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台湾文化、特に「言語」について Vol.2

Vol.1はこちら

台湾の「言語」について、個人的に思っていることをつらつらと書くこのシリーズ。単体で読んでも成立するものとはなっているが、Vol.1を読むと、より理解が深まるはずである。気になった方は上掲リンクからVol.1へ飛んで頂ければと思う。

「國語」と「台湾語」

この項では、「國語」と「臺灣語」の歴史を簡単に取り上げてみたい。

元来、台湾の人々が話していた言語はバラバラであった。しかし、日本統治下に於いては、「日本語(國語)」が設定され、皇民化運動の一つとして推進されていく。台湾人が日本語を使用する事が政府の方針ではあったが、台湾に元々存在する言語も、日常生活の中で使用することが可能であった。 

1930年代になると、日本語を使用して創作活動を行う台湾人作家も出現する。例えば、台湾共産党の活動家でもあった呂赫若、プロレタリア文学に触発された楊逵などの作家が一 例として存在する。この時期の台湾文学は、日本語、普通語、台湾語など、様々な言語が混在し、非常に「ハイブリッド」な文学活動が展開されていた。台湾の知識人は「國語(日本語」を自らが活躍する為の一つのツールとして捉え、創作活動を行っていたと考えられる。

日本の敗戦後、中華民国政府が台湾を接収すると状況は一変する。即ち、 日本語の使用は全面的に禁止されたのである。国民党が日本語を排撃する動きは熾烈を極めたようだ。日本語にとって替わって出現したのが、中国語の官方語言をベースとした「國語」である。ここに於いて、現在の「國語」の基礎が築かれた。

1950 年代になると学校教育に於いて、「國語運動」が遂行されてゆく中で、台湾語、原住民諸語等の、臺灣に元々存在していた各種方言も使用が禁止された。使用した際には、罰金刑等の刑罰が下されたようだ。注目すべき点として、この時禁止されたのは台湾語等であり、外省人達の使用する大陸の方言は使用可能であった(例えば、パンダが有名な四川地方で話されている四川方言等は使用可能であった)。「台湾語」は低俗で、標準的ではなく、粗雑な言語であるとして排撃されたのである。そして、國や党への忠誠の象徴として、「國語」を使用する事が要求されていった。

この頃の台湾人にとって、「國語 (普通語)」とは外国語に等しいものであったと考えられる。又、「國語運動」が行われていく中で、台湾の各種伝統芸能に於ける「台湾語」の使用禁止、ラジオや映像に於ける「台湾語」 の禁止も並行して遂行されていた。

上記のような容赦ない「國語運動」は、伝統芸能も大きな損失や停滞をもたらしたと考えられる。つまり、「國語運動」は台湾人にとっては、文化的な大災難であったのだ。

では、国民党による「國語運動」は、どのような目的があったのだろうか。

「國語運動」の根底にあるもの

国民党がスローガンに掲げていたものは、「反攻大陸」というものであり、その目標を下支えしていたのは、「中華文化」/「國父遺教」/「三民主義」そして、「蒋総統言論」という各種の思想であった。

このような思想を学校教育に於いて、人々に教え込むにあたって、共通理解そして統制を保つために、言語の一元化を図ったと考えられる。「國語運動」に関して、専門家は次のように述べている。

1950~60 年代にかけての強引な北京語化政策は、経済発展ばかりが目的だったわけではない。むしろ台湾人に対する統制を強化する試みだったのだ。国民党が経済発展だけを目指していたのならば、日本語を禁止にはしなかったはずだ......

(出典:Soochow University, Jennifer Wei)

このように、「國語運動」からは国民党政府が臺灣の人々を統制しようとする試みの一環を垣間見ることが出来る。明らかな恣意性がそこには存在するのである。

現在に於ける状況

台湾人にとって外国語であった「國語」は、数十年の間に「台湾語」等から影響を受けつつ、変容を遂げ、タイワナイズドされた中国語として、台湾の社会にすっかり定着した。 

即ち、「國語」は台湾の公用語として確固たる地位を築いたのである。

「台湾語」に関していえば、台湾の80年代の民主化以降、だんだんと影響力を増してきている。2010 年の国勢調査において、家庭での使用言語5の項目で、「台湾語」を選択した人は 81.9%にも上るというデータも存在する。加えて、台湾のグラミー賞と呼ばれる「金曲獎」に於いて、「最も優れた臺灣語歌曲」歌手賞・CD 賞・ 新人賞の各部門が開設された。

また、台湾においてビジネスを行う際には「台湾語」を話せると有利であるとの意見もある。また、政治家や総統が挨拶や演説を行う際に「台湾語」 を使用する事が多くなってきた。1980 年代の民主化以降、インフォーマルな場に於いて「台湾語」を積極的に使用していこうとする動きが政治家の間で起きているようだ。

これらの動きは、「台湾語」を使用した方が民衆の心を掴みやすいという社会的な認識が形成されてきたことを表していると考える。即ち、「台湾語」が積極的に使用される時代に突入したと考えられる。

政治的な観点からいえば、言語に対する姿勢が、対立点となっている状況が存在する。 

国民党側の陣営は、前項でも取り上げた、国民党一党支配時代の流れを受け継ぎ、「國語」 を優先する政策を推し進め、北京語ベースの「國語」は異なる民族グループの共通言語として一定の役割を果たしていく必要があると主張している。

それに対し、民進党や台湾の独立派は、「台湾語」のみならず、台湾に存在する全ての言語が尊重されるべきだと主張する傾向にあるようだ。実際、2000 年に民進党が政権を獲得した時には、多言語的政策を推奨した。

一例として、以下の動きが見られた。

 ・客家語を使う客家テレビや原住民族諸語も使う原住民族 TV 等が設立

・政府の広報やプロモーションに於ける、台湾語や客家語の多用 

・「臺灣語」だけを臺灣の土着言語として重視するのではなく、客家語や原住民族諸語も公用語として見做すべきであるとの意見を提出 

このように、台湾の現代社会では言語が政治的な対立点として存在している。

おわりに

今回は、台湾の言語文化の歴史と、現在における状況を考えることができた。ここでは、本稿で取り上げた項目を2つに分けて分析してみる。即ち、「外部的要因」と「内発的要素」という2つのカテゴリーである。

台湾に於ける「國語」は二種類存在し、そのどちらも外部からもたらされたものであった。 また、国民党も外部からやってきた勢力であり、「中華文化」、「中国人」という概念も、同じく外部から入ってきた思想であると定義できる。それに対し、「台湾語」や原住民諸語というのは台湾に於いて内部から発生したものであり、民進党といった勢力と並んで、内発的な要素であると考えられるのではないだろうか。

台湾の人々が「台湾人」としてのアイデンティティを育むにつれて、内発的な要素を見直す動きが起こり、結果的に同じカテゴリ ーに属する「台湾語」という要素が重要視されるようになったと考える。

もう一つ、「台湾語」が現在重要視されるようになってきた脈絡の中で見過ごすことができないのは、「國語」の存在である。元々、言語がバラバラで共通意識の薄かった台湾の人々を、共通語で一体化させたのは「國語」である。しかし、その共通意識を土台として育まれた「台湾人」としてのアイデンティティが望んだことは、「國語」が排撃した「台湾語」の復権であったことは興味深い点であるといえる。

台湾の言語文化について考える事は、同時に台湾の歴史とアイデンティティの所在を理解するヒントになる。「台湾人」としてのアイデンティティの形成に、「國語」は大きく影響 を与えた。それだけでなく、「台湾語」の興隆の遠因ともなったと私は考える。「國民中小学校九年一貫課程」(国民小中学校九年一貫カリキュラム) の実施により、全台湾の小中学校において、閩南語、客家語、原住民諸語などの「郷土言語」教育が必修科目 として開始されたようだ。

国民党教育を受けて来た世代が中心となっている臺灣社会に於いて「多元文化」的思想の元に“母語”教育を受けて来た若者たちが、どのように影響力を 発揮していくのか注視していく必要があると考えられる。

(taro)

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