娘とわたし

5歳で親子になった娘との10年

 

子宝光(茂原祥一)

 

 

はじめて会ったとき、わたしの目に倫子(娘:仮名)は小さく見えた。

わたしが母親と住む家の前のひくい縁石に座って、体をめいっぱいにこごめてうつむいていた倫子は、髪の毛で顔が見えなかったけれど目もきつく閉じているのだろうと思わせた。

「この人と結婚しようと思っているけれど」

と母親から言われていた五歳の倫子は、緊張して縮まっていたのだとわたしは本人の口からあとで知ることになる。

のちの妻由紀がわたしに気づいて立ちあがったときも、挨拶をしているときも、倫子は縁石の上で首を折ったままでいる。

わたしは上から威圧して倫子を緊張させないようにかがむと、めいっぱい優しい声をつくって、こんにちは、と声をかけた。

ゆっくり顔をあげた倫子はわたしの目を見て「こんにちは」と澄んだ声ではっきり言うとすこし微笑んでから、またバネがもどるみたいに体をこごめてうつむいてしまった。

手足はか細いけれど健康そうな肌色の女の子。笑うとはにかむように目が細くなるところは自分に似ているとわたしは思った。

 

歩いて十分ほどの武蔵関公園で、池の畔にある広場のベンチにすわると、由紀が気をきかせて広場のむこうにある自動販売機のほうへ歩きはじめた。

往くだけで一分かそれよりもかかりそうで、わたしは倫子とほとんど話していなかったから、座ったばかりのふたりを置いてきぼりにしないでほしかった。

けれど、そう思ったときには由紀は声を大きくしないと届きそうにないところまで行ってしまったので口には出さずに待っていた。

心細い気持ちは倫子もおなじだったようで、わたしとわかれての帰り道、ベンチでのことを母親にこう言ったという。

「あのときさぁ、なにを話したらいいのかわからなくてこまったよ」

幼いながら、受け身ではなく自分からもなにかを話さなければいけないと思ったところは会話の能力の高い倫子らしいとわたしはあとで思い出す。

わたしの実家の前でわかれたあと、ふたりは十数分ほどの自宅マンションへ帰っていった。その途中で、

「どうおもう?」

と、母親に訊かれた倫子は、

「いいんじゃない」と答えたという。

 

結婚後、二人の住むマンションにわたしが来た。

恵比寿にある自分の会社に一時間あまりかけて通勤する由紀にかわって、都心から実家に仕事場を移していたわたしが、日中の倫子の面倒をみるようになった。

倫子は保育園の年長組で、来年の小学校の入学までまだ十カ月ある。

 

夕方、保育園からひきとったあとで、週に何日かスーパーマーケットにつれて行った。

倫子はわたしの手にぶら下がって、足を伸ばしたまま一、二メートル引きずられるのを好んだ。その数秒間だけスーパーの中が親子の遊び場になる。

ある日。商品の棚をみながら、いつものように引きずりはじめたとき、「おとうちゃん」と、おずおずとした倫子の声が聞こえた。

振り返ると、神妙な顔で見あげている。

倫子はこれまで「おとうちゃん」と呼んだことが一ぺんもない。いつも、「お父さん」だった。

このときの「おとうちゃん」に新鮮なひびきを感じてわたしが笑うと、こんどは少し大きな声ではっきりと、

「おとうちゃーん」と、いたずらっ子の目になって言った。

隣にいた中年の女性がこちらを見て微笑んでいる。

「よせよ、恥ずかしいからさ」

照れるわたしの顔を見てから、

「おとうちゃーん」

とさらに声を大きくして、笑った。

ちかくの主婦たちは手にぶらさがった倫子を見おろしてから、わたしに視線をもどして、だれもがおなじ微笑みをうかべる。

遠くの人々も買い物の手をとめてにこやかにこちらを見ている。

「おい、やめろってば」

 とわたしはささやくが、頬はゆるんでいる。

「ねえ、なに恥ずかしがってんの、おとうちゃーん。うちではいつもおとうちゃーんって、言ってるじゃなーい」

 

子供がほんとうのことを言っていると十人が十人見るにちがいない。

否定すればするほど、立場はしずんでいく。本人の意図しないかわいい罠を、かけたほうも、かけられたほうも楽しんでいた。

わたしはこのときはじめて、大人の心のうごきを表情と口調から正確につかむ眼を倫子に感じた。発した言葉も的確だった。

このこは、アタマの回転が速い。学校にあがってからが楽しみだ……。

 

この期待は後年、完膚なきまでにうらぎられることになる。

それまでは、能天気な親ばかの日がつづく。たとえそれが短期間であったにしても。

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