私が今上陛下のことを涙が出るほど大好きだと思う理由。

私には、右とか左とかの思想のことがよく分からないので、本当に単純に、あと数日で平成が終わるというこの日に、この気持ちを残しておく。
誰のためでもない、私と、私の中にある「今上陛下から感じ取ったもの」のために。

平成最後の一般参賀に「参加したい」と思ったのは、「平成最後だから」とかいうのではなかったけれど、ちょうどタイミングよく実家にも戻らずに地元に居たので、夫が誘ってくれた。
夫は、毎年恒例の友人たちとの初詣を蹴って、東京行を決断してくれた。
友人の一人に、「インフルに気を付けて」と言われたのに対して、「そんなことになったら奥さんに泣かれてしまう」と恐れ慄いたとか。

平成三十一年一月二日、地元駅を朝一で出発し、朝九時前に丸の内から歩き始めた時には、既に、皇居の周りは警察の車両等々でかためられて、厳重な警備態勢が敷かれていた。
途中で有志の方から、日の丸の紙旗を頂いて、くるくる回しながら列が進むのについて行った。
九時にはものすごい人の列に並ばされて、持ち物検査のテントをくぐり、列がランダム?にはけていくのを、今か今かと順番を待ちながら、端の方にちょっとだけ白い雲の浮いた青い青い空をずっと、まぶしいと思いつつずっと、眺めていた。
一回目の陛下のお言葉が始まったのは、私たちがまだ、ブロックごとに並ばされたままの状態で、「あの辺りにバルコニーがあるのかしら」と思っていた方向から、かすかにお声が聞こえてきた。
テレビで見る、あのゆっくりとはっきりと「伝えよう」という気持ちの載ったお声が、遠くの木々に囲まれて全く見えないバルコニーから、漏れ聞こえていた。

私たちの列は、二回目の陛下のお言葉が始まるかというところで動き始め、機動隊の本部の前を通り(夫が興奮していた)、かなり長い緩やかな坂を上りながら大きな門をくぐり(何門だっけな……?)、またかなり長い緩やかな坂を登っているところで、二回目の陛下のお言葉が始まってしまった。
お声はマイクを通していたので、そこそこはっきり聞こえていた。
何をお話になっているかも、そこで聞こえてしまったのだけど、それでも午前中の三回目の一般参賀に間に合い、バルコニーの向かって左(下手方向)の方にモニターが設置されていたので、その前から少し離れたところに陣取って、陛下のお出ましを待っていた。
けれど、ちょうど私からの角度の前方に、両手でカメラを掲げている男性がいて、バルコニーすら全く見えず……。
だからと言って、少し頭の位置をずらしたとしても、他の人たちが振っている紙旗に隠れてしまって、身長の高い方の私が、「ああ、身長が低い人の気持ちがよく分かるわ……」と思った。
おまけに、右側に家族連れなのか分からないけど、全く関係ない話を延々としているグループがいて、「せめてお言葉の時は静かにしていてよー!」と、祈っていた。

陛下のお言葉は、とても静かで、その日の日差しのようにあたたかで、深い深い「愛」と「祈り」が込められていた。
私は陛下のことを、「愛の人なんだ」と思った。
陛下にとってのお父さまとも、お祖父さまとも、先祖代々の「天皇」としての責務を負ってきた方々とも全く違う、「象徴天皇」というお立場にひたむきに向き合ってきたのは、「陛下が愛の人だからなんだ」と、思った。

そして、陛下は「みんなのおとうさまだ」とも思った。

この日本という国に立って、「象徴」とはいえ「天皇」という責務を負い、「国民」を背負ってきた、「おとうさまなのだ」と思った。
そしてそのことに気が付いて、どうしようもなく胸が「愛に震えた」。
陛下の深く、広い愛に触れて、私の中にないと思っていた「愛」の泉が揺さぶられて、「愛」が泉を満たして、そしてあふれ出した。

陛下のお姿は、モニター越しにほんの数秒、見えただけだった。
それでも、私の中に「陛下の愛と祈り」が残って、私の「愛」を揺さぶり続けた。

皇居から出るまでの長い道中、ずっと涙が止まらなかった。
嬉しくて喉と胸がつまるような感じがして、何度も何度もハンカチで目元をぬぐったけれど、次から次から涙があふれだして、止まらなかった。
アイメイクはして行った意味がなくなった。

……どうして、今上陛下と皇后陛下をテレビなどで拝見していると、嬉しい気持ちになるんだろうと、思っていた。
仲睦まじく、支え合うお姿にあこがれを抱いているのか。
気品の中にユーモアを忘れないお姿に、好感を覚えているのか。
実はちょっとお茶目なおふたりが、微笑ましいのか。
でもどれも違う。
災害などで被災地を訪問された際に、おふたりは被災者の方々ひとりひとりの目の高さを合わせて、腰をかがめ、膝をつき、時には肩や背中をさすって、「どんな時も、国民と痛みを分かち合い、出来るだけのことをして寄り添う」ということを、自ら示しておられるからだと思う。
「寄り添う」ということは、口で言うことはとても簡単で、そして、行動に移した時に嫌味がないようにすることは、とてもとても難しい。
おふたりは「寄り添う」時、「天皇」「皇后」というお立場でなく、ひとりの「ひと」として、ひとりひとりに接しておられることが分かるから、だから、私はおふたりのことが大好きなんだと思う。

今上陛下が「おとうさま」なら、皇后陛下は「おかあさま」で、日本国民は皆、おふたりの子どもなのだ。

元号が「平成」になって、今上陛下がご即位されてからの三十一年、人知れず陛下が悩み、惑い、立ち止まり、苦しみ、そしてまた常に前を向いて下さったことは、私はとても尊いことだと思う。
私みたいな一国民が言えることではないのかも知れないけど、でも、それでもやっぱり、「尊い」と思う。

おふたりが退位されても、どうか、末永く仲睦まじいお姿を、時々国民に見せて頂けますように。
心よりお祈り申し上げて、この私の「今上陛下と皇后陛下への愛を恥ずかしげもなくさらけ出したラブレター」を、締めます。

「おとうさま」、「おかあさま」、「ありがとうございます」。

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