたたみ一じょう分位の大きさの鉄板で作りました。鉄板が大きいとまぜる物も大きくて調理用のスコップでまぜました。まず、キャベツや玉ねぎなどの野菜をいためてそれからめんを入れてとんかつソースとオイスターソースを入れていためれば完成です。味はおいしかったけど、僕は知的障害の人を近くで見るのが初めてだったので、食事をする時変な声を出したり、よだれをたらしたりする人が気になって、あまりたくさん食べれませんでした。僕と同じテーブルには、止揚学園の人が何人か座っていたけれど、僕は何を話せばいいか分からなくだまっていました。すると同じテーブルに座っていた一人が僕に、

 「学校では何をしているの?。」

と話しかけてきました。僕はこれをきっかけにして、止揚学園の人と会話したりコミュニケーションを取れるようになりました。その時近くに居た保母さんが、

 「この人みたいにしゃべれる人も居るけど、学園のほとんどの人がしゃべれない人だよ。」

と言っていました。

 次の日は初等部生と保母さんだけで琵琶湖博物館に行きました。この日は止揚学園の人とは朝ごはんでしか会いませんでした。

 三日目になって、僕はごはんもモリモリ食べられるようになりました。なぜかと言うと、最初止揚学園に来た時、知的障害の人達が何を考えているか分からなくて、実は少しこわいと思っていました。でも、学園の人とコミュニケーションをとるうちに、こわいと思う気持ちが完全に消えていたからです。その日は運動会があっていっぱい汗をかいたので、止揚学園の人といっしょにお風呂に入りました。学園の人達は自分で体が洗えないので僕達が洗ってあげました。背中や手、おなか、足などをゴシゴシしっかり洗ってあげました。

 最後の日は前の日から練習していた桃太郎の劇を止揚学園の人達の前でやりました。僕はナレーターをやりました。ほとんど練習する時間がなかったけれど、最後の終わり方だけは僕とY君とH君で決めてありました。それは、最後鬼達が桃太郎といっしょに止揚学園に行って、優しい心を取り戻したと言う終わり方です。

 僕は今まで、電車の中や道で知的障害の人を見かけると、外見だけで判断して、この人達にはあまり感情がないんじゃないかと思っていました。でもそれは違っていました。そういう人達は僕達よりずっと優しい心を持っていて、色んな事を考えているんだと言う事をしりました。僕達と同じなんだと言う事が分かりました。逆に僕達の方が自分勝手で、やさしくないなと反省しました。僕は健康な体で生まれて来たんだから、その分もっと色んな事にがんばらなきゃな思いました。

 止揚学園に行って本当に良かったです。

(おわり)


自分本位に生きることは悪くない、
競争のある社会の中でより良い生活を目指したくなるのは当然のことだ。

人助けをすることが偉いわけでもない、
自分のことで精一杯なときは無理をする必要はないと思うから。

ただ、少しでも余裕があるときは、身近にいる人を自然に助けてあげられる人間になりたい。そして少しづつその半径が広げられたら、なんて素敵なことだろうと思う。

きっと、身近な人の幸せが自分の人生を豊かにすると思うから。

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