作家が「計算」するのはアリ?ナシ?

こぶちです。こんにちは!

2019年一発目もだいぶ遅れちゃいました。多少煽り気味なタイトルからぶち込んでますが、今年入って早々この手のネタっが多かった気がしまして。

例えばこれとか――

※元ページが消えていたので魚拓でご容赦ください

こういうのとか。

ジャンルは違えど、いわゆる「作家性」と「商業性」のどっちが大事かみたいな話って山ほどありますよね。上のふたつの記事に関してもブックマークコメントなどをみているとわかる通り、そのアリ/ナシに関しては賛否両論あるテーマです。

私も同じ土俵で話すのはおこがましいですが、ゲーム業界で企画職という立場で仕事をやらせてもらっている上で、このテーマについてはずーっと悩み続けてきました。もう永遠の問答ですよね、これ。100点満点の回答なんて今後も出てこないんじゃないかと思いますが……

ただ、試行錯誤してるときって、なんかとてもピッチャーっぽい感覚だなーとたびたび思うんですよね。

は? ピッチャーって……野球の? はいそれです…今から説明しますからまだ去らないでください(涙目)

例えば、自分の好みで何かしらのアイデアを作品に組み込んだとしますよね。このときの感覚ってピッチャーで言うなら「速球勝負」なんですよ。「これはユーザーに受けるはずだおらあくらエイアアアア!」って感じの。なんかこう根拠なき確信があるんですよね。絶対ストライクとれるこの球は!みたいな。

するとどうなるかっていうと、いかんせん球の勢いがあるから手がでない可能性が高い。そしてそれがキャッチャーミットど真ん中に入ればもちろん、どストライク! 投手としては超気持ちいい瞬間っすね。
ただしコントロールは悪くなるのでリスクはあります。ときには豪快にストライクゾーンを外れることもあるでしょう。これはつまり誰にもささらなかったネタでした、みたいな状況です。それだけならまだマシかもしれません。「なんでこんな風にしたんですか? マジで裏切られました」みたいな。見事打ち返されてホームランになりました……となる可能性すらあります。そうなればもう超へこむし、なんであんな球を力任せに放ってしまったんや……と後悔で立ち直れなくなるわけです。

これって、まるで甲子園までは球速でブイブイ言わせていたピッチャーがプロ入りして配球を初めて考えるようになるような感じに近いのかなと。それが「計算」をし始めるきっかけでもありプロへの入り口のようなものな気がします。
それは創作にとっても同じです。自分がやりたいことをただ表現していた「同人」レベルから初めてユーザーのことを意識するようになる「プロ」への入り口の第一歩とほとんど同じだと私は思います。

で、初めてプロになる決心をした人はまず真剣に「配球」というものと向き合うようになります。つまり相手に合わせてどのコースに投げればいいか、どんな球種を投げるべきかという計算のピッチングを考えるようになるわけです。

こうして大人への階段を上り始めました、めでたしめでたし…とうまくいけばいいのですが、これを続けると今度別の弊害が生まれてきます。いわゆるパターン化です。

法則性とは過去のデータから読み取るもの。そして自分だけでなく他人も研究してくるものです。つまりあなたが見つけた定石は周りも気づいているものと考えたほうがいい。さらに言えば対戦する打者(=ユーザー)すらも気づいていることなのです。ですから「ここならストライクとれるコースでしょ」とあまりにも見え透いたコースに投げ続ければあっさりカキーンと打たれるわけです。またこういうときほど、焦ってよりコースを狙おうとするんですよね。すると球速も落ちて、見事にバックスタンド行きです。「何だそのつまんねえクソ球は……となるわけです。

なので、やはりどこかで定石はなぞりつつも、ここぞという球、できれば自分の一番特長となる球を、放り込む気持ちは持ち続けていたいものです。その代わり、ただその球を放るのではなくどういう条件で放るべきか、ということを考えていく。計算外な動きを計算しておくことが求められるのではないかと思いました。個人的にはクリエイターとしてまず安定感のあるパフォーマンスを出せることが課題ですが、今後もどこかで直球勝負する心は忘れたくないな、と肝に銘じる次第であります。

ふう……例え話だらけで抽象的になってしまいすみませんでした。
さて、締める前にここでひとつ紹介したい漫画があります。

超有名な作品なので今さら細かい説明は不要だと思いますが、二人の主人公のうち原作担当である高木秋人、通称:「シュージン」はしょっちゅう「邪道」というキーワードを引き合いに出します。王道漫画で売れっ子街道をひた走る天才:新妻エイジというライバルに対して、シュージンは「計算タイプ」の作家として、必死にどう勝つかを相方の真城最高「サイコー」や編集と共に考え続けるわけです。

私はこの作品において、シュージンが主人公として描かれていることに(正確にはダブル主人公ではありますが)とても新鮮でポジティブな印象を受けました。
正直「邪道」を謳うキャラなんてジャンプ漫画であれば、ライバル役もしくはヒール役としてのキャスティングであってもおかしくはないからです。
にもかかわらず計算高いシュージンがジャンプの主人公として描かれ、読者の心をつかむ作品となりえたことにある種の感動を覚えました。
それは、「ものづくりで計算したってつまらないなんてこともないし、不誠実なんてこともない」というメッセージに読み取れました。私はこの作品からクリエイターにむけたエールを勝手ながら感じ取り、希望をもらった気がしました。

最後に一瞬だけまたピッチャーのたとえに戻りますが、もしあなたが全力で投げたら160km/s以上出て毎回絶対にストライクゾーンおさまります、というような天才型ならもうこの話を気にすることはないでしょう。

ですが大半はそんな人じゃないはずです。ましてやnote読者ならノウハウ大好き、計算大好きっ子の集まりのはずだと信じていますw

何をするべきかを考えてる時点でほぼあなたはもうクリエイターとしては計算型なんです。

それなら自分のエゴを盛り込むことも計算してやっていく覚悟を持つことが、潔くていいんじゃないでしょうか? ものづくりにはやる気があればあるほど、こだわりと共にもロジックへの探求心もおのずとセットで絶対ついてくると思います。それを自然に受け入れて自然にアウトプットできるようになればいつか一流になれる。そう信じて今後も創作に取り組んでいきたいとあらためて心に決めた次第でございました。

今回も、長々とお付き合いありがとうございました。それではまた!



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