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美術と、感性と知識

 小津安二郎にはこだわりを感じさせる数々の逸話が残っているが、小道具選びも入念だった。整理された画面に登場する小じゃれた調度品はどれも選び抜かれたもので、掛軸や額は複製画でなく、名の知れた画家のほんものという。
 『彼岸花』は小津初のカラー映画で、服装や調度品の色・模様の取り合わせ・調和ぶりには、ため息が出るほどだ。
 とりわけ、赤が鮮烈。フィルムの種類を決める際に暖色系が映えるものを選んだというだけに、随所に出てくる赤いやかん、そしてタイトルにもある彼岸花の花の色がいっそうに引き立っている。
 目を奪われるあまり、セリフの把握がおろそかになってしまうこともしばしば。赤いものだけでなく、会食の場で使われている懐石具、自宅のシーンに登場する湯呑や一輪挿しなどの凛とした姿が画面の隅に見えると、純粋に「あっ、いいな」と気をひかれ、見とれてしまうのである。
 わたしは映画には詳しくないし、画(え)づくりがどうの、そのアングルが、演出が……と言われたところで、なんのことやらさっぱりである。
 それでもふと、自分の注意が及ぶ範囲の内で、よさを感じ取ることのできる瞬間がたしかにあるのだ。

 「あっ、いいな」
 美術作品を観るということに関しても、基本的にはそのようなスタンスでいる。
 雑貨屋でちょっといい小物を見つけたり、次に流す音楽をなにとはなしに決めたりするように、そのときの自分の「感」と「勘」で「いいな」と自然に思えるものを、気軽に選びとればいいじゃないか。
 「感」と「勘」を刺激するものは美術館に行けばたくさん出合えるが、その気になれば、日常のあちこちで見いだすことだってできる。感性のおもむくままに選択し、楽しむ。その過程自体がまさに創造的な行為だ。
 柚木沙弥郎さんは、このようにおっしゃっている。

「僕はアートというものはまず人生を肯定することだと思っています。それは具体的に何かを作っているわけではなくても、どんな人にも当てはまること。自分を肯定して、何か一つでも面白いと思うことやものを見つける。それを積み重ねていけば、楽しい人生ができるんじゃないかと思うから。人から教わるのではなくて、自分で発見するということですね」(「柚木沙弥郎インタビュー」より)

 むずかしい表現を使わずにシンプルに述べておられて、いいなぁと思う。 


 いっぽうで、美術の世界は深遠でもあって、あえて「お勉強をする」という楽しみ方もある。
 「お勉強」で鍛えるのは表面的には知識であるが、「感」と「勘」でもある。「お勉強」はすなわち「かごに水をつける」練習と言い換えることもできよう。
 どういうことか。
 花森安治の言葉を引きたい。

「お金のかかっているものなら、何でも美しいと思いこむ、この不幸を私たちのコドモには繰返えさせたくない。この服は高いのよ、と教えるかわりに、この色は美しいでしょう、この生地は丈夫なのよと教える、それがやがてコドモの心に、真実の美しさを見わける力を育てるのである」

 「コドモ」に限らず、「真実の美しさを見わける力」は、先天的というよりは、鍛えれば養われるものではないかと思っている。
 よいものに意識的に触れれば触れるほど、気づきの精度とステージを上げていけるが、その過程においては「お勉強」により得た知識が取っ掛かりであったり、より深奥へと潜っていく導きといった役割を果たしてくれる。
 しかるべき美術館には、一定の時間や審美眼によりふるいにかけられたよいものがたくさん展示されている。そのなかには、いま自分が持っている感性では捉えきれないものもあるかもしれない。
 そういったものを門前払いせずに、既存の評価や知識を手掛かりにしながら対峙してみることで、みずからの内奥に新たな指標、美意識のスタンダードを打ち立てていくのだ。
 美しいものによって、知識の助けを借りながら、自分が持っている「感」と「勘」のアップデート・拡張に努める――そんなある種の求道的な鑑賞も、またありだろう。

 わたしは「かごを水につける」どころか、美術という広大な海のなかに、粗末な庵を結んで勝手に棲みついているような人間で、どちらかといえば後者のスタンスに近い。
 だが、核にあるのは「感」と「勘」であり、他者からの評価や些末な知識がそれらに先立つことはないようにしたいと常日頃から思っている(だからこそ、美術界の内側とは距離をおいているともいえる)。

 美しいものを観るにあたっては「かごを水に」つけてもよいし、つけなくてもよいのだろう。
 むしろ、その間を自由自在に往還できる融通無碍な境地のなかにこそ、ほんとうの美の可能性がある。そして、柚木さんのおっしゃるように、それはまっすぐに「楽しい人生」へとつながっているのではないだろうか。
 いまのわたしは、そんなふうに作品と向き合っている。



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