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【簡易軌道風蓮線】別海村営軌道の痕跡を探して 【奥行臼編】

釧路から車で2時間弱の別海町にある旧国鉄の標津線厚床支線奥行臼駅は、同線が廃線になったいまも往時の姿を留める貴重な遺産だ。

もっとも、この周辺は奥行臼駅の他に国指定史跡である駅逓、そして今回のメインである簡易軌道風蓮線、別海村営軌道の停留所等施設が一堂に会し、その手の趣味人なら一見の価値はあるエリアである。別海町は町の文化財として国鉄駅舎および軌道施設群を登録しており、鶴居村に並んで軌道の保存に意識の高い自治体なのだ。

ここで取り上げる簡易軌道は奥行臼と上風蓮の間を結んでいたが、今から半世紀前の1971年に廃止されている。

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軌道はこの国鉄の駅前まで伸びていたが、肝心の停留所や車庫、施設は駅前の道路を渡った斜め向かいに位置していた。

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ひし形の窓のついた扉が特徴的な軌道詰所兼待合室は、当時と変わらない。駅逓公開時には中を見学できる。

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転車台はピット部分がはっきりと確認できる。当時、積雪がある時期は掘り出すのに相当苦労したであろうと思われる。

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転車台の奥には崩れかかってはいるが車庫も残されたままだ。3線分の幅があるのでかなり大きく感じる。中は床下点検用のピットが掘られているようだ。

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当時使用されていた釧路製作所の自走客車、KATOのディーゼル機関車、そして集乳缶を運んだ貨車が施設群に彩を加える。青空の下、3種類の軌道車両を一度に見られるのは国内でここしかない(簡易軌道は北海道にしか存在しないので元々の数自体が少ないということもあるが)。

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写真下が奥行臼駅側である。当時の配線図と見比べていただきたい。

詰所の左側の空き地は現役時代、無線アンテナと牛乳タンクを貨車からトラックへ移し替える大掛かりな設備があったが現存しない。しかし、無線アンテナの基礎部分のコンクリートが詰所のすぐ裏手に残っていることが昨年の訪問で確認できた。簡易軌道のバイブルと言っても過言ではない『釧路・根室の簡易軌道【増強改訂版】』(釧路市立博物館)の130ページに掲載された写真に、そのアンテナが写っている。また、この記事のトップにある写真とほぼ同じ角度で撮影された1968年当時の写真も同ページに掲載されている。

ちなみに、先ほど車庫を紹介したが、この左側にもう一棟、車庫のような建造物がある。当時の写真を見るに元々は工場のような場所であり、どうやら軌道が廃止されてから改築され、大きな扉がつけられたようである。

軌道は奥行臼を発車すると、原野に向かい左へカーブして次の奥行臼第一停留所を目指す。

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次回はこの続きを。


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