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私たちは家族でさえも「一面」しか知らない

私たちは家族でさえもその人の本の一面しか知らないのだ

家族ならば、「家庭でのその人」
友人や恋人ならば、「社会的なその人」

私たちは身近な人であればあるほど
その人のことをさも全て知っているように思ってしまう。

でも本当はほとんど知らないのだ

特に家族においてこのことは忘れがちになる

あなたは母親の職場での姿を知っているだろうか
友人の前での母親を知っているだろうか

あなたは父親の職場での姿を知っているだろうか
友人の前での父親を知っているだろうか

そのような場面に一緒にいたことがあったとしても
あなたが一緒にいることを認識している、あなたの目線がある場合には
職場での振る舞い+あなたが知っている家庭での振る舞い
をミックスしたものになったりする。

本当の意味での「社会的なその人」を
家族である人は知る由もないことが多い

多くの人間関係では
多くてもその人の2面しか知り得ないのだ

家族で仕事をしている人などは
家族であっても
「家庭的な一面」「社会的な一面」を知っているだろうし

夫婦の場合
恋人から家族になることで
「社会的な一面」から「家庭的な一面」を知ることになる


人は身近な人には、つい「あれやこれや」言いたくなる
気を使わない関係であればあるほど
その人に対してアドバイスと言う名のおせっかいを言いたくなる

しかし、一面しか知らない人にアドバイスするなど到底ムリな話
二面だとしてもあまりにも少ない

大抵の場合、それは大したアドバイスにならない。
ただその一面に対するものだからだ

あなたがそのような人間関係において
何かを言われた立場であっても
大して気にすることではないということだ

私たちはまず、相手の「ほんの一面しか知らない」という
自分の無知さを知った方がいい。

その上で、どうしてもその人にアドバイスをしたいのなら
占星術、四柱推命など占いでその人を多角的に見ること。
そして自分のその人に対する先入観を捨てること。

あなたの個人的な主観によるアドバイスよりも
占いの方がよっぽど役にたつ。
これらは先人達の知恵であり、比較的大勢にとって
当てはまる真理に近いものが含まれているからだ。

家族であっても他人にアドバイスするならば
経験則でしか語れない。
あくまでも「自分の場合はこうだった。」
そこから相手が何をどう受け取るかは相手次第。

人にアドバイスをすると言うのは直感的なものでない限り
あまり意味がないし
多くの場合、説教することに快楽を感じているだけだ

つまり人のことで悩む時間や
人について気にすることはあまり意味がないのだ
そういう自分に気がついたら
自分の内側に目を向けて欲しい。

他人に対して思うことの多くは
内なる自分が自分(あなた)に対して思っていることなのだ。

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