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③フラットな関係をめざしたい

今回からフラットになるために、以後「です・ます」調をやめます。

ぼくはいつもひととの関係をなるべくフラットにしたいと思っている。

僧侶であると、やっぱりどうしても畏敬の念を込めて接していただくことが多い。

お坊さんになりたての頃、このことで大いに悩んだ。

修行が終わったばかりのペーペーの自分に人生の大先輩であるお年寄りが手を合わせてくれるのだ。

ありがたいというよりも、恐縮と申し訳なさでいっぱいだった。

「決して偉くなったわけではないのに…」

その後、僧侶という立場が悩みのタネになった。

日曜、法事があるというのに布団から出られず、父に代わりに法事をしてもらったこともある。

その頃、ぼくの地元の友人たちの多くは派遣スタッフをしていた。

あるとき、自分も派遣に行ってみようということにした。

20代で僧侶になった自分が、僧侶という肩書きを捨てて派遣社員になった。

僧侶が上で、派遣が下という意味はなく、

ふだん友人たちがどういう仕事をしているのか

いったいどういう人たちが派遣をしているのかにも興味があった。

最初に派遣されたのは、カップ麺のなかに入れる具、しかもそのなかのネギに特化した食料品工場だった。

一日中、フリーズドライのネギの選別作業をおこなった。

体の穴という穴にネギのパウダーが入り込んできて、しばらくネギ人間といわれるくらいだった。

単純な作業なので、作業中の会話も多い。

そこでみんなにいろんなことを聞いてみた。

「パチンコが好きで、借金を抱えてしまい派遣にきてお金を稼いでいる」という主婦もいれば

「いつか自分のケーキ屋をオープンさせたい」と夢を語る若者もいた。

いずれにせよ、みんな一生懸命働いていた。

そのときぼくに声をかけてくれる様子は、フラットそのものだった。

社会のあちこちにその日をもがきながら生きている人たちがいる。

これは寺に閉じこもっていたら見えない光景だった。

そして、そういう日々を生き抜いているひとたちから、ぼくらはお布施をいただいている。

このお布施をどうやったら社会に還元できるだろう?

そこで、ぼくが考えているのは、お寺を中心にしたまちづくりだ。

まちをつくるといっても、行政のような役割ではない。

まちのひとびとと雑談をしながら「こういうのあったらいいねー」を積み重ねていく作業だ。

つまり、トップダウンではなくて、ボトムアップなんだ。

そういう声を聴くためには、フラットな関係であることが大切だ。

フラットでいることによっていろいろなものが見えてくる。

先人たちも、そのことに気がついていたようで英語の「understand」はもともとそういう意味らしい。

ちょっとややこしいのだけど、この場合の「under」は「下」という意味ではなく「そば」ということだという。

つまり「understand」は「そばに立つ」ということで、それが「わかる」っていう意味になったらしい。

ならば、ぼくはみんなのそばにいつづけよう。


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