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音楽が「音」が「苦」になったとき

音楽への目覚め

10代の後半から30代半ばまで、それなりの熱量をもって音楽活動をしていた。もともと実家が喫茶店をしていた関係で、店内で流れる有線放送から早い時期から洋楽には触れていた方だと思う。
有線放送なので、その曲が誰のなんという曲かはわからないものの「なんか心がウキウキするな」「日本の曲とはまた違うカッコよさがあるな」と思っていた。
今思えば、それはディスコブームの頃のEarth,Wind & FireだったりABBAだったりディスコに便乗したストーンズやロッド・スチュワート、KISSといったロックバンドの曲だったりしたのを、後々知る事になる。

そんな少年が本格的に洋楽に目覚めたのは、「ベストHIT USA」のような深夜の音楽番組やMTVで流れるアーティスト、バンドを観ていて「自分もあれをやりたい」「自分もああなりたい」と思い始めたのがキッカケだ。
もちろん小学校・中学校での音楽の成績なぞ悲惨なもので、音楽理論どころか「ドレミ」の仕組みも良くわかっていない状態での無謀な挑戦である。

でも若さゆえの万能感が味方した時、若者はそうしたハードルを乗り越える努力と勇気を手にする。
ピアノ?よくわからん
ギター?弦が6本もあって押さえるの大変
…それなら2本少ないベースならどうだ?
と、これまた短絡的思考で手にしたのがベースという楽器だった。

その時期に好きだったバンドのひとつにDuran Duranというイギリスのバンドがいるが、ベーシストのジョン・テイラーはルックスも良くてベースも上手いというド田舎の少年が憧れるには十分すぎる「輝ける存在」だった。
そんなわけもあり、(自分としては)ごく自然にベースという楽器を選ぶ事になる。

高校の同級生を今思えばかなり強引にバンド道に誘い、ベースのケースを担いで学校に通うだけで、いっぱしのミュージシャン気取りであった。
高校の文化祭でも毎年エントリーし、自分的にはそこそこ良い演奏もしていたように思う。
ただひとつ残念なのは高校が男子校ゆえ、どんなにスポットライトを浴びようが黄色い歓声が起こることはなく、野郎どもの野太い声援が湧き起こるのみであった(もちろん、それはそれで非常にありがたい事なのだが)。

モラトリアム期の中で

そうこうしているうちに一浪ののち大学に進学した。
大学でやるべきことはたった一つ。
バンド活動だ。
授業もロクに出ずに軽音楽部の部室に入り浸り、来週は吉祥寺、来月は高円寺、といった具合にライブハウスで演奏する日々が続いた。

ベースの弦のような消耗品やスタジオ練習、そして売れないバンドにありがちなクリア出来なかったチケットノルマの差額のために、アルバイトで稼いだ金は右から左に消えていった。
食事はもっぱら激安な豆腐に納豆をぶちまけたものをかき込むか、安売りのパスタなんかを安い調味料でなんとか食えるものに仕立て上げたもの。
それでも、音楽にどっぷり浸かった日々は楽しかった。

「音を楽しむ」と書いて「音楽」だったもの

年齢が26、7くらいになると少しずつ状況が変わってきた。
いつまでも根無し草のような生活はできん、と髪の毛を切り就職活動し、バンドは趣味で…という仲間が増えはじめた。
この年齢までにプロへ取っ掛かりすらないのであれば、自分には才能も運もないのだ、という諦めと共に。

それでも。

と自分はバンド活動を辞めなかった。
あえて本当は目の前に立ち塞がる「現実」を観て見ぬふりをするための悪あがきだったのかもしれない。
30も越えて周囲が結婚したりして家庭を築いたりする中、自分はフロもないボロアパートで誰からも賞賛されない音楽のために、日々生活を送る。
時折、まるで少しでも動いたら真っ逆さまに飲み込まれる薄氷の上に立っているかのような不安感に襲われた。
そんな時はひとり、アルコールの力を借りて紛らわすことしかできなかった。

そんな中で、自分に課していた「あるルール」があった。
それは
「音楽を聴いて泣くことができなくなったら、音楽は辞める」
というものだった。
なんとなく「自分はまだやれるのだろうか?」と不安に思った時に、決まって聴いたのがジャニス・ジョプリンの「Little Girl Blue」だった。https://youtu.be/4zKBMRK4ezQ?si=22rHZWzlaDR1TuAf

悲しげなメロディとジャニスの歌声。
初めてその曲を聴いた時、嗚咽に近い感情に襲われたのをいまだに覚えている。
それ以来、その曲が自分にとって音楽を愛せているかどうかの「リトマス試験紙」となった。
数年間、その曲は自分の中でたまに湧き上がる不安感を消し去ってくれた。
その間には幾つかバンドが代わり、メンバーも恋人も去っていった。
でも自分はまだ音楽で泣ける、という事がひとつの意地になっていたのかもしれない。

それはある日突然に

自分が何歳になった時のことだろう。
いつしか「音楽をすること」が目的ではなく、何か他のものに対する手段に変わってしまっていた。
誰かと会って、音楽の話をツマミに朝まで飲んだくれる。
目の前のいろいろな面倒臭いことから「俺はバンドマンなんで」というエクスキューズを盾に目を背ける。
そういえば、いったいなんのために音楽を、バンドをやろうと思ったのだっけ?
ステージで最高な曲を最高な演奏で観客にブチかまし、最高の時を味わいたかったんじゃないか?
でも目の前の自分は、あいも変わらずゴミ屋敷のようなボロアパートでアルバイト暮らし。
老いが見えてきた親に仕送りの一つもできず、貯金なんて数百円。
スポットライトを浴びるはずのバンドは解散して久しい。

また不安が襲ってくる。

そんな時、縋るような気持ちでジャニスのCDを流す。

いつもだったらジャニスの紡ぐブルースに咽び泣くはずが、なぜか涙が一滴も出ない自分に気づいてしまった。
往生際悪く、何度曲をリピートさせても同じだった。

ああ…

そうか、自分は、自分の夢はもうダメなのか。

いつの間にか、うっすら夜が開けはじめていた。

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