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死とどう向き合うか

皆さんは「死」について考えたことはあるだろうか?

誰しもが子供の頃に 自分はいつか死ぬということに気付き、その恐怖から
夜眠れなかったり、あるいは泣いてしまったという人もいるのではないだろうか。

僕も子どもの頃、自分がいつか死ぬということを知り数日間上手く眠れず憂鬱だった時がある。
親にその話をした時
あんたはまだ子どもなんだからまだまだ先の話やんか、と笑い飛ばされたことを鮮明に覚えている。

あれから時間が経ち、僕も23歳になり大人になった。
さすがに「死」というものに対して毎日恐れたりすることはなくなったが、


人は死ぬときに何を思うのだろう。
どうすれば人生に後悔せずに死んでいけるんだろう。
ということを時折一人物思いにふけることがあった。

そんな中つい先日、元大阪府知事である橋下徹さんがおっしゃった話が
僕の長年の疑問に答えの道しるべを示してくれた。

今日はそのことについて書こうと思う。

林修さんの番組「林修の初耳学!」という番組に橋本さんがゲストとして出られた回があった。
番組内で橋本さんは高学歴ニートたちに授業をされたのだが
そこで橋本さんは彼らに対して 

人生は何で納得すると思う?
どうすれば満足して死ねると思う?
と問いかけていた。

そしてその答えとして橋本さんは 

自分の持っているエネルギーを完全燃焼したかどうか 

とおっしゃっていた。

この言葉に僕は全身にビビッという衝動を感じたくらいに
感銘を受けた。

僕がこの言葉が好きな理由は 

誰にでも当てはまる普遍性のあるものだからだ。

もう少し詳しく2つの理由で説明していきたい。

1つ目は 人生を納得させる対象(何)が決まっていない 

ということだ。
インターネットで幸せな人生を送るには、などと検索すると
だいたい出てくる答えが 
お金持ちになること
幸せな家族に囲まれること
素敵なたくさんの友人に囲まれること

といったものである。
もちろんこうした1つ1つはすごく素敵なことで大切である。
しかし 
もし納得した人生を送るための答えが、幸せな家族に囲まれることだとしよう。
世間では家族を欲しいとは思わない人だっているだろう。 

つまりこうした限定的な対象を決めてしまうとそこに当てはまらない人々を除外してしまうことになる。

2つ目は 完全燃焼する度合いの定義は人それぞれによるということだ。

例えば 僕にとっての完全燃焼は、イチローや本田圭佑といった超人から見れば
完全燃焼ではないかもしれない。
しかしここで大事なのは 

僕にとって完全に燃焼したかどうか、 

ということなのだ。
自分の中でやれるだけのことはやり、やりきった。結果がどうであっても自分は納得している。こう思えればそれは僕にとっての完全燃焼なのだ。

また橋本さんは完全燃焼するために夢中になれるものを見つけてほしい 
というメッセージを送られていた。

僕にとっての完全燃焼できるものは何だろうか。
完全燃焼、とまではいかなくても今幸せなことに夢中になって取り組めているものはいくつかある。

僕にとっての燃焼、を日々積み重ねていきたい。


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