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#030|苛立ちと向き合う

どうも、コッチーです。
些細なことに苛立つ自分を晒したことにより、「うっわコイツ器のちっさいヤツだなあ」とドン引きされた方もいらっしゃると思いますが、僕はこの苛立ちと向き合って内外とも穏やかな人間になりたいと心底思っています。(なれるかは別です)

苛立ち、すなわち怒りは我慢し続けるといずれ限界が来るし、かといって明日から気にしないようにするなんてもの不可能です。

そこで、どうしてその事柄にイライラするのか、イライラしてどういったメリットがあるのか、などと考えて答えを出す事が問題解決へのアプローチとして適切なのではないかと考えました。

巷で話題の仮装大行列イベントも、もちろん根暗陰キャの僕は苦手です。例年、ゴミだらけで汚くなった街の報道を見てはてイラついています。僕には実害無いのに。

しかし紐解いていくと、イベントやコスプレが苦手なわけではないことに気づきました。イベントはイベントで好きにやればいいし、コスプレもやりたいようにやればいいと思うんです。特定のコンテンツを嗜む方々が集まって何かを楽しむのは大いにやったら良いと思います。そこに対しては楽しんだらいいよ、くらいしか思いません。

では何が苦手なのか?を考えると「お調子者が苦手」というところに至りました。

なぜお調子者が苦手なのか。恐らく、夜中に騒いだりゴミをポイ捨てしたり、なんか態度がデカい感じの人が多いからです。

節度のあるお調子者がいらっしゃるかは存じ上げませんが、もしもお調子者が夜中に騒がない、ゴミはゴミ箱に捨てるようなキチンとした方々であれば、きっと異なる印象を持っていたことでしょう。

よくよく考えると、僕がイラつく要素の殆どにお調子者が登場している気がします。荒い運転をする人、炎上に加担する人、銭湯の湯桶に水を貯めたまま放置していく人…などなど。

僕の定義する「お調子者」は、とにかく調子が良くて、何か注意をされても気にならないし、何を言われているのかを理解する必要がないと考える人であるため、ある意味幸せな人のことです。

そう、周りから嫌な目で見られようが、何を言われようが、分かっていないから幸せなんです。「そんな薄っぺらい幸せでいいのか」だの何だの外野が言ったところで、外野の言う「厚い、深い幸せ」なんて物に興味はないのかもしれない。

自分が周りに気を配って行動するように心がけているのに、彼らはルールを破っていたり周囲に迷惑をかけたりしている。それなのにもかかわらず、咎められないし、咎められたとて分からないので幸せに暮らせるという不平等さに対するモヤモヤ。

簡単に言ってしまえば、イライラの原因は嫉妬なんじゃないでしょうか。お調子者に対して「もっと人目を気にしろよ」と思っている状態に近い気がします。

僕は根暗陰キャ歴=年齢のプロ・インキャーですから、人目ばっか気にして行動を抑制する事が多々あります。彼らは人目が気になりません。悪く言えば自分本位・自分勝手ですが、良い言い方をすれば、たった一度の人生だからこそ、楽しみきる方向に舵を切り、実践していると言えるでしょう。

嫉妬こそ自分本位なのでは?僕も同類では?と思いながらこの文を書いています。

イライラの原因、仮だとしても一個結論が出せました。なんだか少し脳内のバグデータが減った気がします。デフラグ進捗のプログレスバーが少し進みました。

イラつき(嫉妬)にメリットなんてありません。別のことに時間を使った方が精神衛生上宜しいです。苛立たない修行に励みます。短期は損気。

コッチーでした。

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