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【セルフ・ミニマリズム】のススメ  ――自分が分からない人へ


家の片づけから自分の中の片づけへ


僕はいま、12年前に買った本をもう1度読み直している。『ユダヤ人大富豪の教え(著:本田健)』という本だ。その本は思春期に初めて手に取って以来、僕に多大な影響を与えた本だ。今までの12年間で10回以上は精読してきた。読むたびに新たな発見や気づきをくれている。

その本を再び手に取るきっかけとなったのは、僕たち夫婦が始めたミニマリズムだった。

➤移住準備?僕たち夫婦がミニマリストになったたった2つの理由

所有物を、「自分の人生に価値を与えてくれるかくれないか」で選別し、必要のないものを処分していく過程を経て、僕らはミニマリストとしての人生を開始した。

ミニマリズムは断捨離とは全く違った「観念・主義・生き方」の1つだ。ただの片づけ術や、捨てること自体にフォーカスしたものではない。ミニマリズムは自分に価値を与えてくれるものを見極める過程と、その後の人生に起こるメリット、そしてストレスの減った豊かな人生を目的としている。

真剣にミニマリズムを実践していくと、その過程で自分自身と深く向き合うことになる。モノに埋もれてあっぷあっぷしていた裸の自分を、自分で発掘していく作業のようだった。

そう。ミニマリズムは手段ではなく、ライフスタイルなのだ。

今回、ミニマリズムを実践しながら僕は

「今までの僕は『●●になりたい!●●がやりたい!』と思って生きてきたけど、それ自体、自分に何度も言い聞かせながら、塗り込めながら、真実らしくふるまってきただけではないのか? もしかしたら、本当の自分はもっと違うことを望んでいるのに、周りの影響や世間の価値観に合わせて自分の夢すらも作り上げてきたのではないか?」

そんな疑問を抱いたのだった。

なぜこんな疑問を抱いたかって?

なぜなら僕は「必要だ」となんとなく信じてきたものを、今回大量に捨てることになったから。しっかりモノと自分に向き合ってみると、本当に大切で価値あるものって、ほんの少ししかなかったんだ。

家がすっかり片付いた今、その矛先をようやく自分に向ける時がきた。

さあ。僕は、ガラクタをため込みまくった重たい人間になっていないか?

僕の本当に大切なモノって、ちゃんと見えているか?

どこかに埋もれて、どこにしまったのかも思い出せない状態なんじゃないか?

そうやって一生、思い出すこともなく死ぬまで押入れの中で終わっちゃっていいのか?


ーーいいわけない。


僕は自分の持ち物をミニマリズムの精神にのっとって処分していった結果、生活のストレスから一気に解放された。そしていま、自分を顧みてみると、僕自身もミニマリズムの対象になろうことは明らかだった。だって、心がこんなに重たくて、自分がいったい何をやりたいのか、どこに行きたいのか、何者なのかすらわからなくなっていたんだから。

僕は自分という人間にため込んだり、塗り重ねたりしてきた余計なモノを1つ1つ捨てる作業を開始した。

「●●になりたいって言ってたけど、それって何がきっかけだっけ?」

「僕の本当に望むことってなんだっけ?」

「好きなことって?」

こんなセルフ・ミニマリズムの実践を開始したとき、ずいぶんと助けられた本があった。

それが冒頭で紹介した本田健さんの『ユダヤ人大富豪の教え』だった。


ゲラーさんの教えーー「大好きなことをやりなさい」

ミニマリズムの実践によって、僕の手元にはスーツケース1つ分にすっきり収まるモノが残されたのだが、その1つに『ユダヤ人大富豪の教え』があった。

「いらない」と気づいたものは多く、それはもう豪快にばっさばっさ捨てていったのだが、その本は捨てることができなかった。

僕はもともと、本が大好きだ。それでも多くの本を手放した。本は本そのものに価値があるのではなく、本に書かれた内容に価値があるのだと気づいた瞬間、僕はお気に入りの本たちをしっかりと読み返し、必要な個所は自分の中に落とし込んでから手放した。

(「自炊」と言って、スキャナーで読み取ってデータとして保存する方法もあるのだが、僕はその作業をしても、将来読み返す可能性が低いと思ったから手放すことにした。本当に読み返したくなったら、きっともう一度手に入れるだろうから。)

この作業をしてもなお残ったのがこの本というわけだ。1度落とし込むだけでなく、この12年間何度読んでも「新しい」気づきをくれたこの本は、きっとこれからも僕に価値を与え続けてくれるだろうと思ったから。

この本は「幸せな金持ちになる17の秘訣」というサブタイトルがついている通り、「幸せな」金持ちになるための方法が物語形式で綴られている。

そのうちの第2章にあたる≪第2の秘訣:自分を知り、大好きなことをやる≫に書かれていることをいくつか引用しよう。(以下引用はすべて『ユダヤ人大富豪の教え』(著:本田健)の中のゲラーさんの言葉より)

「幸せに成功したければ、自分が大好きなことを仕事にしなさい」
「まず自分が魂を打ち込める何かを見つけること。それに最大限のエネルギーをそそぐべきだ」

久しぶりにこの言葉を読んだとき、僕はとても悲しい気持ちになった。

僕がいまやっている仕事は、それほど「大好き」な仕事ではないと分かっていたからだ。すぐにでも「幸せな」人生のために、自分が大好きなことを見つけなくてはと思った。

ーーでも、どうやって?

「心配しなくていいよ。時間をかけて、人生のリハビリさえやれば、好きなことは、きっと見つかる」

僕はホッと胸をなでおろした。

「自分の好きなことを日常的に少しずつやることだ。小さいころから自分が好きだったことを思い出して、それをやってみることだ。思わぬところから、自分の人生のヒントを見つけるだろう」

僕は小さいころから自分が好きだったことを思い出してみた。

実際には、これをしっかり思い出して「好きだ」という確信に至るまでには2週間ほどの時間を要した。以下にその結果を書き出してみる。


僕が小さいころから大好きだったこと

・本を読むこと。
・新しいことを学ぶこと。
・自然(山や森、木、川、草花、鳥や生き物たち)。
・ものつくり。
・(得た知識や知恵を)実践すること。
・行動することと、それを継続して積み上げていくこと。
・文章で気持ちやイメージを表現すること。

(比較的最近加わった大好きなもの)

・コーヒー                             

・妻

・パンと酵母

そして、「大好き!」まではいかないにしても、結構好き、かなり好き、というものも見つけた。


僕の「好き」なこと


・文章を書くこと(ジャンル問わず)。
・ブログを書くこと。                     
・料理を作ること。                         


現在これらのことを、ゲラーさんが言うように「日常的に少しずつやってみること」を実践中だ。とくに「大好きなこと」を重点的に。

大好きなことや好きなことを探るついでに、嫌いなことも分かった。


僕の嫌いなこと


・自分の時間がなくなること。(余裕がないこと)
・妻を大切にできなくなること。(余裕がないこと)
・怒ったりイライラしたりすること。(余裕がないこと)

僕はとにかく心と時間の余裕を欲しているようだ。僕は普段から絶対に怒らない&イライラしないことで有名(?)だが、人間なので怒ることもイライラすることももちろんある。でもそれを表に出さずに処理しているだけだ。僕が望むのは、処理するまでもなくそういう面倒な感情が沸いてこないくらい達観することなんだけども、それはちょっと人間らしくないかな?

小さいころから好きだったことを思い出す以外にもう一つ、ゲラーさんは大好きなことを見つけ出す方法を教えてくれている。

「大好きなことに巡り合う一番の方法は、いまやっていることが何であれ、それを愛することだ。目の前にあることを愛し、それに全力投球できれば、あとは、導かれるように次々におもしろい出会いやチャンスに出くわす」

僕がいまやっていること。

●ミニマリズム
●カナダ移住のための金銭的努力から能力的努力まであらゆる努力!
●ブログ

目の前のことを愛し、全力投球。しているつもりだったけど、「迷い」だらけで足が鈍っていたんだと思い至った。今日から何も思い煩うことなく、これらに全力投球していこう!


「心から与えようと思った人間は、与えられるようにできているのだよ」

この言葉は、そう、何度読み返しても僕に衝撃をくれる言葉だ。

いつも思う。

「僕は与えられているか?」と。

12年前よりは、ずっとできるようになったかもしれない。だよね?

でも、まだまだ、まだまだだと思う。

僕はもっと、目の前の妻に、家族に、仲間に、仕事関係の人に、お客さんに、ブログの読者さんに、与えられるはずだ。もらってばっかじゃなくて、たくさん与えられる人間になりたい。


得意なことと好きなことの違い

また、ゲラーさんは『得意なこと』と『好きなこと』は違うと説く。

『大物に見られたい』とか『人生を生きる躍動感を感じたい』という隠された動機がある場合、それは「好きなこと」ではなく「得意なこと」だ、と。

「自分が特別になって、周りに認められることをやろうとすると、不幸への特急切符をもらったようなものだ。(中略)周りの人間が評価してくれなくても、それをやるだけで楽しくてしょうがない、時間を忘れてしまう、そんなことだ。賞賛がなくても、お金をもらえなくても、やっているだけで楽しくなってしまうこと、それが、『好きなこと』だよ」

僕はドキッとした。僕がセルフ・ミニマリズムに取り組まなくてはと思った理由を、ゲラーさんにズバリ刺されたような気持ちがした。

そう、僕は誰かに褒められたくて、誰かに認められたくて、「すごい」って思われたくて夢を決め、その欲望まみれの夢を一生懸命追いかけてきたみたいだ。

僕はもう一度、好きなことと得意なことを分けてみた。

僕が大好きなこと・もの


条件:周りの賞賛がなくても満足で、時間を忘れて楽しめるかどうか

・妻(そして妻と共有するすべての時間)
・読書や勉強、映画鑑賞や漫画を読むことなど
・コーヒー(命の水だとすら思う。三度の飯よりコーヒーが好き)
・自然(山や森、木、川、草花、鳥や生き物たち)
・ものつくり(食べ物でも、実用品でも、なんでも「作る行為そのもの」が好き)
・文章で気持ちや思いを表現すること
・(得た知識や知恵を)実践すること
・行動することと、それを継続して積み上げていくこと



僕が得意なこと・もの


条件:実は周りに賞賛されたい、認めてもらいたいものかどうか

・文章(情報系・物語系)
※自分の気持ちや思いの表現としての文章は含まない。価値や評価を前提としたもの。

・ものつくり(成果を求められるもの)


僕がこれからの人生で向き合っていくべきは、得意なことではなく、大好きなこと。まだどうしたら大好きなことをして生きていけるのか模索中だが、大好きなことをして生きられたらそれは最高に違いないと思う。


セルフ・ミニマリズムの結果

まだまだ続けていくつもりだけれども、現在までやった自分軽量化(最小化)については以下のような結果になった。

現時点までのセルフ・ミニマリズムの成果

➤自分の中のガラクタの山を少し片づけられた
自分が「やりたい」とか「ほしい」とか「なりたい」って思っていたものは、実は自分ではなく世の中が求めていることだったりした。それに気付けたことは、これからの人生にとって大きな利益となった。

➤自分の中で眠っていた【大好きなこと】を掘り当てた
ここ数年、僕は自分が何が好きで何が嫌いなのかすらわからないほど、生きるためにがむしゃらになって働いてきた。だから正直、大好きなことなんてないんじゃないかと少し心配だったが、無事僕にも大好きなことがあることがわかりホッとしている。

意外だったのは、「野球選手」とか「宇宙飛行士」とか「科学者」といった具体的目標物や「サッカー」「計算」「人助け」みたいな具体的モノ・コトが必ずしも「大好きなもの・こと」ではないという気づき。

僕は「知る」とか「知ったことを実践する」とか「それを継続する」なんていう掴みどころのない抽象的なことが大好きなことが分かった。これはすごい気づきだった。だってそうでしょ? だれがそんな「知る」とか「実践する」とか「継続する」なんてことを【大好きなこと】として分類する?

こんなに自分を掘り返したのは生まれて初めてだった。

➤【大好きなこと】と【得意なこと】をしっかりと区別できた
先ほど分類したのを見て気づいたかもしれないが、「文章」と「ものつくり」は【大好きなこと】と【得意なこと】の両方に所属している。

文章に関しては自分の思ったことを表現するのは純粋に楽しくて、大好きだ。

しかし情報をまとめて整理して読者に提供する、というプロセスは、「読者に喜んでもらいたい!」「たくさんの人に読まれたい!」「いい情報だと思われたい!」という欲求があり、その目標を達成させることにやりがいや気持ちよさを感じていることに気がついた。達成感というご褒美がなければ、やらないのかもしれないところを見るに、これはどうやら「得意なこと」なのだ。

また、ものつくりに関しても、作る行為自体は純粋に楽しんでいても、成果物に評価が付くことが分かっている場合には「褒められたい」「認められたい」という部分が先行し、ものつくりを純粋に楽しめていないことを発見した。

自分がどこに喜びや楽しさを見出しているのか、初めて自分を理解した気がする。


セルフ・ミニマリズムを経て、今後どうなっていきたいか(2018年4月16日)


作り物の自分に気づき、自分の本当に好きなことと、得意なことの違いを理解した。

次にやるべきことは?

1 自分の好きなことを日常的に少しずつでもやっていく!

2 自分の好きなことを「生きるすべ(稼ぐこと)」に結び付けられないか探っていく!

3 お金持ちになるために生きるのではなく、やりたいことをやるために稼ぐのだということを二度と見失わないように心に刻む!


自分にとって大切なこと、大切にしたいこと、これからどうなっていきたいかがだいぶ見えてきた。生活にミニマリズムを導入して、あまりにいいことづくめだったので【セルフ・ミニマリズム】を実践してみたが、かなり意義深い体験となった。

もしいま、自分が何者か、自分がやりたいことは何か、どんな今と未来を望んでいるのかわからなくて苦しんでいる人がいたら、ぜひ試してみてほしい。家と自分のミニマリズムを。


セルフ・ミニマリズムのその後(2018年7月17日追記)

あれから3ヵ月が経った。持ち物を捨てれば捨てるほど、人生の無駄なものも見えてきて、僕は自分が「大好きなもの」かそうでないかを基準に、いろんなものを一つずつ手放していった。

また、僕の大好きなものは「学ぶ」とか「続ける」とか「観る」とか「読む」とか「実践する」とか「表現する」とか抽象的なものが多いけれど、それらを楽しみながら生きていける仕事って何があるだろう、とずっと考えていた。

そしてある日、降ってきた。そんな仕事が!

それが「翻訳家」だった。観て、読んで、一生学び続けて、実践し続けて、表現し続けられる……!

今まで生きてきて、こんな選択肢は一度も浮かんできたことがなかったから驚いた。自分が本当に好きなものを「自覚する」ということが、どれほど大事か思い知る。自覚したことによって、無意識のうちにあらゆる条件が引き寄せられてきて、ポン、と目の前に降ってきたのだ。

ミラクルは止まらない。人生でやっていきたいライフワークが降ってきたその日から約一週間後、思わぬところからある一通のメールが届く。


「あなたに本の翻訳をしてほしい」


そうして僕は、「大好きなことをして生きる」という強烈に幸せな人生のスタートを切ったのだった。

ありがとうございます!サポート、とても励みになっています!もしこちらから「こびといいぞ~頑張れ~!」とサポートしてくださったお金は、カナダ移住という子供のころからの夢を叶えるための資金に使わせていただきます!!^^ がんばるぞ~♪ オーッ!!