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スタンド・バイ・ミーは喪失の物語である

もはやあらゆる所で語りつくされている、映画「スタンド・バイ・ミー」について、私の感想のようなものを書いてみます。

私がこの作品を初めて観たのは今から20年くらい前、二十歳前後のときだったと思いますが、その時はちょっとええ話やなくらいの印象しかありませんでした。
ですが、三十を過ぎてからまた観たときは、初めてのときとは全く違う強烈な何かを感じました。



※以下、作品のネタバレを含みますのでご注意ください。


友達で居られる時間は限られている

この作品のテーマを表す言葉として、「友情」だとか「心の成長」だとか様々に語られていますが、私は「喪失」だと感じます。

物語の後日談で、主人公のゴーディが「親友のクリスとは10年以上会ってなかった」と語ります。
初めて観たときはこの言葉に違和感を感じました。いやいや親友ならたまの連絡くらい取りあうものなんじゃないの?ということです。でも今なら、この事実が自然に受け入れられます。

人生とは皆、自分自身のことで忙しいので、会う理由が特にない友人とはいずれ疎遠になっていくものです。おそらく誰もがそうなのではないでしょうか?

思い返せば、私の人生のそれぞれのシーンで誰かしら友達がいました。でもそのすべてに「賞味期限」があったように思えます。

いや、昔からのズッ友はいるよ!という人もいるのかもしれません。でも私はそういう人はいなかったし、友情はいつまでも維持されるものだという印象がありません。
ですが、それゆえに私は、誰かと友情を育めた日々を輝かしいものに感じるのです。

スタンド・バイ・ミーの主人公たちは12歳。人生の中で、それまでの友達と別れることになる「節目」は幾つかありますが、その一番最初がこの時期なのでしょう(日本だとちょっと事情が違うかもしれませんが)。

つまり12歳のときの友達というのは、おそらく多くの人にとって「最も遠い記憶の友達」となるのではないでしょうか。ゆえに、この作品に強烈な懐かしさや切なさを感じるのでは、と思うのです。

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