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社会における意思決定プロセスの失敗を分類してみる|文明と、そのカタストロフィのパターンについて調べてみた・スピンオフ

はじめに

読者のみなさん、ごきげんよう。

今回は「文明と、そのカタストロフィのパターンについて調べてみた」の一連の記事のスピンオフとして、社会における意思決定プロセスの失敗を分類してみようと思う。

実は「集団又は個人の意思決定の失敗」は、文明崩壊の主要な要因として挙げられることが多い。近年、注目を浴びているジャレド・ダイヤモンド氏はこの主張の旗手だ。

これまでの一連のシリーズでは、シュメール・古代ローマ・大英帝国がどのような原因で衰退していったのかを考慮することができた。これらの文明でも意思決定プロセスの上で重大な失敗が発生していた可能性が考えられる。

今回は、ジャレド・ダイヤモンド氏の著書から、4つの「意思決定プロセスの失敗」をみてみようと思う。もちろん、これまでの記事にも書いているように、文明の崩壊の決定的な理由を断定することは難しい。大英帝国のように緩やかに崩壊していった文明は尚更だ。この為、この記事の情報に関しては、あくまでも学説や思索の一つとして捉えていただければと思う。

「意思決定プロセスの失敗」を分類してみる

ジャレド・ダイアモンドはその著書である「文明崩壊」の中で、消滅した文明の例を引き合いに出しながら、「意思決定の失敗」の 原因を、おおまかに以下4点に整理し、我々の未来への対策にあたっては、これらのプロセスに沿って問題を整理することを勧めている。 

1. 実際に問題が生まれる前に、問題を予期することに失敗するケース
2. 問題が生まれたとき、それを感知することに失敗するケース
3. それを感知したあと、解決を試みることにさえ失敗するケース
4. 解決を試みたとしても、それに成功しないケース

上記の点は、この一連の記事にて考察してきた文明・国家でも発生している。

第一の点は、問題が生まれる前に、集団がそれを予期することに失敗して、破滅的な行動に及んでしまう場合である。
言い換えるならば、ある集団が、ある種の問題に直面したことがなく、その可能性を予想することができなかった、というものである。一例として、ジャレド・ダイヤモンド氏は古代マヤの人々の例を取り上げている。彼らは、丘の斜面の森林乱伐が、斜面から谷底へ向かう土壌浸食を引き起こすことを予期できなかった。
ピラミッドの建設等、大量の木材を消費する宗教的建造物をどんどん建設する為に、森林伐採を推し進めていった結果、食糧不足に陥り破滅していってしまったようだ。干魃も発生していたとのことで、食糧不足に拍車がかかってしまった。(ちなみに、現在では元の自然が回復し、マヤ文明の遺跡周辺は密林に覆われている。)

第二の点は、感知に失敗するパターンだ。問題が発生しているにもかかわらず、感知に失敗したならば、有効な手を打つことはできない。
このシリーズの一番始めの記事で取り上げたシュメールの人々は、灌漑農業によって塩性化が進行してしまっていることを感知できず、破滅に繋がる方法で農業をどんどん推し進めてしまった。当時、シュメールの上流域では森林の伐採などもあり土壤の浸蝕が進んでいた。流れ出した土は下流に堆積することにより潅漑用水路の閉塞をもたらしていたものと見られている。閉塞をもたらした泥は塩類を多く含んでおり、これが塩害を加速したものと推測されている。

第三の点は、問題を感知した後に、その決定を試みる事にさえ失敗するというケースだ。4つのケースのうち「最もありふれているもの」として取り上げられている。
ちなみに、この点に対する反証として、 考古学者ジョーゼフ・テインターは以下のように述べている。

……社会の構成員や管理者の目に、衰退しつつあることが明らかになった場合、解決に向けてなんらかの合理的な措置が取られるというのが、最も理にかなった想定だろう。それに代わる想定―災いを目の前にしての怠惰―を行うには、ためらいを覚えるほどの無謀な思い込みを必要とする。

つまり、テインターは、社会が重大な問題に直面した場合には、必ず衰退を回避する合理的な試みがなされる...と主張しているわけだ。
しかし、(先の記事で取り上げたように)大英帝国の例では、改革すべき問題が明確であったのにもかかわらず、自らがつくり出した偉大な制度や価値観を修正できなかった為、合理的で・有効な手立てを実行することなく、衰退してしまった。つまり、問題を感知していたとしてもそれを解決するために行動できるかどうかは別問題であるといえる。

最後に第四のポイントだが、たとえ社会が問題を予期し、感知し、解決を試みたとしても、成功しないケースもある。その問題が、その社会が動員できる解決能力のキャパを超えていたり、解決策があっても法外に費用かさんだり、努力が足りなかったり、解決に向けて手を尽くすタイミングが遅すぎたりした場合である。
また、前回の記事では、「歴史の回避できない流れ」についても言及したが、抗いようのない歴史の大きな流れに呑み込まれてしまい、解決の手立てが機能しない場合もある。
ローマ帝国の例がこれに当てはまるといえる。つまり「蛮族の侵入」という明確な問題が存在しており、局所的な解決策も当時の指導者層が認識していたにも関わらず、結局流れを引き寄せることは出来なかった。
それまで幾度となく蛮族の侵入は存在していたが、ローマはうまくその攻撃を退けてきた。しかし、(フン族に故郷を追い出された)西ゴート族の勢いを殺すことはできず、410年にローマ市は占領されてしまっている。

まとめ

このように社会は、意思決定のプロセスで失敗してしまい、崩壊への道を歩んでしまうこともある。しかし、社会が常に問題解決に失敗するわけではないことも明らかである。もし、私たちの歴史が失敗続きだったとしたら、いまごろ死に絶えているか、石器時代並みの条件下に戻って生活している可能性だってある。(すごく極端な話だけれども) 

私たちは、過去の失敗の原因を深く洞察することによって、過ちを正し、将来の成功へと歩みを進める事が出来るかもしれない。

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ちょっと最後にちゃぶ台返しを。
近年、ジャレド・ダイヤモンド氏及びユベル・ノア・ハラリ氏の著書を始めとした、「過去の例から、現在を考える」論説が脚光を浴びている。

しかし、現代の世界とその問題点、過去の文明とその問題点の間には、差異が存在する。過去を研究することで、今日の社会にもそのまま適用できる単純な解決策があると考えるのは、楽天的過ぎるのではないかと、私は考えている。それでもなお、過去から学べることは少なくないが、その教訓の取捨選択には慎重を期さねばならないと思う。ぜひ、それらの書物や私の記事を読む際に思考力を働かせながら読んでいただけると、とても嬉しく思う。

次回こそは、イースター島等の例をリサーチしてこようと思うので、また読者の皆さんと一緒に過去の教訓について振り返ることができれば幸いである。ではでは。

(taro)

<参考文献>
ジャレド・ダイアモンド[著],楡井浩一[訳] 「文明崩壊 滅亡と存続の命運を分けるもの (上・下)」,草思社,2005年
ジャレド・ダイアモンド[著], 倉 彰 [訳] 「銃・病原菌・鉄 1万3000年にわたる人類史の謎 (上・下)」, 草思社, 1998年


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