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その時2度目の「人生」が始まった。

人生は2度生きる事が出来る。


もちろん人によっては1度しか生きる事が出来ない人もいる。


まず、母親の腹から出てきた時が1度目の人生だ。


様々な経験を通して成長していく。


そして2度目の人生なのだがある日突然

「あ、2度目の人生生きてる」

となる訳ではない。


2度目の人生を生きるためにはそれ相応の対価を支払わなければならない。


それは金でもなく、時間でもない。


自分自身と超真剣に向き合う事だ。


先ほど2度目の人生はある日突然やってくるものではないと書いたが、この自分自身と超真剣に向き合うという事はある日突然訪れ、そのキッカケは人それぞれだ。


どちらにしろこの自分自身と超真剣に向き合う事というのは本当に辛い。


僕の場合、13歳から今日までの12年間という時間と生き方を否定しなければいけなかった。


もがいた。

もがき苦しんだ。


「自分」を見つけ、2回目の人生を始める事が出来たその日の感情や状況やらを綴ったメモがある。

その一部を切り取ってみる。

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感情や恐怖が止め処なく湧き出てくる。そのストレスが僕をジワジワと締付けてくる。漆黒の闇に溺れないように必死にもがいた。

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不思議だ。夢でも見ているような感じがする。現実じゃないみたいだ。でも現実だ。自分自身に負けないために立ち止まらなかった。ゴールに着いた時は力なんてものはもう無かった、でも嵐も無くなっていた。「嵐の後は必ず晴れる」。


僕はもう「自由」を必要としていない。

なぜなら自由になる「方法」を得たからだ。



一日中バカみたいに仕事するのもやめた。

いや、正確には違う。

一日中仕事してもストレスを感じない仕事なら一日中する。

ただ今はそんな打ち込めるような仕事をしている訳ではないから一日中仕事はしない。

朝は必ず仕事。

晴れている日には昼飯を食ったあと公園で読書する。

読書を始めてイタリア語の幅がより広がり、またイタリア語の勉強をするようになった。

夕方も仕事。でも頭を解放するために散歩もする。

感じた事はすぐメモする。

ジムは継続してるし、「積極的」に映画を見るようにもしている。

週1で「限界トレーニング」を始めた。限界トレーニングとはその名の通り自分を限界まで追い込むトレーニングだ。周りの目は気にせず自分の身体をぶっ壊しにかかる。キツ過ぎて叫びながらトレーニングしているから鬼畜アジア人だ。

あとはカフェ巡りも始めた。家の近隣ではなくわざわざ地下鉄を乗り継ぎ、行ったことのないカフェで作業する。


そして今、

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僕は生きている。僕の人生を生きている。



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