教え子は5ヵ国に60人|亀有の小さなフェイシャルサロンの話
海外にも多くの教え子がいらっしゃるということですが、そもそも海外進出のきっかけは何だったのでしょうか?
海外進出を狙っていたというわけではないんです。
たまたまエステに来てくれていたお客様がミャンマーにルーツのある方で、誘われたんですね。
ミャンマーの貧しい女の子が自分で生活できるようにエステの技術を教えてやってほしいと。2004年ごろのことでした。
2004年当時のミャンマー。
治安などの心配はなかったのでしょうか?
なかった、というよりも知らなかった。
行く前は携帯電話もつながるらしいし、何とかなるだろうと思っていました。
行ってみたら、携帯電話はつながらないし、首相は失脚するし、首都遷都があったりと不安定な状況で。
ただ、エステティシャンとして面白い国なんですよ。
ミャンマーには一説に500の民族がいると言われています。民族ごとに肌質も骨格も違うので、勉強になりましたね。
不安定な政治状況よりもエステティシャンとしての面白さが勝ってしまうのが須藤さんらしい…。
エステの技術を教えるのは、どうでしたか?
孤児院の女の子たちにエイミーオリジナルのエステの技術を教えました。
技術を学んだ彼女たちが働けるようにお店も作り、裕福なマダムが来てくれるサロンになりました。
ただ、実はいまもエステティシャンとして活動している子はいないんですよね。
そうなんですか?!
一生懸命学んでくれるし、働ける場所も作ったし、というので将来にわたって続いていくサポートができたと思ったのですが、実はそもそもエステに興味がなかったんです。
言ってしまえば独りよがりの支援だったんだと今は思っています。
きらびやかな店で裕福なマダムの相手をするよりも、生まれ育った環境に近い農業などに従事したかった子が多かったようなんです。
ショックでしたが、それならばと、新しい事業を地域のNPOと立ち上げました。
うずらを50羽用意して、卵を産ませる。ウズラは川の上に簗の上で飼育することで、フンは川に落ちる。
そのフンを狙って魚も来る。卵と魚を売るという事業を始めました。
いまはもう関わっていませんが、50羽が2000羽まで増えて、多くの人が仕事に就くことができました。
エステからウズラに魚ですか。乗りかかった舟、できることをしようという姿勢ですね。
お話を聞いていると、その地域での関わりを持つ人の幅広さに驚かされます。地元の有力者や教授から市井の人々まで。
関係構築するコツのようなものはありますか?
言葉がわからないから、逆にできるのかもしれない。
何度もミャンマーに行っていますが、ほとんどミャンマー語はわかりません。
友人でミャンマー語のわかる日本人もいますが、そうすると自分に向けられた悪口もわかってしまう。
私はそれがわからないので、気にせずにどんどんフラットにいろんな人と関係を結べるように思います。
それと威張らないことですかね。
私は経営者ですが、施術もやるし、技術も教える。
偉くなると、施術や指導は人に任せてしまう人が多い。
私は自分でやるので、エステティシャン同士、技術を通して関係が深められるのだと思います。
なるほど。フラットな関係性づくりが肝なんですね。
でもね、威張っていたら、違っていたのかも。
オーナー然としてふるまっていたら、大口の代理店契約を結んでもっと会社は大きくなっていたかもしれませんね。
ただ、フラットな関係性を心掛けたからこそ、あの複雑な国を多面的に知ることができた。
それがその後の別の国での展開に活きていると感じています。
これから海外に出ていくのであれば、いろんな立場の人と関わって多面的にその国のことを理解できるようにするといいですね。
海外進出を考えている企業にさらにアドバイスはありますか?
中小企業が海外進出する場合、ジャイカやジェトロ経由で進出するというのが一般的かと思います。
そこを通じて得る情報は正しいのでしょう。
ただ、それはあくまでその国の一面、ひとつの見方に過ぎない。
地域ごと、また信仰宗教によっても人の生活や考えはさまざま。
地元の人とも積極的に関わることが必要でしょう。
深く多面的な理解がその国での持続的な事業展開につながるのではないでしょうか。
いまはベトナムでも事業を行っています。
ミャンマーで学んだこと、失敗が活きています。
また、海外と接していて感じるのは日本のサービス品質に対する評価の高さです。日本流のサービスを指導してほしいという要望をよく受けます。エステに限らず、接客業などに従事している人は誇りに思ってほしいですね。
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