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ジャックと壁と木

むかしむかし、とある東の国に
ジャックという青年がおりました。
ジャックは毎晩、お金をかせぐために街でバーテンダーの仕事をしていました。


ある日、ジャックがバーではたらいていると、初老のお客さまが大きな豆を差し出しました。
「ジャックや、この豆をおぬしにあげよう。いつか大切なものを見つける役に立つじゃろう。そのときがきたらば、土に植えてみなさい。」

ジャックが初老のお客さまの手から豆を受け取ろうとすると、初老のお客さまは「ただし」と付け加えました。
「この豆をあげる代わりに、おぬしは明日からバーテンダーの仕事を辞めなさい。」

ジャックはあわてて首を横に振りました。
「ダメだよ!この仕事はお金もふえるし、かわいい女の子ともあそべる。友達もふえるんだ。やめられるものか。」

初老のお客さまは、やれやれとつぶやきながら店をあとにしました。

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仕事終わりの朝、ジャックが家に帰ると食卓の上に置き手紙がありました。
『肉じゃがをつくって冷蔵庫に入れておきました。レンジでチンして食べてね。体を大切に。 母より。』

どうやら、ジャックの母が合鍵で家に入り、ジャックのために肉じゃがをつくってくれていたようです。

ジャックは通知が150たまったLINEを開きながら、冷え切った肉じゃがを食べました。

LINEは地元の友人からのメッセージがほとんどでした。
『いつ帰ってこれる?』『たまには休めよ』『返信ないけど生きてる?』『体調心配』

ジャックは既読をつけずにそっと画面を閉じました。

3時間の仮眠を経て、ジャックは昼の仕事に向かいます。

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またバーの仕事の時間になりました。
その日も、初老のお客さまがカウンターに座っていました。

「この仕事を辞める気はないのかい?」

ジャックはまた首を横に振りました。

初老のお客さまは呆れた顔で言いました。
「この仕事で得られたものと、この仕事を始めてから失ったもの、どちらがおぬしにとっては大切なのじゃ。よく考えてみておくれ。」

それだけ伝えて、初老のお客さまは店をあとにしました。

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朝になってジャックはお客さまの家で目覚めました。
酔っ払ったまま常連のお姉さんの家に泊めてもらったようです。

たばこの匂いが蔓延した1Rで、大きなイビキを立てながらお姉さんはジャックの横で寝ていました。

ジャックは、サッポロ生ビールの黒ラベルが強引に詰められた冷蔵庫から、さけるチーズとプリンを取り出して食べました。

ジャックの母から、2件の不在着信が来ていましたが、ジャックは無視します。

そして、泊めてくれたお姉さんへお礼の置き手紙を残して、昼の仕事へ向かいました。

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また夜になりました。
ジャックがバーのカウンターに立つ時間です。

その日は常連さんが多く、ジャックは喜びました。

初老のお客さまが今日もカウンター席に座っています。

「あれから、考えてくれたかの?」

ジャックは半笑いで言いました。
「ここは僕がやっと手に入れた輝ける場所なんです。離れる気はありません。」

「そうだ!そうだ!」
と常連さんたちがつぎつぎに鼓舞しました。

常連さんのひとりが、ジャックにボトルをあけてくれました。

調子に乗ったジャックは、ラッパ飲みでボトルを飲み干します。

グイ!!グイグイ!!

ジャックは薄れる視界と共に、その場に倒れてしまいました。

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ジャックが目をさますと、まぶしい夕日が部屋を照らしていました。

目の前には、コップ一杯の水を持った友人が立っていました。

どうやら友人がジャックを家まで運んでくれたようです。

「ああごめん。」

「5回目だよ。お前のこと運ぶの。いつも店長が俺に電話くれる。仕事としてどうなのさ。」

「うん気をつける。もう夕方か。時間だから行かないと。バーに行ってくる。」

ジャックは重い二日酔いのからだを起こして、吸い殻が溜まったシンクへ向かいました。

「待って。」
すると、友人がつよくジャックの腕を引っ張りました。

「もう、バーの仕事やめてくれ。からだが追いついてない。みんな心配なんだ。」

ジャックは言い返す言葉も見つからず、
ふしぎと涙があふれてしまいました。

ジャックはその場で床にひざをつき、えんえんと涙を流しました。

ろくに掃除もされてない埃まみれの木彫りの床に涙は浸透しました。

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それから数日後、
ジャックはバーの仕事をやめることを決意しました。
最後の出勤日、ジャックの卒業式が盛大にひらかれました。

お世話になった同僚や
常連さんたちが駆けつけました。

みんなたくさんのプレゼントをジャックに渡しました。
GUCCIのベルトや
ルイヴィトンの財布
ポールスミスのネクタイ
COACHのカバン
お高い日本酒...

どれもこれも、ジャックがほんとうにほしいものではありませんでした。

初老のお客さまも、もちろん来店していました。

「おぬしに、約束通りこの豆を授ける。たいせつなものを見つけるために、土に植えてみなさい。」

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ジャックは一年ぶりに、何も予定のないお昼をむかえました。

ジャックは常連さんたちからもらったプレゼントの山をみて、頭を抱えました。

バーの仕事で得られたものは、夜の街の歩き方と、セックスの誘い方と、お金と、承認欲求を満たしてくれるブランド品。

失ったものは、友人の信頼と、大切な人と過ごす時間と、公園で遊ぶことを楽しいと思えるような幼い心と、地道な努力で得られる向上心と自信。

ジャックは目の前に並ぶ金の山に、またいつか引き込まれてしまう恐れに襲われました。

ジャックはこれらを手元に置かず、質屋に持っていくことにしました。

荷物をまとめていると、初老のお客さまにもらった大きな豆がありました。

(そういえば、たいせつなものを見つけるために、これを植えると良いって言ってたな。)

ジャックは、初老のお客さまにもらった大きな豆を家の庭に植えました。

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するとどうでしょう。

さっき植えたはずの豆からすぐに目が出て、みるみる伸びていき、10分もしないうちに豆の木ができました。

ゴゴゴゴゴ....

そして豆の木はどこまでもどこまでも伸びていき、ついに天まで届く巨大な豆の木がはえました。

「これはすごい。」

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ジャックが豆の木にのぼると、雲の上にたどりつきました。

雲の上には噴水とベンチが置かれた小さな広場がありました。
広場の周りにはいくつかの家があり、住人が住んでいるようでした。

ジャックは雲の上の広場で少し休むことにしました。

すると、空高く、雲よりも上から少女の声が聞こえました。

「みなさんこんばんは〜!」

素敵な声に釣られて、雲の住人が家から飛び出してきます。

気づけばたくさんの人で広場が溢れかえりました。

「みんなきいて!今日ね、わたしね!」

少女の声は、その日あった出来事の話をつづけました。

聞く者を癒す、透き通った声でした。

ジャックは近くに座っていた雲の住人に聞きました。
「これはいったい、どこで誰が話してるんだい?」

「僕らもわからないよ。僕らより上の世界に住んでる女の子が、毎日こうやって楽しそうにお話をしてくれるんだ。姿は見たことがないけどね。」

「不思議なはなしだね。」

「そうだね。決まって23時。君もこれからおいでよ。」

「ぜひとも!」

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それからというもの、ジャックは昼の仕事が残業にならない日は必ず雲の上にのぼりました。

少女のお話を聞くためです。

「今日はいっぱい飲んじゃった〜!」
少女がお酒に酔う日もあれば。

「職場のデスクに付箋があって、今夜会えませんか!って!」
少女がドキドキハプニングに巻き込まれた日もあれば。

「姪っ子と遊んできたんだけどさ〜!」
少女がほっこりする日も。

少女のお話はまるでじぶんごとのように親近感があって、ジャックや雲の住人を虜にしていました。

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ある日、いつものようにジャックは雲の上で少女の話を待っていました。

しかし、その日はいくら待っても少女の声がしませんでした。

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次の日も、

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次の日も、

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次の日も、少女の声は聞こえませんでした。

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ジャックにとって、少女の声が聞こえない日々は退屈でした。

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次の日、ジャックは雲の上の住人にたずねました。

「あの少女の声、最近聞こえないようだけど、どうしたのかな。」

雲の上の住人が答えました。

「最近そんな日が多いんだ。僕らもわからない。どうしたんだろうね。あ、でもね。他の声も聞こえるんだ。例えば少し歩いた先にある広場では、別の少女が話しててね。」

雲の上の住人は別の少女のことをたくさん教えてくれました。

でも、ジャックにとっては何も響きませんでした。

「僕にとってはあの少女じゃなきゃダメなんだ。」

「そうかい。もったいないね。」

雲の上の住人はそれだけ言って別の広場へ向かいました。

ジャックは不満げな顔のまま帰路に立ちました。

そのとき、空から大きな雨粒が降ってきました。

ぽつり、ぽつり。

はじめは少しずつ降ってきた雨粒が、次第に数を増やしていきます。

ザザザザザ!!

雨粒は勢いを増し、ジャックが立っていた雲を穿ちました。

「わっ!!!」

ジャックのからだは、雲にあいた隙間から、まっさかさまに落ちてしまいました。

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「たすけてー!!おちる!!!しぬ!!!」

ジャックのからだはどんどんどんどん、地上に向かって落ちていきます。

「やばい!!うあ!!!!」

なすすべもなく、雲が遠ざかっていきます。

「くっ!!!!!!」

ドスン!!!!

ジャックのからだは強く叩きつけられました。

大きな、鳥の上に。

「....え?」

鳥のふさふさな背中が、ジャックを包みます。

「じ、地面じゃない...。」

ジャックが周りを見渡すと、そこはまだ空の上でした。

どうやら、落下中にたまたま空を飛んでいた大きな鳥の背中に着地したようです。

「おいお前!なにしてんだ!俺の背中に乗りやがって!」

大きな鳥が大きな声でどなっています。

_

ジャックは、大きな鳥に状況を説明しました。

「.....つまりお前、雲の上でも雨が降るって言いてえのか?」

大きな鳥は首を傾げました。

「アホか?それは雨じゃねえ。雲の上から雨は降らねえんだよ。」

「じゃあなんだっていうんだ」

「さあな。あり得るとしたら、涙かもな。ま、雲よりも上に生き物がいるなんて信じられない話だけどな!」

「それだ!!!!!少女の涙だ!!!」

「....アホか?」

「たのむ!僕をこのまま雲の上に連れていってくれ!ずっと!上に!」

「はあぁ!??嫌に決まってんだろ!死んじまうかもしれねえんだぞ!」

「頼む!わがままなのはわかってる!いつかお礼をする!なんでも頼ってくれたら助ける!だからお願い!」

「はあ?雲の上に女がいるだ、女の涙が降ってきただ、そこまで連れてけ?そんなアホな話に付き合えってか。タダで背中に乗せてやってるのに?はぁ......。」

「頼む.......。...。たいせつなものを、見つけられる気がしてるんだ。」

「....しかたねえな。絶対今度、俺の力にもなれよ。」

バサァアアァッッ..!!!!

大きな鳥は大きな大きな羽を広げ、風を切って、空高く飛び上がりました。

「ありがとう..!!!!!!」

大きな鳥が大きな羽をゆらすたびに、ぐんぐんと雲が近づきます。

あっというまに、雲を超え、豆の木よりも高い場所につきました。

_

そこには、横にも奥にも広がる半透明の床と、少し先に、高くそびえ立つ巨大な石壁がありました。

ジャックは、大きな鳥に最大限のお礼を述べてから、半透明の床におそるおそる足を伸ばしました。

見た目はガラスのようですが、質感はホテルのラウンジに敷かれている高級絨毯のようにふわふわしていて、奇妙な感覚でした。

床の真下に小さく見える雲とネオンに輝く真夜中の地上が、その遠さをものがたっています。

「下を見ちゃダメだ...」

ジャックはなるべくまっすぐ前を見ながら、前方にある石壁に向かって半透明の床を歩きました。

_____

石壁は高く、宇宙にまで届いています。

手で触れるとザラザラしていて、粗い石で出来ていることがわかります。

壁は横にも広がっていて、どこまで続いているかはわかりません。

「だれかいますか!あの、ここ通りたくて!」

ジャックは壁を手で幾度か叩きながら大きな声で叫びました。

「あの!話を聞きたい人がいて!どこにいるかわからないけど、探してて!」

すると、壁の向こうからシクシクと泣き声が聞こえました。

「ここは、通せません。ごめんなさい。ここは、私の、場所です。えっと、探してるのは、誰ですか。」

それは、毎日楽しみに待っていた、あの少女の声でした。

「あっ!あの!!!あなたです!!!あなたを探してました!!」

「私..?」

「はい!!!!毎日、お話してくれてましたよね!雲の人たちに!僕も聞いてました!仕事があって行ける日は少なかったけど。楽しかったです。あの!!!!なんで、最近お話やめちゃったんですか!!!なんで今日波涙を流していたんですか!!ずっと待ってるのに.....。」

「....。」

少女の声はしばらく黙り込んでしまいました。

それから、喉奥に異物を詰まらせたような、暗くどもった声で話し始めました。

「私、もうしばらくみんなにお話ができなくなっちゃいました。ごめんなさい。私の家族のことで色々あって。もっとみんなに色々お話したかったです。でも、全部やめなくちゃいけなくて。ごめんなさい。突然ですよね。」

「ぇ...そんな、いや、あ..」

ジャックはパッと言葉が浮かばず、つらくなりました。
ここまで来たのに、突きつけられた現実はジャックひとりに解決できるものではありませんでした。

もっとお話を聞きたい。
でも、ジャックにはかける言葉が見つかりませんでした。

「わたし、今は一人になりたいです。ごめんなさい。」

「ぁ...。」

_____

ジャックは、待ってくれていた大きな鳥の背中に乗って、家に帰りました。

地上も、土砂降りの雨でした。

___

ある日、ジャックは地元の友人と酒を交わしました。

いつもの友人、いつもの大衆居酒屋。

いつもとちがうのは、ジャックの気分。

ジャックは元気がありませんでした。

「そういえばジャック、バーの仕事辞めてからしばらく経つけど、まだ未練はあるのか?」

ジャックの友人が問いかけてきました。

ジャックは少し考えてから答えました。

「それが、あんまり未練がないんだ。戻りたい気持ちもない。働いてる時は楽しかったはずなんだけど。不思議なもんだ。」

「そうなんだ。本当に大切なものは失って気づくって言うけど、ジャックにとってバーの仕事は、本当に大切ではなかったのかもね。」

ほんとうにたいせつなもの。

ジャックは頭の中で、大きな豆をくれた初老のお客様の言葉を思い出しました。

___ジャックや、この豆をおぬしにあげよう。いつか大切なものを見つける役に立つじゃろう。

「....。」

「おい、ジャック?元気ないな。大丈夫か?」

「本当に大切なものを失いかけたとして、どうやったら取り戻せるんだろう。」

「うん?」

「あの、信じてもらえないとは思うんだけど。」

ジャックは友人に、雲の世界のことと、少女のことを話しました。

ひとしきり話して、友人は顔をしかめました。

「さっぱり分からない。頭がおかしくなったのか?って言いたいとこだけど。」

「そうだよね。」

「だけど、もったいないと思う。」

「もったいない?」

こんどは、ジャックが顔をしかめました。

「だって、雲の世界の住人は少女の話を下から聞くことしかできないんだろ。」

「そうさ。毎日楽しみにしてたんだ。」

「でもジャックは、下どころか、横に並べたんだろ?」

「え?」

「少女の声を横で聞けるってことは、少女に声を届けることができるんだろ。」

「うん、あのときはできた。でも高い壁があって、その先にいる少女の姿は見えなかったんだ。」

「もったいないよ。」

友人は机の端っこに置いてあった、使われてないおしぼりを左手に持ちました。

そのまま友人は立ち上がり、おしぼりを天井まで掲げました。

そして、おしぼりをジャックの頭上まで持ってきて、ストン。

ジャックの頭に落としました。

「え。」

「少女は天からみんなに向かって声を落としてる。それはそれは高い空高くから。」

「うん。」

「よし、じゃあジャック、そのおしぼりを天井に向かって軽く投げてみろ。」

ジャックは言われた通り、おしぼりを軽く投げました。
おしぼりは少しだけ浮上してすぐに落下し、ジャックの膝の上に落ちました。

「ほら見ろ。」

「え?」

「下から声を届けても、結局落ちちゃうんだ。厳密には、少しの間は聞くことができるかもしれないけど、少しの間しか目に留まらない。」

「...。」

「でもよ、ジャック。」

友人は腰を下ろし、ジャックの正面に座ってからおしぼりを掴み、ジャックに向かって投げました。

「おわっ」と言いながら、ジャックは投げられたおしぼりを空中でキャッチします。

「投げてみろ。軽くな?」

ふわっ。

ジャックは言われたままおしぼりを友人に投げ返します。

すとっ。

友人がおしぼりを空中で掴みます。

「横にいれば、お互いの声が届くんだよ。キャッチボールができるんだ。」

「......それは、そうかもしれないけど。実際やってみてもうまくいかなくて。」

「違うだろ。ジャックがやろうとしたのは、相手の声を聞きたいって嘆いただけだろ。」

「え?」

「返したつもりになってるだけだ。言葉を。キャッチボールしたつもりになってるんだ。ちがう。ジャックはもったいない。ジャックはせっかく横にいるんだから、ぶつけなきゃ。自分の話を。」

「それは..。」

「いつまでも聞いてたいとか、聞いてればいいだけとか、そんなつもりになるな。少女がたくさん話してくれた分、今度はジャックが話してやるんだ。君のことを教えるんだ。君が何者か、何が好きか、昨日食べた飯は何か。」

「...!」

「そりゃ話を聞いてくれるだけの人も時には必要さ。だけどなジャック、誰かの横に寄り添うってのは、自分のことを分かってもらうってことでもあるんだ。横にいるやつだけの、特権だ。」

「たしかに....。」

ジャックのなかにあるモヤモヤした気持ちが、少しずつ晴れていきました。
曇り雲の合間から光がさすように、ジャックの心が明るくなります。

「もったいないぞ、ジャック。」

「ありがとう。」

ジャックの額に希望の雨がツルツルと流れます。

「実際問題、またあの少女のもとに行くための方法はわからない。でも、たいせつなものを失わないために、がんばるよ。」

ジャックは大ジョッキのウーロンハイを飲み干して、笑顔で言いました。

_______

「いやぁ、あれから見ないねえ。あのじいさん。」

「俺らは夜の潜り方しか知らないよ。空の泳ぎ方ならヤク中に聞きな!アッハハハ!」

「ジャック、また店に帰ってこいよ!初老のお客様?いや、覚えてないね。」

「そんなやついたなあ。でももう、見てないぞ。」

「ジャック、またうちに泊まる?あたしの家の冷蔵庫から、さけるチーズ持ってきなよ!」

ジャックは翌日、自分が働いていたバーに向かいました。

ここで出会った初老のお客様が大きな豆をくれたことが、ジャックにとって全てのはじまり。

もしかしたらまた会えるかも、と期待して向かいました。

しかし、現実はそううまくいかず。

残念ながら、あれ以降だれも初老のお客様に会った人はいませんでした。

それどころか、自分が大切だと思って必死に守っていた場所の空気が、今のジャックには何も輝いて見えませんでした。

____

「あんたの言うことだから全部信じるよ。その世界のことは私はよくわからないがね。きっとあんたが女の子と何かで結ばれてれば、きっかけはやってくるさね。」

翌日、ジャックは母に相談しました。

「あんたが信じるものは、私も一緒に応援する。その代わり、妥協は許さんよ。」

ジャックは母の温もりに包まれました。

何度も連絡を断ち、何度も無視をして、親不孝しかしてこなかったのに、それでもジャックの母は、幼い頃と変わらない、優しくて厳しいジャックの母でした。

_____

「もうあの少女の声は聞こえないね。これっぽっちも。何人かは興味を示さなくなったけど、何人かはずっと待ってるよ。あの声を。あの日々をね。」

翌日の夜、ジャックは久しぶりに雲に登りました。

広場に集まる住人の数は減っていましたが、残った人々はみんな少女の声を心待ちにしていました。

____

翌日、ジャックは家でひとり落胆していました。

結局、自分のちからでは何もできない。

あの夜も、大きな鳥の背中にたまたま落ちたから、飛べただけ。

ジャックひとりだけでは、なにもできない。

ジャックは自分の無力さを痛感しました。

それでも、ジャックに諦める気はありませんでした。

また少女に会いたい。
ジャックならできる。
確信は何もない。
でもいける。

ジャックはうつむきながらも、目だけはずっとまっすぐ前を向いていました。

ジャックに日々の活力を与えてくれたのは、紛れもなくあの少女でした。

あの少女に感謝したい。

あの少女に出会っていなければ、ジャックは。

「コンコン」

突然、ジャックの部屋のドアが叩かれる音がしました。

「どなたですか?」

ジャックは焦って扉を開きます。

「やあ。」

するとそこには、あの日の大きな鳥の姿がありました。

「元気してたか?」

「なんで!」

「アホか?元気してたかって聞いたのに、なんで、ってなんだよ。」

「なんでここに?」

「そりゃお前の家まで送ったことがあるからな。」

「いやいや、来る理由がないだろ!?」

「あるさ。」

「え、何の用だい。エサになるようなものはあんまりないよ。」

「アホか?お前、あの日の言葉忘れたのか?」

「え?」

「背中に乗せて空を飛んでやる代わりに、何かあったときはなんでも頼ってくれたら助ける。お礼をさせろ。って言ったよな。」

「あぁ、確かに言った。そうだね。もちろん、何か望みがあれば、できる限りのことを尽くすよ。こんなに早いとは思ってなかったけど..。」

「だろ?さっそく、頼みたいことがあってな。」

「なんだい?」

「もう一回、俺と空高く飛んでくれ。」

え?

ジャックは、きょとんとした顔をしました。

「楽しかったんだよ。雲よりも上に飛ぶのが。あんなの人生で初めてでよ。今日は天気も良い。でも一羽で行くのはナンセンスだ。そこでお前の出番。俺に付き合え。」

「......もちろんだけど..。頼みってそんなのでいいのか?」

「おう。お前はあの少女のとこに連れてってやる。どうせ、あの日は何もできなかったとか嘆いてたしな。俺は楽しく空を飛べる。ウィンウィンだろ。」

「......鳥!」

「鳥って。ほら、乗れよ。」

バサァッ

大きな鳥は、夜の空に大きな翼をたなびかせました。

「ありがとう..。」

「いいか?お前に三つだけ教えてやる。一つ目は、空からはなんだって見えるってことだ。街も、人も、お前の悩みも、努力も。バレてないことなんてない。よく覚えとけ。」

バサァッ!!!

大きな鳥は、背中にジャックを乗せて高く跳び上がりました。

「二つ目。生きてるやつはみんな無力だ。できることなんて少ない。俺は飛べるけど泳げない。でもな、できないことは頼ればいいんだ。誰かに頼れるってだけで立派なスキルだ。そして自分が頼られたとき、自分にできることをしてやればいい。無力な生き物も、役に立てる時は必ずある。そうすれば、大切なものは自ずと手に入る。」

バサァッ!!!!!!!!

ジャックを乗せた背中の大きな鳥は、翼を大きく揺らして空を滑空します。

「そして最後に三つ目。これが一番重要。よく覚えろ。」

「なんだい?」

「俺の名前は鳥じゃねえ。」

バサァッッッ!!!!!!!

「ハルカだ。どこまでも、遥か先へも飛んでいく、恐れ知らずのハルカだ。よく覚えとけ。」

ハルカは、力強く空高く飛びました。

やがて街は小さくなり、

山は低くなり、

星が近くなっていきます。

雲を越え、

高く飛びつづけ、

ようやく。


________

そこには、横にも奥にも広がる半透明の床と、少し先に、高くそびえ立つ巨大な石壁がありました。

ジャックは、ハルカに最大限のお礼を述べてから、半透明の床におそるおそる足を伸ばしました。

見た目はガラスのようですが、質感はホテルのラウンジに敷かれている高級絨毯のようにふわふわしていて、奇妙な感覚でした。

床の真下に小さく見える雲とネオンに光り輝く真夜中の地上が、その遠さをものがたっています。

ジャックはまっすぐと前だけを見ながら、石壁に向かって半透明の床を歩きました。

_____

石壁は高く、宇宙にまで届いています。

手で触れるとザラザラしていて、粗い石で出来ていることがわかります。

壁は横にも広がっていて、どこまで続いているかはわかりません。

「あの!!!!!!またきました!!!いますか!!!」

ジャックは石壁の向こうにいる少女に向かって叫びます。

「....。私はもう。みんなと話せないです。」

「大丈夫です!!!!!!きっと、僕には計りきれない大変なことがたくさんあるだろうから!!それは、きっと、乗り越えるのも大変だから。だから、今日は僕のお話を聞いてほしいです!!!!」

「お話....。」

「はい!!いつも話してもらってばっかりだから!それが嬉しかったから!今日は僕の話をしたいです!いや、します!!!」

「.....。聞いて....みます。」

「ありがとう!!!あの、えっと、えーーーと。」

「ふふ。何もなしに話し始めちゃったんですか?」

「いや!!!!色々考えて、あれ、なんだっけ。」

「ふふ。」

「あ、僕は、ジャックって言います。」

「ジャックさん。」

「はい!!!今は、企画職をしてます。でも、もともとバーテンダーでした。」

「バーテンダーさん?すごい!」

「いや、、最初は僕も凄いと思ってました。なんか、ギラギラしてて、お金いっぱいもらえて、かわいい女の子とも遊べるし、周りよりは良い飯食えてました。でも、なんか、ある日とても疲れて、バーテンダーを辞めました。最初は辛かったです。自分が輝ける場所を失うのが。でも、時間が沢山できました。それから、あなたの声を聞くために雲に通うようになりました。」

「そうだったんですね....。ありがとうございます。」

「あなたの声に癒されて、あなたの話に惹かれてました。でもそれは日々の中のスパイスみたいな感覚で、決して特別大切なものだとは思っていませんでした。」

「.....。」

「でも、あの日、あなたの声が届かなくなってから、あなたの存在の大きさに気づきました。」

「....。」

「仕事が手につきませんでした。一日中、あなたのことを無意識に考えていました。そんな自分にびっくりしました。」

「..。」

「たいせつなものは失ってから気づく、とは、まさにあなたのことでした。」

「私のこと..。」

「あなたがいたから、僕は癒されてた。
あなたがいたから、僕は何があっても明るくいられた。
あなたがいたから、僕はあなたのことを、辛い日に頼れた。

はじめは気づいてすらいなかったけど、あなたのおかげでほんとに助けられていました。

それから、あなたの声を聞こうと必死になりました。

でも今になって、友人のおかげで気付かされました。

僕は、あなたの声を聞きたいんじゃない。
あなたと話したい、あなたの横にいたいんです。

僕の話をいっぱいさせてください。

今朝はだし巻き卵を食べました。

昨日はおみくじを引きました。

一昨日は元職場に行きました。

僕があなたに話したいネタは沢山あります。

デカい壁があるのは分かります。

でも、向こうに希望が有るから、壁は在るんです。

希望も望みも未来もなければ、
壁はそもそもできない。
だって、絶望しか残されてない時は、壁すら立ってくれないから。

そう思ったら、壁越しに二人で居られるのは幸せです。


僕の大切な友人が言ってました。

頼ることもスキルだって。

それでいったら僕は満点です。

あなたの言葉の一つ一つに、頼ってました。

あなたに救われてました。

気づくのが遅くなってごめんなさい。

これからは、あなたも僕を頼ってください。



二人でこの壁に寄りかかりながら、

壁が壊れる日をいっしょに迎えたいです。」


________



1か月後。



__

むかしむかし、とある東の国の天空に
大きな壁がありました。

壁には、色とりどりの鮮やかな花が咲いていました。

壁には、お互いの声を聞ける受話器がありました。

壁には、二人で通信するためのモニターがありました。

壁には、二人で手紙を交換するためのポストがありました。

壁には、二人で音楽を聴けるイヤフォンがありました。

壁には、二人の写真が沢山貼られています。

壁の周りには、二人で育てた綺麗な庭が広がっています。

「今日は壁に何をつけようか。」

ミシッ..

「あ、いま、またミシッっていったよ。」

「ほんと?」

「うん!」

宇宙まで高く、
どこまでも広がる、
頑丈で、優しい「愛」が
二人の間で永遠につづきますように。


_____めでたし、めでたし。

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