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本って味がするよね、という話。

はじめに

グーテンベルクが印刷技術を飛躍的に発展させてから、本というものに簡単にアクセスできるようになった。

みなさんは、最近どんな本を読んだだろうか?

わたしは月にだいたい4-5冊を本を読むのだが、いつも読了後考えることがある。

それは、その本の味について、である。

味とは

高校時代、江國香織が好きだった。

ある時、江國香織を読み終わった後、口の中に甘ったるい味が広がるのを感じた。

「おや...?」と感じ、「何も食べていないのに、味を感じるなんて、舌がついにいかれてしまったのだろうか」と思った。

次の日、村上龍を読んだ。

その瞬間、はっきりと口の中に、ブルーハワイのような味がじわじわ広がるのを感じた。

「本を、味覚として感じることができるようになったのではないか」

そんな仮説に思い至った。

その後...

本によっては、味を感じないことがあることにも気付いた。

例えば、ビジネス書を読んでも味を感じない。

感じるとすれば、無機質な"麩菓子"を齧っているような感覚である。

外国語の書籍を読んだ時にも、味覚が刺激されることは少ない。

無論、家電等の取扱説明等の冊子を読む時には、何も感じない。

もしかすると、

①取説、ビジネス書等、"極めて散文的な"本を読んでも、味覚を感じない

②第一言語ではない言語にて記述された本を読んでも、味覚を刺激されることはない

のかもしれない。

どんな味がするのか

「本を読むと、どんな味がするのか」という点も書いてみる。

(作品によってもばらつきがあるが)江國香織の本を読むと、ボンボンショコラの味がする。

村上春樹の作品を読むと、スクランブルエッグとベーコンを食べているような味を感じることがある。

夏目漱石の作品を読むと、豆大福を食べた時の味がする。

西加奈子の作品を読むと、ドロップを舐めているような味がする。

まとめ

「本を読む」という行為では刺激されることのない感覚が、惹起されるというのは、もしかすると変わったことなのかもしれない。

あるいは、別の人では、別の感覚が刺激される、ということがあるのかもしれない。

私が「本を読む」時、それは「本を味わう」という行為と同義である。つまり、一般的な感覚の他に別の愉しみ方を見出している、ということである。

道具や行為は「これは、こういう方法で使うもので、こういう感覚が想起される」という風に、自分の中で規定してしまっている、もしくは他人・世間様が規定しまっていることに"従って"行われる場合が殆どであるといえる。

しかし、少しでも、その規定から逸脱したところに、もしかすると自分なりの愉しみ方が生まれるのかもしれない。

その為には、自分の感覚や心を観察し、些細なことであっても、それを捉えて、深掘りしてみる姿勢がキーポイントになるのかもしれない... と、とりとめのない終わり方で、今回は締め括らせて頂く。

(toro)


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