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コロナ禍で、医学生だった私の答辞

1年前、私は医学生でした。
コロナ禍で学生最後の年を過ごし、いろんな機会が奪われたのは確かです。
それでも、卒業式はなんとか開催していただけました。
本当は大学全体の代表でしたが、学部ごとの開催になり、医学部代表としての答辞となりました。
「少しでも多くの人に届いて欲しい」
そんな思いで、私の一世一代の文章を投稿します。
2021年3月、医学生だった私の答辞です。

 冬の厳しさも徐々に和らぎ、日に日に暖かな春の日差しを感じられるようになりました。この良き日に、私たちのために素晴らしい卒業式を挙行していただき、誠にありがとうございます。新型コロナウイルス感染症という脅威の中、卒業式挙行に際しご尽力くださった皆様、ご多忙の中ご臨席くださいました皆様、また配信をご覧になっている皆様へ、卒業生・修了生を代表し、心より御礼申し上げます。
 6年前、私が大学入学を機に決意したのは、「置かれた場所で、いま、ここを一所懸命生きる」ということでした。自分が医師になりたいと思った原点、目指す医師像を決して忘れることなく、いま自分ができることに向き合っていこう、と。大学での医学の勉強と、人の人生に影響を与える者に値する人間性を涵養すること、その両方を大切にすることを6年間の目標とし過ごしてまいりました。そして、大学の勉強はもちろん、サークルや学外での活動など、自分がやりたいと思ったことは何でも挑戦しました。自分の「いま、ここ」を大切に生きることが、自分自身の人生の充実ばかりでなく、患者さんの人生にかかわる者として、より良い治療やケアに直結するはず。それなら、これほど素晴らしいことはないと思っております。

 そして2020年、私は学生最後の年を最高の年にしようという思いに溢れていました。しかし、日本を、そして世界を、未曽有の危機が襲いました。その結果、私は2年がかりで準備していた留学の機会を失いました。患者さんから生きた学びをいただく病棟実習の機会、友人たちと気兼ねなく過ごす日々、行きたいところにいつでも行ける自由。今まで当たり前だと思っていた幸せの多くが、当たり前ではなくなってしまいました。しかし、その中でも、私自身がいまできることに常に全力を注いできたこと、これだけは確かでした。
「たったひとつ、あたえられた環境でいかにふるまうかという、人間としての最後の自由だけは奪えない。」
その言葉のように、私たちが新しい日々をどう受け止め、どう生きていくかという、人間としての最後の自由までは、決して奪えないと思っております。
コロナ禍という未曾有の危機の中で、私たちは学生最後の年を過ごしました。その中で失ってしまったもの、悔しさ、そして悲しみ。失われた日々は、決して戻ってくることはありません。しかし、だからこそ、その日々を生き抜いてきた私たちが、未来に希望の光を与えることができますように。今までの学生生活は、コロナ禍での経験や自分の思いも含め、かけがえのない糧として私たちの中に生き続けるでしょう。


変えられないことを受け入れる平静さ。
変えるべきことを変える勇気。
そして、その違いを常に見分ける叡智。

それらをしっかりと持ち、これから先の光を生み出せるよう、一瞬一瞬を大切に生きてまいります。コロナ禍で学生最後の年を生きた、最初の医療従事者として。

 今の私があるのは、医師になりたいという私の思いを全力で支え、温かく見守ってくれた家族と、このような医師になりたいと心から思わせてくださった先生方、夢を語り合える仲間をはじめ、かけがえのないご縁に恵まれたからです。私は、私が出会ったすべてのものの一部であり、このご縁による奇跡を決して忘れることはないでしょう。

 最後になりましたが、今日まで私たちを熱意のもとご指導くださいました諸先生方、関係職員の皆様、そして深い理解と愛情を持って私たちを育ててくださいました保護者の皆様に、心より御礼申し上げます。
 母校の益々の発展と、母校に関わるすべての皆様のご健康並びにご多幸を心よりお祈り申し上げ、答辞とさせていただきます。

医師となった今、1年前の自分の文章を読み直しても、思いは同じ。 

私は、この仕事を選んで、本当に良かった。


#卒業のことば #答辞 #ニーバーの祈り #医学生 #note初心者

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