話す言語が変わると性格も変わる
「え! 留学してたの!すごいね! もしかして英語ペラペラ??」
「ちょっとなんか英語話してみてよ!これは英語でなんていう? あ、そうだ!バナナって発音してみてよ!」
ということを店舗研修でお世話になっている販売員の人達に言われ
久しぶりにドメスティックな環境にいるなぁ ということを実感していた。
思えば普段僕の周りにいる人は日本人でもある程度海外との関わりがある人が多く、英語というものにそこまで抵抗感がある人が少ない人ばかりだからこそ上記の質問をされた時に久々に戸惑った。
むしろ日本では英語、グローバルといったことと関わりが少ない人の方がマジョリティを占めているという当たり前のことを忘れていた。
販売員の日本人の方たち相手に英語を話すことが僕はとても恥ずかしく感じた。
Bananaを”バナナァ”と発音して 「おお、やっぱちょっと違うねぇ!」と言われたときは穴があったら入りたいくらいであった。
まずそもそも Japanese English代表の僕に発音を求めているのが間違っているのだが。
留学中にレストランで友達と話していたら”あなた日本人でしょ? と店員に言われ
”え、何でわかったの?” と聞いたら ”英語がJapanese Englishぽかったから” と言われた男である。
それはさておき販売員の方たちに英語を話すのを恥ずかしく感じた理由は主に2つある。
①母国語話者間で違う言語を話すことに対する気恥ずかしさ
②話す言語が変わると性格も変わる
1つ目は誰しもが経験したことあることなのではないか。
学校の英語の授業でも日本人同士で英語を話すのが恥ずかしくて上手く話せない、という経験をしたことがある人は多いだろう。
特に母国語話者間で英語を話す際は、間違った英語を話すことに対する抵抗感が強いように思われる。 特に自分がうまく英語を話せなかった時などは一層その傾向が強かったように思う。
これは日本人だけではなく、他の国の母国語話者間でも同じように気まずさを感じるという話を以前聞いたのでグローバルで共通の事項なのであろう。
2つ目の話す言語が変わると性格も変わる ということが今日の記事で書きたいことだ。
言語とその国の国民性というのは密接に関わりあっている。
実際に2006年にアメリカで調査された研究結果として
同じ人間でも使う言語によって性格診断の結果が異なる傾向があったという結果が出ているらしい。
おそらく、この違う言語を話す際に自分の性格が変わることを普段の自分を知っている人に見せるのが恥ずかしい ということが大きく関係しているように感じた。
僕の場合でいうと
日本語を話しているときの僕の性格の傾向として
聞き手に回ることが多い。
穏やかでガツガツしていない
ややおとなしいと受け取られることもある(特に初対面の人やまだそこまで関係が深くなっていない人には)
一方で 英語を話しているときの自分は
もう少しoutgoing(社交的、外交的)で
冗談も日本語の時よりも多く言う
ジェスチャーも使ったりする。話すときに抑揚をつける、顔の表情もやや大げさにする
といったように日本語を話しているときと英語を話しているときでまるで別の人間のようになっているかもしれない。
実際同じシェアハウスのI君曰く、
「shinshinは特に顕著に日本語の時と英語の時で変わるわ」 とのことだったのであながち間違ってはいないだろう。
販売員の人の前で英語を話すことに恥ずかしさを感じたのは
普段の自分とは違う一面を見せることに恥ずかしさを感じた からなのかもしれない。
このことを通して僕が考えていたのが 新しい言語を学ぶことで新しい性格の自分を見ることができるという楽しさである。
新しい言語を学ぶと言うことはその言語が密接に関係している国や文化の一部に入り込むと言うことで、自然とその文化が持つ気風に自分の性格も影響を受ける。
僕はそのことがとても面白いと思う。
もう少し自分の英語とスペイン語のレベルを上げることができれば
そのあとは別の言語もかじってみたいと思う。
今度はどんな新しい自分に出会えるのだろうか。
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