見出し画像

吉野源三郎版「君たちはどう生きるか」が問う、「生きる意味」。

試される大地にも、夏が来ました。
暑いけれども、爽やかな風が吹き渡る夏は、とても気持ちがいいものです。
短く儚い、心地よい季節。
悔いなく味わい尽くしたいものです。

さて、去る7月14日に、宮崎駿監督によるジブリ最新作「君たちはどう生きるか」が公開となりました。
ジブリ好きとして、映画好きとして、もちろん観にいきました。
そこで私が言えるのは、「・・・沈黙しなければいけない」。
それだけです。
映画をご覧になった方は、真意に気づいてくださると思っています。


今回、上記話題作を鑑賞するにあたり、吉野源三郎氏による同名小説「君たちはどう生きるか」、及びその漫画版を読み返しました。
元々、漫画「君たちはどう生きるか」は、筆者の愛読書でもあります。
ジブリ版については「語り得ない」代わりに、漫画そして小説を読んでの、吉野源三郎版「君たちはどう生きるか」について、ここに自分の言葉でまとめてみようと思います。



元々の「君たちはどう生きるか」とは何なのか


「君たちはどう生きるか」は、児童文学者・編集者である吉野源三郎氏が、1937年に発表した小説の名前です。吉野源三郎氏は岩波少年文庫の創設にも尽力され、まさに子どもたちのための文学作品の礎を築いた人物と言えるでしょう。

内容は、日々様々な疑問について考えている中学生・本田潤一(愛称・コペルくん)が、元編集者の叔父さんとの対話の中で、人として成長していくストーリー。
コペルくんの願いは、「立派な人間になること」。それは叔父さんの願いでもありました。
そんなコペルくんは日常のふとした瞬間や、友達との関わり、そして、本気で苦しんだ経験から、物事の意味について深く、深く考えていきます。
そして叔父さんは、そんなコペルくんに一冊のノートを手渡すのでした・・・。

そんな「君たちはどう生きるか」が、近年、漫画家の羽賀翔一氏によって漫画化されたのです。
80年もの間読み継がれてきた今作が2017年に漫画化されるや、当時多くの話題を攫いました。2018年3月時点で200万部を突破したのですから、それはもはやベストセラーと言っても過言ではありません。

筆者もそのブームの最中、漫画「君たちはどう生きるか」に影響を受けたものの1人です。
個人的にはブームに乗るという行為が嫌いな筆者でしたが、たまたま目にして読んでみたところ、たちまち夢中になって読んでいたのでした。
そして今や、筆者にとり大切な本の一部になっています。


なぜ「君たちはどう生きるか」は”名著”なのか


吉野源三郎氏による小説版「君たちはどう生きるか」は、漫画版「君たちはどう生きるか」の出版に伴い、新装版が刊行されています。
新装版の小説で前書きを担当している、池上彰さんの言葉を抜粋します。

いまになってみると、父が息子に読ませたくなった気持ちがわかります。
人間としてどう生きればいいのか、楽しく読んでいるうちに自然に考える仕掛けが満載だからです。
これは、子どもたちに向けた哲学書であり、道徳の書なのです。

吉野源三郎  新装版 小説「君たちはどう生きるか」 p3

「人間としてどう生きればいいのか」
その答えに絶対的な正解などないのかもしれません。
それに、それについて大人が一方的に子どもに教えたところで、子どもにとって真に得られるものは少ないでしょう。
「人間としてどう生きればいいのか」は、生きている自分自身が、その経験の中で考えていかなければならないのですから。
その意味で、「君たちはどう生きるか」は、考えるヒントにあふれています。子ども自らが、この本を読むことで自発的に考えられるように。

自らの体験をもとに悩み考えるコペルくんと、叔父さんの対話の中には、まさに生き方の指針となるような言葉が散りばめられています。
だからこそこの本は、親子三世代にわたって読み継がれ、名著との呼び声高い本となったのです。


「君たちはどう生きるか」が問う、「生きる意味」


勇気、いじめ、差別、学問・・・。
私たちが生きていく上で、ちゃんと考えなければならないこと。
「君たちはどう生きるか」で子どもたちは、それらについてコペルくんと一緒に追体験しながら学び、自発的に考えることができます。


そんな本書が放つ最も力強いメッセージ。

「僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている」
 (君たちはどう生きるか)

この言葉を読んで筆者が思い出したのが、フランクルの「夜と霧」です。

「夜と霧」とは、ユダヤ人精神科医フランクルが、ナチス強制収容所で自ら体験したことをもとに、生きることの意味について述べた、これまた名著です(「夜と霧」については、以前当方のnoteでも紹介しているので、よろしければご覧ください)。

個人的な極論ですが、「夜と霧」で最も言わんとしていることを卑近な例を用いてわかりやすく示したのが、「君たちはどう生きるか」なのかなと思っています。
「君たちはどう生きるか」の前述の言葉は、以下の言葉とほぼ同義と思えてならないからです。

「あたえられた環境でいかに振る舞うかという、人間としての最後の自由だけは奪えない」
 (フランクル「夜と霧」)

「君たちはどう生きるか」というタイトルからもわかるように、生きる意味について少年少女にもわかりやすく伝えんというメッセージ性を感じます。

本当に生きるということは、自分が経験した苦しみや悲しみに意味を与え、これからの生き方を自分自身で決定することだと。
まさに、フランクルが「夜と霧」などで訴えた思想と、根本では同じではないでしょうか。

たとえ強制収容所のような凄絶な体験をしていなかったとしても、私たちは自分たちの生活の中で、確かに生きる意味を見出すことができる。
心から感じたことやしみじみと心を動かされたこと、そして苦しみや悲しみの意味を考えていくことができれば・・・。

僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。
だから誤りを犯すこともある。
しかし、
僕たちは、自分で自分を決定する力をもっている。
だから、誤りから立ち直ることもできるのだ。

吉野源三郎  新装版 小説「君たちはどう生きるか」 p273

最後に。
漫画版「君たちはどう生きるか」で叔父さんはコペルくんに、
「君はある大きなものを日々生み出している。
それは何だと思う?」
と問いを投げかけています。
漫画版では、その問いは明らかな形では示されていません。
しかし、小説版ではその問いの答えが、コペルくん自身の言葉で示されています。
漫画版だけではもったいない。
ぜひ、小説版も読むべき名著なのでした。

出典
・吉野源三郎 新装版 小説「君たちはどう生きるか」
・吉野源三郎 羽賀翔一 漫画「君たちはどう生きるか」



この記事が参加している募集

#読書感想文

188,500件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?