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Theme 3: 消毒(全3話 その2)

disinfection, 2

医師/精神分析家(慶應義塾大学環境情報学部)
岡田暁宜(おかだ・あきよし)さんが綴るワンテーマ・エッセイ
《ぼくたちコロナ世代》避密ライフのこころの秘密
テーマ1「マスク」
テーマ2「検温」
につづき

テーマ3は「消毒」です
あちらこちらでこの文字を目にする毎日ですね。
全3話の二つ目は


2/3 清潔と不潔

 失われた消毒液(赤チン)への懐古的な気持から、現在の“コロナライフ”における消毒へと気持を移したいと思います。コロナライフにあって我々の日常生活に浸透した行動のひとつに、手指消毒があります。

 「消毒」という言葉は、私の身体医学に関する記憶を想起させてくれます。学生時代のポリクリと呼ばれる臨床実習において、[手洗い - 消毒 - ガウンテクニック - 手袋装着]などの手術前の一連の作業、あるいは[清潔操作]が求められる外来や病棟における各種処置に関連して、〈清潔/不潔〉という臨床医学的な概念を学びました。
 「清潔」とは、滅菌あるいは殺菌された状態にある対象を示していて、それ以外の状態にある対象はすべて「不潔」とされます。ここでいう清潔とは、日常語でいう「キレイ/キタナイ」(汚れているかどうか)という意味ではなく、滅菌や殺菌によって意図的に生み出される非日常的な状態を指しています。臨床医学的な視点でみれば、身体の中の無菌部分(胸腔内・腹腔内・血管内など)を除けば、日常生活におけるすべての対象は「不潔」といえるでしょう。

 この概念は、すべての対象を「清潔か不潔か」で二分する、“白か黒か”という世界観をもたらします。医療関係者にとっては、不潔は普通あるいは自然なことであり、清潔の方が特別あるいは不自然なことといえます。だから医療関係者は、不潔のなかで清潔を保つため、日常的に細心の注意を払っているのだと思います。
 いずれにしても私は、この〈清潔/不潔〉という概念を通じて、「肉眼視-的(macroscopic)な世界のなかに、細菌やウイルスなどの顕微鏡視-的(microscopic)な世界が同時に併存している」ことや、「日常的な意味で清潔なように見えても、臨床医学的な意味では不潔なことがある」ということを学びました。

(Theme 3:消毒 最終回につづく)


医療関係者にとって「不潔は普通あるいは自然なこと」とは
ちょっとした驚きです

日常には"白と黒"をはっきり切り分けられないことが大半のように思えます
医療者ではないわたしにとっては「清潔~不潔」の間には
グラデーションのような変化があるように思えます
「あいまい」を許さない一面があるからこそ守られる人の命であり、健康な身体なのかと考えさせられます

「消毒」の最終回が
どんな話題にせまるのか
たのしみです!

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