あれから13年 ただの都会に感じられるようになったバンコク -第2章ー(2) 僕とNatの別れ
ライバルがいる事を知った今、日本でうかうかしてる時間なんて微塵もなかった。しかもライバルの方がNatの近くにいるという、相手の有利な状況も許せなかった。
スマホなんてなかったから、気軽にネットで電話なんてできず、メールを打っては、あの時Natと過ごした時間が嘘ではない事を確かめていた。僕がメールを2通投げるのに対し、Natからはメールが1通返ってくるぐらいの打率ではあったものの、あの時一緒に過ごした時間は嘘ではなさそうだった。
ある日、自宅でテレビを見ていると、バンコクで爆弾騒ぎがあったとの速報があった。爆発場所を確かめてみると、それがNatが化粧品を売っている市場の脇にある電話ボックスだった事が分かり、慌てて国際電話をかけた。
その日は偶然お店を開いておらず無事だったものの、Natを守る為には僕、いやこの俺が近くにいてやるしかない -ライバルへの脅威と、意味不明な正義感がごちゃ混ぜになった遠距離恋愛に燃えていた。
もう頭の中はタイに戻る事以外思考回路が働いておらず、バンコクに戻ってどうやって長期滞在するか、具体的な方策を考えた。
まず貯えがあるわけでもなかったので、タイで長期滞在する為には、現地でお金を稼ぎつつ暮らす、つまり仕事を探すしか方法がなかった。日本でタイでの就職口を探してみたものの、僕のような垢まみれの履歴書の場合、タイ現地での面接を要求される求人しかなく、もう何も考えずにタイという大空へ飛び立つしかなかった。
現地で仕事が見つかるまでの間の生活費の少しでも足しになればと、近所の木材加工所で日給1万円の日雇いバイトをして、角材やらを運んだ。Natの事を想えば、肩に突き刺さる角材の角も、幾分丸みを帯びているように感じられた、と言えば嘘になる。
角材運びの仕事が終わってから、タイ語の勉強、あとタイ語の歌も練習した。なぜならNat達とカラオケに行った時、歌える歌が一曲しかなくて困ったことがあったから。逆になぜ一曲だけ歌えたかというと、高校の時に友達が家族旅行でタイに行った時に買ってきてくれたLOSOというバンドのカセットテープに吹き込まれていた「マイターイロークター」という大恋愛バラード風の曲を覚えていて、タイのヒット曲を意味も分からず弾き語る、という小ブームが連れの間であったからだ。You tubeでこのミュージックビデオを見ては、自分の姿を重ね合わせていた。
航空運賃が一番安い日取り優先でチケットを手配し、2か月後のフライトに向けて時は着々と流れて行った。
二か月後。当時まだ出来立てでピカピカのスワナプーム空港に降り立つと、Natと同居人のAeが、プラカードなど持たずに待っててくれた。2ヵ月ぶりに会うNatは、やっぱり可愛かった。到着が深夜だった為、今夜だけ2人のアパートに泊まらせてもらう事になっていたのだ。3人でタクシーに乗り込んだ。
タクシーの運ちゃんに伝わりもしないタイ語で話しかけ、この2ヵ月のタイ語勉強の成果を2人にアピールした。タクシーでアパートまで行き、シャワーを浴びて寝る体制に入る。もちろん2人がベットの上で、僕はタイル張りの床に寝させてもらった。それでも女の子二人のアパートに寝させてもらうなんて、妙に気を使ってしまい、断ればよかったと後悔した。
明日からは、もう旅人じゃない。すぐにでも仕事を見つけて、タイでNatと落ち着きたい…。そんな事を考えていると普通は眠れないのだろうが、床のタイルが冷たく心地よくて、あっさりと眠る事ができた。
翌朝、Natの出勤に合わせてアパートを一緒に出発し、Natが勤める銀行近くにある家出ハウスへと向かった。とりあえずの棲み家として、勝手知ったるこのゲストハウスであれば都合が良いと考えた。もしくは、ただ旅の延長線上に居たかっただけなのかもしれない。
それからの僕の生活と言えば、1日3,4社の面接に出向き、夕方にNatと待ち合わせてご飯を食べたり、化粧品売りを手伝ったりした。伊勢丹向かいのBIG Cで買い揃えた500円のYシャツに袖を通し、600円のズボンの裾に足を通し、ダイソーで買ったネクタイを締め、総額1,200円の偽りの姿で面接に行く以外は、前回の旅の時と変わらぬ生活を送っていた。ただ今回は移住を目的としているので、邪魔くさいとは思ったものの、生活の便を考え携帯電話を買う事にした。
当時タイ人のステータスであったNOKIAのガラケーには遠く手が及ばず、i-mobileというタイブランドのガラケーを900バーツで入手した。使用感に大きな問題はなかったものの、メモリーに登録できる名前の長さが6文字以内、中には何も入ってないんじゃないかというくらいの軽量化が図られていてユーザーフレンドリーだった。
時代の産物、携帯電話のおかけでより連絡が取り易くなり、Natと顔を合わす事ができるのが嬉しくって、また路線バスに乗って面接に向かうのも刺激的で、飽きる事がなかった。
告白したかどうかなんて覚えていないけれども、いつの間にか手をつなぐようになっていたし、いつの間にかカップルとして成立していたように思う。いつも通りNatの帰宅送迎途中のバスの中でタイ語を教えて貰い、この渋滞がいつまでも続けばいい、死ぬまで続けばいい、死んだら嫌だけど。そう思った。
ただ全てが順風満帆だったかというと、決してそんな事はなかった。お互いのつたない英語にも綻びが見え始めていたし、理解できない行動で喧嘩になるような事もあった。待ち合わせ場所が上手く伝わらず喧嘩になったり、麺料理を音を立てて食べると嫌な顔をされるような事もあった。ただそんな二人のすれ違いが序の口である事を知ったのは、何とか仕事も見つかり、これでやっと家出ハウスを卒業して2人で一緒に住めると思っていた、タイ出戻り後4か月目の時だった。
ある昼下がりの土曜日、Natと連絡を取りたくて電話をかけたが繋がらなかった。仕事を始めたばかりで、平日は全然会えない日々が続いていたから、せっかくの週末くらい、何とか会いたかった。2回電話をかけて出なかったので、何か不測の事態でもあったのかと思い、かつ放浪癖のある僕は、フラっとNatのアパートまで出かけてみることにした。
僕の就職が決まった会社では、社用車を自由に使って良いことになっていた。バンコク市内の土地勘に強くなるためにもと考え、自分で車を運転してNatのアパートの近くまで行き、ガソリンスタンドに車を停めた。アパートの近くまで歩いて行くと、何やら見覚えのある顔の2人が、妙にスッキリした顔で手を繋いで歩いていた。…Natと、ライバルのクソうんこ野郎だった。
「お前、何しに来たんだよ!」的な事を言われたようだった。ただNatの方を見ると、顔を背けられてしまった。何かそのNatの仕草だけで、全てが音を立てて崩れ去っていくのを感じ取ってしまった。
ーよくよく考えてみると、節々でライバルの存在を匂わせるような事もあり、今改めて考えてみるとライバルだと思っていたこのクソうんこ野郎はそもそもNatの彼氏で、そこに無理矢理割込んできた謎の日本人、勝手にタイに出戻ってきたのが当時の僕だったのではないか、という結論に至っている。自分でも気付かない内に、Natが断るに断れない状況まで追い込んでしまっていたのかもしれない。
その時は完全に思考停止に陥ってしまい、どうやって部屋に戻ってきたのか、次の月曜日にちゃんと会社に出社できたのかどうかも、全く記憶にない。その後、Natは頻繁に電話をかけてきたものの、僕が受話器のボタンを押す事はなかった。
タイに来た目的そのものを4ケ月で失い、さらに卒業を間近に控えていた家出ハウスでの留年が決定、流すべきはずの涙の出所さえ見つからず、それでも家出ハウス留年組としてタイに居残る事を決断したのは、Nat以上にタイという国の魅力をフガフガと嗅ぎとっていたからかもしれない。
※登場人物は、全て仮名です。
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