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「なりたい自分」の先にいる人

前回記事では、なりたい自分について書きました。自分の個性に気づき、それを発露させられるようになりたい。だから、今は自分の好きなものをまずは育てていきたい。そんな思いを文章にしています。

前回記事はこちら↓


そんな私の「なりたい自分」像ですが、文章を書いているうちに、それを体現している友人がいることを思い出しました。私の「なりたい自分」を既に体現していて、私の先を歩いてくれているその友人のことを、今回は書いてみようと思います。

その友人は私にとって大事な親友のひとりなので、以下親友と呼びます。



とんでもなく面白い人か、とんでもなく‘やばい人’か


親友は対面する前から私の目を引く人だった。

親友は会社の同期で、私が彼女を認識したのは内定者が招待される内定者交流用のサイト上でのことだった。そこではプロフィールの設定をさせられて、たしか自分の写真と出身地や趣味などの項目があったと記憶している。もちろん、ほかの内定者のプロフィールも見ることができる。

プロフィール写真は個性が出ていて面白い。履歴書用と思われる証明写真の人もいれば、プライベートの決め顔ドアップの人もいるし、あまりハッキリと姿が写っていない写真、あるいは自分の姿ではなく趣味の車やらなんやらの写真など、実に多種多様だった。

そんな中で一番印象に残ったのが、親友の写真だった。なぜならそれは、メジェド神のコスプレ写真だったからだ。

メジェド神は古代エジプトの謎多き神様。
ゆるキャラブームに乗ったのか、グッズも結構出ている。


メジェド神が通じる人は、少なくともマジョリティではないはずだ。しかもそれをコスプレに選び、内定者サイトのプロフィール画像に選ぶ人は極めて少数派だと思う。個性が爆発している。

とんでもなく面白い人か、とんでもなく‘やばい人’か。

どんな人なんだろうと思いながら、その人を見ることができる機会を待った。この「見る」というのがポイントで、まずは安全な距離から様子を窺おうと思っていた。

内定者サイトの開設から月日は流れて10月1日、内定式の日。夜は懇親会だった。いくつかの丸テーブルに別れて座らされた。席は指定されていたので、残念ながら例の人と同じグループにはなれなかった。

食事が終わったあたりで、グループ対抗のクイズ大会というレクリエーションが行われた。どこかの優勝したグループは、代表者を出してみんなの前でひとこと言うようにとアナウンスされた。優勝したのに半分罰ゲームやないかと思って見ていた。

いそいそと前に出てきたのは、一人の女性。自分でも偏見なのは分かっているのだが、これまでの学生生活から、こういう場面では男子が出て来るのがセオリーだと思っていたので、女性が出てきたことに正直びっくりした。だがその直後、彼女はさらなる衝撃発言をする。

「モノマネやります。」

マジで?!と思ったのも束の間、彼女はめちゃくちゃクオリティの高いモノマネを披露して、会場中の笑いと拍手をかっさらっていった。本当に面白かったので、私も大笑いした。即興で会場を笑いの渦に変えてしまうとは、なんてカッコいいんだ。一気に羨望の眼差しに変わった。

どうしても直接賞賛の言葉を伝えたくなった。たまたま彼女のグループに学生時代の知り合いがいたので、その知人に声をかけるついで(を装って)に、彼女に「さっきモノマネしてた人ですよね?めっちゃ面白かったです!」と言うだけ言って帰った。

その後、その人こそがメジェド神の人であると分かり、深く納得した。彼女の印象が「とんでもなく面白い人」に傾き、入社したらもっと話してみたいなと思った。

運のいいことに、彼女とは入社後すぐの研修で同じグループになった。移動のタイミングを狙って話しかけ、メジェド神の話で盛り上がった。そういうマニアックっぽい話が通じると、一気に心の距離が近づくように思う。彼女と私は同い年であることもあって、仲良くなるのに時間はそうかからなかった。会社の同期にそんな人がいてよかったと大いに安心したものだ。

なお、彼女はたしかに個性的な人だが、常識的だし理知的でもあった。だからこそ、話していてとても楽しかった。

本配属先は全く違うエリアになってしまったが、その後もちょくちょく連絡を取り合っていた。

会えば元気をくれる人

初めてその親友が私の配属先に遊びに来てくれたのは、入社1年目の秋だったか。親友は所謂「乗り鉄」さんで、当時私が住んでいたエリアのローカル線の旅に来てくれたのだ。

私はかなり慎重派で臆病なところがあるので、一人旅に出るような勇気も行動力も持ち合わせていない。これまで築いてきた友人にも、そういう趣味の人はいなかった。だから行動力に溢れた親友の話は新鮮だったし、自分にはない経験談の数々にワクワクさせられた。

親友と食事を終え、近くの駅に見送った帰り道。いろんな話ができたこと、なによりも親友が新幹線でも2時間以上かかる距離にいる私に会いにきてくれたことそれ自体に嬉しさが込み上げてきて、つい夜空をニヤケ顔で見上げたことを今でも覚えている。

その後、親友と何度かおでかけもしたし、泊まりがけの旅行にも行った。どれも私の人生で楽しかった旅行の上位にランクインしている。大体親友の方から大まかな旅行計画の提案があって、私もいくらか案を出し、最終的に親友が仕上げてくれる。旅慣れているだけあって、旅程の組み方が上手い。絶対に面白スポットを提案してくれるし、宿選びもさすがだ。
親友のおかげで私の世界は広がったと思う。それには感謝しかない。

日本にいながら、海で泳ぐペンギンを生で拝むことができたのも、親友の提案があったからこそ。
(長崎ペンギン水族館にて)
広島県江田島市にある、海上自衛隊第1術科学校(旧海軍兵学校)の見学ツアーにて。これも親友が見つけて申し込んでくれた。


でも、旅程の良さだけでなく、やっぱり長時間一緒にいてもそんなに気疲れしないことや、話が楽しいこと、それが親友との旅行の楽しみに大きく貢献していると思う。たわいもない話も、真面目な話も。あまり多くの人には言えないような話なんかも親友とならできた。がら空きの大浴場のヘリに座って語り合ったこともある。

旅の終わりはいつでも寂しくなる。ただそれを上回る充足感があった。親友とのおでかけの後は元気がチャージされて、その後数日間は楽しかった余韻で元気でいられた。

つまり、私にとって会えば元気になれる人だった

会えば元気をくれる人。親しい友人ならだれでもそうというわけではない。親友は一体どこが違うのだろう?

その理由を考えてみて思い至ったのは、親友がエンタメ精神にあふれているということだった。

それも、他人を楽しませるだけでなくて、自分の人生を楽しもうとする姿勢をもちあわせた、自他両方に対するエンタメ精神である。

親友の話の面白さは、自分の人生を楽しんでいる副産物としての魅力的な経験談だけではない。なんらか笑えるネタを披露してくれるし、私の話に対する相槌にもセンスを感じる。しかも、正直どこまで相手を笑かそうと意識しているのか分からないくらいナチュラルなのだ。それがすごい。

かつて一緒に、桜で有名な奈良県の吉野の山を登ったことがある。かなり傾斜のある坂道を登っていた時、身体がひどく前のめりになって、間近に地面が見えていた。もはや上半身は地面と平行になっているんじゃないかと錯覚するほど、斜めになりながら歩いていたのである。

「ありえないくらい身体が斜めになってるんだけど!」

と私がギャーギャー言っていると、

「物体は地球の重心に向かって鉛直になろうとするから、この坂道に対してはそれが正しい角度なはず。だから大丈夫やで。」

というようなことを言ってくれた。こういう切り返しが私は好きなんだ。

桜の盛りが過ぎていて、地面に散った大量の花びらを踏みしめながら登った。
どうしても桜が見たくて、近鉄吉野駅から奥千本(標高差500m超)まで徒歩で登ってようやく出会えた桜。


実るほど頭が下がる稲穂かな、な人

話は変わるが、私は大学時代にちょっとした「学歴コンプ」をこじらせていた。

というのも、私は高校生活の大部分を受験勉強にかけていたのだが、第一志望の某国公立大学に落ちてしまった。時間切れ直前に答えを書き直したセンター試験のとある問題。それさえ書き直していなかったら、私は第一志望校の学生になっていた。非常に悔しい経験である。

浪人して頑張れるほどの気力はもうなかったし、やりきったからこそどこかで諦めもついていた。合格していた某私立大学でも学びには支障がないと思い、そちらに進学した。でも、必死に5教科7科目を頑張っていただけに、推薦やら3教科の勉強で入れてしまう私立専願の学生と一緒になるのが、当時の私にはどうしてもつらく感じられた。立派な学歴コンプ所持者の誕生である。

親友は、私が落っこちた第一志望校出身者である。親友は理系、私は文系なので、受験において直接のライバル関係でも何でもない。だが、彼女の肩書は、自分のコンプレックスを刺激するには十分な要素のはずだった。

しかし、意外にも私は親友の最終学歴を知った時、その才能に憧れこそすれ、嫉妬することはなかった。

親友の存在は、むしろ私を納得させてくれた。最初に会ったときに受けた衝撃もそう。私がボロボロになってなんとか書き上げた(ことにした)修論。親友は概要部分に縦読みを仕込んだらしい。いや~、そんな余裕があるのも、そんな文章を書けてしまうのもすごすぎないか?こういうことができる人が行く大学なんだろうなと腹落ちした。

なお、私の学歴コンプは、それなりに充実した大学生活を送れたことと、社会人になって学校というシステムから飛び出したことで徐々に薄れていった。

ところで、もし、私がその某国公立大学出身者だったら、調子に乗った鼻持ちならない人間になっていたかもしれないなと思う。実際にその偏差値帯の大学出身者の中には、そういう残念な人もいる。しかし、親友は非常に謙虚なのだ。それがまた私の親友に対する尊敬の念を強くさせる。

ここで一つ、かつて親友に近況報告として話したエピソードを紹介させてほしい。
数年前、私が婚活もどきをしていた時に出会った、一人の男性の話である。

その人と初めてランチに行ったときのこと。会話の序盤で「ゲシュタルト崩壊」という言葉を私が使ったら、その男性は、

「ゲシュタルト崩壊の語源って知ってる?」

と言ってきた。語源までは自信がないと答えたところ、語源の説明とやらをされて、

「それも知らないでその言葉使ってるんだ。」

と言われた。初っ端から暗雲立ち込めたり。案の定、その後もなかなか香ばしい発言を連発された。数年たった今でも覚えているのは、

レストランを出て歩いていたとき、突然の
「北ってどっちだか分かる?」

帰り道で、これまた唐突な
「sin60°がいくつだったか、ちゃんと覚えてる?cos30°は?」

などなど。終始マウントを目的とした何の益もない質問を振られた。もうこの人と次はないな。私も我慢の限界がきていた。三角比クイズには適当に答えて、

「ところで、波って2種類あるらしいですね。知ってますか?」

と切り返した。当然相手は答えられない。なぜなら数Ⅰの三角比の知識でマウントをとろうとしてくるレベルの文系人間だから。押し黙った相手に横波と縦波の簡単な解説をして、小さな仕返しをした。

と、この話を親友にした。私としては、波の話は物理をほとんど履修していない文系人間には、高等知識だと思っていた。実際に利き目もあったし。でも、親友の感想は、

「へ~、そんな物理の初歩的知識でその相手だまるんや。」

だった。実のところ地味に私もダメージを食らった。そうか、初歩的な内容やったんか……。私は深く己を恥じた。

お察しかとは思うが、親友は世間一般から見たらめちゃくちゃ賢い人なのだ。でも嫌味なところは全然ないし、傍から見ていれば自己評価が低すぎやしないかと心配になるくらい謙虚である。「実るほどに頭を垂れる…」は正しいんだなと思った。

(余計なお世話だが、そんな親友には何があっても自信は失わないでいてほしい。)

個性を出し惜しみしない人


そういえば、親友が高校時代に描いたという2ページマンガを見せてくれたことがある。

当時、BLというジャンルに触発されて描いたマンガらしいのだが、なんとその主人公は化学物質。化学反応をBLに落とし込んだマンガだったのだ。しかも背景には、流行りのコンテンツを上手くオマージュした小ネタが仕込まれている……細かいところまでこだわられた作品だった。

そう、親友は賢いだけではない。それをもってエンタメに昇華させるだけの能力も持った人なのである。

親友が時々社内メールを送ってくれることがあったが、これまた文章が上手いのだ。ちょっと堅めの文章の中にユーモアが散りばめられている。まさしく私の好きな、そして書けるようになりたい文章。初めてそれに触れたとき、自分の理想を体現している人が存在することに驚愕したものだ。

そしてそれを惜しみなく周囲の人にシェアしてくれることに、私は感心させられたのだった。

先にも書いた通り、私は石橋をたたき割るくらい慎重な性格をしているので、なかなか自分の文章や創作物を外に発信できなかった。会社では若干猫をかぶっている状態だったりする。

でも彼女は自分の意見を発信できるし、シェアしてくれる。個性を出し惜しみしない。なんせメジェド神をアイコンにする人だし。その強さを私はうらやましく思う。

ああ、親友のように誰かを笑わせること、楽しませることにその才能を使えるのは、なんて素敵なことなんだろう。




とりとめもなくエピソードを書いてきましたが、ひたすらに長くなってしまいそうなので、この辺りで切り上げましょう。親友には、ここに書ききれていないたくさんの魅力があります。
それは、生まれ持った才能もあるのかもしれませんが、実際の努力や行動、あるいは熟考の末に得たものが大きいんだろうと思います。

私が自分の好きなもの、好きなこと、趣味……を一時的に見失ってしまった一方で、どんな状況でも、ブレずに我が道を行く(断じて、自分さえよければよいというワガママではない)親友の姿は輝いて見えます。

私も自分の個性をもっと大切に育てることができたら、親友のように一緒にいて楽しい人になれるかな。

そんな希望を見せてくれる親友に感謝を込めて。

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実は、親友は私にとってnoteの先輩でもありす。

ということで、少しご紹介。

↓こちらのシリーズものの超大作は、タイトルからも察せられる通り、某有名自己啓発書をオマージュして書かれています。十中八九、最初の記事で度肝を抜かれると思います。でも、面白いんだなぁ、それが。

親友と親友の大学の後輩さんとが織りなす、摩訶不思議哲学。二人とも色んな意味でレベルが高いので、読むのにはなかなか脳の体力を使いますが、読み終えたときにはきっと温かな気持ちと、ちょっとした勇気が心に生まれていることに気づくでしょう。

本人曰く、「意味不明注意」作品。

間違いなく意味不明といえる。だけれども、しっかり心に残る作品でもある。だからでしょうか、このシリーズを学生時代の友人に紹介したら、ガッツリ沼に落ちていました。

ぜひ、糖分片手に読んでみてください!





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